わたしは最初から人の言葉が分かっていた
ぼんやりとした、不確かな記憶の最初の場面

太陽を背に背負い、光の眩しさで表情の見えない誰かが、わたしに向かって言葉を発している
口元だけが影になって見ることができ、その声が耳に届いていた

どうして自分がその言葉を理解できるのかはわからなかった
その時はそんなこと、考えもしなかった

その時告げられた言葉を、わたしはほとんど覚えていない






枯れてしまった言葉






さわさわと風が流れている。
白い毛並と黒い鬚がゆらゆらとそれになびき、わたしは小さく欠伸を漏らした。

小さな体をさらに小さく丸め、腹這いになって目を伏せる。
気まぐれにゆらゆらと尾を振っていると、どうにも眠気が募る。
暖かい木漏れ日を浴びていると、どうしてか眠たくなってしまう。夜もちゃんと眠っているのに、不思議だ。



『たいくつ』



ため息を一つ。
口に出してしまうと退屈さがさらに増したような気がして、もう一度ため息をついた。

彼は今頃何をしているだろう。
ガッコウでジュギョウを受けているのだろうか。
この前は退屈さに負けて彼の所まで行ってしまったけれど、その行動が彼に迷惑をかけたということをわたしはちゃんと理解している。
猫であるわたしは学校には入れない。入ってしまうと、彼がわたしを庇おうとする。

だから、もう行かない。
わたしは猫だ。猫らしく毎日を過ごさなくては。


風がうねりながらわたしの身体を撫でた。その勢いでバランスを崩しそうになり、慌てて爪を立ててしがみついた。
わたしは今いるところは、いつものベンチではない。
ベンチのすぐそばにある大きな木の上。太い枝に腹這いになって、日光浴をしているのだ。
普段とは違う場所で時間を過ごしてみようとした結果なのだけれど……今現在、とても後悔している。

何故なら。



『……降りられなくなっちゃうなんて』



なんて情けのない話だろうか。
自分で木に登ったのに、降りられなくなってしまうなんて。
こんな話、あまりに恥ずかしくて誰にも言えない。

けれど、誰にも言えないのはいいとして、誰かに助けてもらわないと降りられないのは事実だ。
それについてぐるぐると考え続けているのに、良い考えは浮かばず、溢れるのは眠気ばかり。
いっそこのまま眠ってしまおうかとも思ったけれど、さすがに眠ると落ちてしまうだろう。
だから眠たいのを我慢して、わたしはじっと日光浴をしているのだった。



『今日は彼は来るかしら』



最悪、彼に助けてもらおう。
何時間もかけて考えて出た答えがこれだけ。

もしも彼が来なかった時は……怪我を覚悟で飛び降りるしかないかもしれない。

こわごわと地上を覗くと、一瞬めまいがした。
高い。落ちたら絶対に痛い。

うぅ、と思わずうめき声が喉から漏れて、わたしはがっくりと力なく尾をたらしたのだった。





眠らないように、眠らないように頑張っていたのに、いつの間にかうとうとしていたらしい。
ふと気づくと、太陽の位置が随分と低くなり、もはや日光浴は不可能になってしまっていた。

彼はいるだろうか。
そっと首を伸ばしていつものベンチの辺りを覗くと……いた。
彼が一人でベンチに座り、物憂げな顔で夕焼け色に染まり始めた空を見ている。

声をかけようとして、自分の状況を思い出し、恥ずかしさのあまり黙り込んでしまった。
どうにもならないのだから、声はかけなくてはならないのだけれど、なんといえばいいのか分からない。
だって、木から降りられないなんて、あまりにも情けなさすぎる。

ぐるぐると喉の奥で声を響かせ、何度も迷う。
わたしに残された道はあまりないのだから、迷う必要なんてないのだけれど。

意を決して彼に声をかけようと口を開き、それよりも先に彼の声が耳に届いた。



「×××」



まただ。また、あの言葉。
彼は何の感情も浮かべずに、ぽつりとその言葉を呟く。

声をかけ損ねてしまい、わたしはそのまま口を閉ざした。
彼はそれきり何も言わずに、先ほどと同じようにどこか遠くを見ていた。

×××。
ねぇ、それって一体なんなの?
わたしは知らない方が良い言葉?
それとも、聞いても構わない?
聞いてしまったら、あなたは悲しい顔をするかしら?
あなたの仲間はどうしてわたしを睨んだの?
あなたはどうして、あの瞳でわたしを見たの?

何度も繰り返した問いが、心の中でずっと回っている。
絶対に彼には言えない。言ってしまったら、彼はきっと悲しむから。

だからその考えを吹き飛ばすように、わたしは強く声を上げた。



『ねぇ』
「……あれ、いるのかい?」



不思議そうな声を上げて、彼はあたりを見回した。
けれどもそれはわたしのいる場所よりもとても低い場所ばかりで。
しょうがなくわたしは、もう一度声を上げる。



『ここよ。上、ずぅっと上よ』
「……あぁ、見つけた。そんなところで何してるの?」
『日光浴をしていたの』
「いつもの場所にいないから探したんだよ。でも見つけられなかったから、少しだけ待とうと思ってたんだ」
『……とてもね、情けのない話なんだけど』



ばつの悪さに耐えながら呟けば、彼はにこにこと笑ったまま気の傍まで歩いてきた。
わたしが座り込んでいる枝の下に立ち、両手を広げてみせる。



「おいで。ちゃんと受け止めるから」
『ここは、高いわ』
「大丈夫だよ、怯えなくていい」
『……じゃあ、行くわよ』



深呼吸を二度。そしてふわりと木の枝を蹴る。
身体が宙に浮く感覚がして、そしてすぐに暖かい手に包み込まれた。
そっと背中を撫でられ、無事に彼に受け止めてもらえたのだとほっと息をつく。

彼はそのままベンチに戻って、わたしをいつもの場所に降ろしてくれた。
恥ずかしさを誤魔化すために毛づくろいをし、そうしてようやく彼の顔を見る。



「怪我はなさそうだね。駄目だよ、あんな高い所に登っちゃ。怪我でもしたら大変だろう?」
『……次からは気を付けるわ』



ありがとう、と告げれば、彼は穏やかに微笑み、そのまま宙に目を向けた。
その横顔にかける言葉は見つからなくて、わたしもそれに倣う。

そのままどれだけ時間が過ぎたのだろう。
一瞬かもしれないし、もしかしたら一時間くらいはたっていたかもしれない。

沈黙が当たり前になりすぎていたわたしに、彼の声はあまりにも大きく聞こえた。



「……×××」



静かに彼の横顔を見つめ、無言のままに首を傾げてみせる。
彼はわたしを見ずに、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。




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