諦めることができない自分を、浅ましいと思っていた
忘れることができない自分を、哀れだと感じていた

すべてはこの手をすり抜けて、どこか遠くへ行ってしまったのに
それでも執着することをやめられない自分を見つめる瞳は、いつだって憐みに満ちていた

どうして、そんな目で見るの
呟いた言葉は声にはならない

その理由は、自分が一番知っていた






結局いつかは終わるのだから






雨が、降っている。
薄暗い空から落ちる雫が地面を叩き、湿った音を立てていた。

運動場は半ば湖と化していて、ここからでは見えないけれどおそらくテニスコートも水浸しだろう。
今日の部活は中止にしてしまおう。
そう考えたのは、おそらく雨だけが理由ではない。

あの日から、酷い虚しさが心を埋め尽くしている。



「精市」
「……珍しいね、蓮二が教室まで来るなんて」
「お前に用がある」
「今日の部活だろ? この雨だから休みに……」
「あの猫はどうなった」



目も合わせずに交わしていた言葉に含まれた、鋭い棘のような言葉。
自覚してしまうほどの目つきの悪さで目の細い友人を睨み付けると、彼は肩をすくめて見せた。



「……蓮二があの子の事を気にするなんて、珍しいね」
「俺には俺の事情というものがある。猫の事が気になる時もあるさ」
「……別にどうでもいいけどね」
「それで、あの猫はどうなったんだ?」
「どうにもなっていないよ。あの公園にいるはずだ」
「お前の家には行かなかったか?」
「なんでそれを……」
「俺が、あの猫に教えたんだ。お前があの公園に固執する理由。あの猫の傍にいる理由を」
「……やっぱり、そうだったんだね」
「やはり、驚かないか」
「他にそんな事をする人間は思いつかないだろう。真田がそんなことするはずないし、他の連中はあの子があの公園にいることを知らないんだから」
「それもそうだな」



雨の音が響いている。
それはまるで、誰かが涙を零しているかのようで。

泣いているのだとしたら、それは一体誰だろう。



「別に怒ってなんかないよ。むしろ、感謝してる。俺がしてたことは、あの子を利用して自分の寂しさを埋めてただけだ。あの子にとっては最低な行為だったからね」
「分かっていながら、やめられなかったのか」
「……その通りだよ。やめられなかった。それをやめて、今度こそ彼女の事を忘れて生きる勇気が、俺にはなかった」
「人を想い続ける事は悪い事じゃない。しかし、お前の方法は誰一人幸せにしないやり方だった。それどころか……」
「沢山の人を不幸にしてた、だろ? あの子に諭されて、ずっと考えて、ようやく分かった。俺がしてたことは、誰かに迷惑をかける以外の何物でもないってこと」
「……そう、か」
「情けのない話だけど、あの子に教えてもらったよ」
「今日も会いに行くのか?」
「……もう会えない」



あの時、あの子は最後のお願いと言った。
それはおそらく、もう俺には会わないという意思表示。
初めてあの子が見せた、拒絶の意思。

もうあの公園に、あの子はいないかもしれない。
猫は本来流離うものだ。主人を持たないあの子は、どこかに固執することもないだろう。

だからもう、公園には行かない。



「もうあの公園には行かないよ。あの子はきっといないだろうしね」
「……そうか」
「なんだよ、なんでそんなに残念そうなのさ。あんなに行くな行くなって言ってたくせに」



蓮二は返事をしない。
何処を見ているのか、何を考えているのかちっとも読めない目で、俺を見ている。

ため息をついて、さらに言葉を重ねようとした瞬間だった。



『精市』



ふいに、声が届いた。
雨の音にかき消されるくらい、微かな声。

勢いよく振り返り、窓の外を見つめる。
水浸しになった運動場、その真ん中に誰かが立っているのが見えた。

土砂振りの雨の中、それをものともせずに立ち尽くす華奢な影。
時折揺れるそれは、明らかに生きている人間ではない。



「×××……?」



信じられない気持ちで名前を呼ぶと、影がふわりと揺れて浮かび上がった。
呆然とそれを見つめていると、影の腕が手招きをするかのように動いていることに気づいた。

彼女が、俺を呼んでいるのだ。



「精市、どうした」
「蓮二……俺、行かなきゃ」
「待て、一体何が……」
「×××が……あそこにいるんだ。俺、謝らなきゃ」
「精市!」



腕を掴んで止めようとする蓮二を振り切り、机に何度かぶつかりながら教室を飛び出した。
廊下を歩く学生たちの間をすり抜けながら、昇降口を駆け下り、彼女の元を目指す。

背後から響く蓮二の声が、俺を止めようとしていた。
けれど、そんなものには構っていられなくて、俺はひたすらに駆ける。

靴を履きかえるのももどかしく、そのまま雨が降りしきる運動場に飛び出した。
彼女の姿を探して辺りを見回せば、先ほどと同じ場所に影が浮かんでいるのが見えた。



「×××!」



名前を呼んで駆けよれば、影がにっこりと微笑む。
それは確かに、俺がずっと探し続けていた彼女だった。



「やっと、会えた……」
『精市』
「俺はずっと、君に謝りたくて……」
『精市、来て』
「……×××?」
『もう後悔したくないのなら、もう失いたくないのなら、わたしについてきて』
「×××、一体……」
『あなたには、もう大切なものができたでしょう?』



微笑む彼女の足元に、白い影が見えたような気がした。



「でも、俺は……」
『わたしは、いいの。ずっとあなたを見ていたから。探してくれて、ありがとう。会うことができなくて、ごめんなさい。わたしは本当は、あなたの前に現れてはいけないの。でも、ずっと見てたわ。探してくれて、とても嬉しかった』
「……×××」
『でも、本当は辛かった。もういないわたしに縛られるあなたが。だから、あなたとあの子が出会った時、わたしはほっとしたの。これであなたもわたしのことを忘れられるかもしれないって』



彼女の声が雨の音をすり抜けて響く。



『けれど、このままじゃあなたはまた悲しむことになる。わたしはそんなの嫌だから。だから、ここまで来たのよ』
「……一体、何を言ってるんだい?」
『精市、急いで。早くしないと、間に合わなくなるわ』
「×××……?」



彼女の透ける手が、俺の手に重なる。
それはただ冷たいだけだったけれど、ずっと繋いでいた彼女の手だった。

彼女は滑るような動きで俺から離れ、振り返る。
ひどく優しく微笑んだままの彼女が手招きしながら、どこかへと向かい始めた。
慌ててそれを追いかけるために走り出すと、背を向けたままの彼女の声が届いた。



『精市。あなたの事が大好きだった。離れてしまうなんて、思っていなかった。最初は辛かったけれど、わたしはもう大丈夫よ。だからね、精市。……もう、忘れていいのよ』



探さなくてもいいのよ。
わたしは傍にいるから。
謝らなくてもいいのよ。
わたしは大丈夫だから。


彼女の声が断続的に耳に届く度、堪えきれない涙がぼろぼろと零れていった。
彼女に会ったら、一番に謝ろうと思っていたのに、出てきたのは違う言葉だった。



「×××……大好きだったよ。でも……」
『うん』
「もう良いんだね」
『ええ、良いのよ。もう良いの。わたしも、精市も、一人で歩いて行けるから』



だから、今日が本当の終わり。

そう呟いた彼女の後姿が、あの日見た最後の姿と、とてもよく似ていた。




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