光はいつまでも眩しいまま

闇はいつまでも優しいまま






裏庭に沈む夜






がくん、と高い所から落ちてきたかのような衝撃が全身に走って、思わず目を開いた。
闇に包まれたままの沈鬱な部屋。不可思議な文様の描かれている天井と、変色の激しい壁紙。
その全てが異様なものに見えて、そして自分がいまどこにいるのかを思い出した。


そうだ、ここは仁王の城だ。
あの村ではないのだ。


闇の中に何かが潜んでいるような気がして、手探りでシーツを引き寄せた。
その時になって初めて、全身がびっしょりと汗が湿っていることに気づく。悪夢を見ていた代償、なのだろうか?
かちかちと歯の根の合わない音を響かせながら、静かに静かに呼吸を繰り返す。

耳の中で響く彼の声。
あの時彼は恨みを込めてはいなかった。
ただ俺を綺麗だと、生きていて欲しいのだと呟いて、その一生を終えた。

何故だろう。
彼のあの時の透明で希薄な表情が、今も瞼の裏にくっきりと焼き付いている。
その瞬間だけを切り取って、貼り付けてしまっているのかのように鮮明に。
それを覚えていても辛いだけで、何一つ良い事など無いというのに。


「何でなんだよ、馬鹿野郎……」


俺などのために命を捨てる必要はなかった。
望めば何でも手に入る地位にいたくせに、こんな貧民に執着したせいで彼は何もかもを失ったのだ。

俺のせいで、彼は死んだ。
俺が、彼を殺したのだ。


「………ごめんね、真田……俺の、せいで……………」


断罪の言葉を口にすると、ひどく胸が痛んだ。
じりじりとした痛みが身体の奥から湧きあがり、熱い雫となって目尻から零れおちる。
何度拭っても止まないそれから逃れようと、シーツを顔に押しつけた。

その瞬間、かつん、と小さな音がした。


「……誰?」


蓮二か、柳生か。それとも────…?


「……お前さん、なんでこんなとこに………」
「仁王……」


月明かりを跳ね返す銀色の髪。真昼の太陽の瞳。
あの時と同じ美しい色たちがそこにあった。


「蓮二に…ここで寝てくれって言われて……」
「……ここは唯一まともに使える客間じゃけん……そのせいじゃろ」
「あぁ、そうなん、だ」


ひどくぎこちない会話。
何を話せばいいのか、何を聞けばいいのか、少しも分からない。

そうして黙りこんでいると、ふいに彼の銀色が月を映した。


「お前さん、泣いとんのか……?」
「え、あぁ……うん、ちょっとだけ」
「俺の、せいじゃな」
「え…?なんで、そんなこと……」
「俺がお前さんを連れてきてしまったせいで、お前さんを縛りつける結果になった。俺の……俺の我儘のせいで、お前さんに迷惑をかけとる」
「………そんなこと、ないよ。俺は君に感謝してる。あの村から俺を救いだしてくれたことと、この命を助けてくれたこと。だから……そんな風に思わないで欲しい」


爛々と輝く金色に息をのみながら、必死に言葉を探す。
聞きたいことはたくさんあったはずなのに、何故かそのどれもが言葉になろうとはしない。

耳元を掠める音がして、手元のシーツが微かに揺れる。
視線を走らせると彼の背後で大きな窓が半開きになっていた。どうやらそこから入ってきたようだ。
宙をかけることができる吸血鬼ならば、造作もない事なのだろう。

それを茫然と眺めながら、ふと思いついたことがあった。


「仁王。聞きたいことがあるんだ」
「……なんじゃ?」
「いつか、俺を殺す?」
「………っ!」
「俺は勝手に死ねないと聞いた。君の命が尽きるまで死ぬ事が出来ないと、蓮二が教えてくれた。たぶん、その通りなんだと思う。前例が既にいるわけだからね。そして吸血鬼の寿命は人間よりも遙かに長いとも聞いた。きっと俺が死ぬのはずっとずっと後になると思う。いつか君が死ぬ時、君は俺を殺してくれる?」
「……なにを、言っとんじゃ…………?」
「一人になってしまうのは嫌なんだ」


冷たくなっていく身体。いくら揺さぶっても反応してくれない愛しい人たち。今までそこにいて笑っていたのに、彼らはもう二度と動かない。
一人ぼっちになって泣いて、拾われて苦しくて泣いて、そうしてまた一人になって。


「俺はたくさんのものを失った。そして君に拾われてたくさんのものを手に入れた。それを失って、また俺だけが残ってしまう事が怖いんだ。だから、お願い。君が死ぬ時は、どうか俺の事を殺して死んで」
「………………」
「俺の血を飲んでも良いよ。雑用を命じてくれるなら、出来る限り頑張る。美味しい食事を蓮二がつくってくれるから、きっと身体も丈夫になって、たくさん働けるようになる。抱きたいなら、俺の事を抱いても構わないよ。俺をどう扱っても構わないから………だから────……!」
「もうええ!」


絶叫のような仁王の言葉に遮られ、俺は口を紡ぐ。
僅かに肩を震わせながら俯く仁王を見ると、自分の放ってしまった言葉がどれだけひどいものだったのかを思い知らされた。


「仁王、ごめん、俺………」
「分かった」
「え?」
「俺が死ぬ時、何があってもお前さんを殺す。どんな状況だって、必ず殺してみせる。じゃけん……じゃけん、それまで俺の傍にいてくれんか?」
「君の、傍に?」
「混血として禁忌の罪をその身に負い、どの世界からもはみ出してしまった俺の傍に。俺はもう……誰の事も殺したくないんじゃ…………」
「……じゃあ、俺は君の餌になるよ。君が死ぬまで、俺が死ぬまで、ずっとずっとなり続ける」
「………お前さん、本当に変な人間じゃな。普通、嫌がるじゃろうに……」
「生憎、育ちが悪いから」


微かに笑みを浮かべて見せると、窓際に突っ立っていた影がゆっくりと近づいてきた。
ふわりと風が吹いて白いシーツが宙に舞い、俺は無言で目を閉じる。
近づいてくる気配がすぐ傍で止まって、冷たい指が頬に触れた。じりじりと頬を撫で、首筋を撫でたそれは、やがて俺の鎖骨に触れて止まる。

目の奥に浮かぶ鮮明なイメージ。月明かりに投げ出された首筋に近づく鋭い牙と揺れる白銀の髪。金色の目がじっと俺を見つめていて、悲しそうな辛そうなそれでいて安堵したような表情を浮かべていた。

痛みは一瞬だった。
次いで灼熱が爆発し、衝撃が全身を駆け巡った。
初めての時よりは幾分弱いそれは、始まりと同じくらい唐突に消えた。
後に残ったのは鈍重感と疼痛だけ。

力の抜ける身体を支えた二本の腕の向こうで、朱い唇が嗤っていた。






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