住んでいるアパートの近所にテニスコートがある事は知っていた。けれどそこに行って、テニスをしたことは一度もない。道具はあるけれど打つ相手がいなくて、打ちたくても打てなかったからだ。
けれど今日はそんな心配はいらない。元テニス部の連中が四人も揃っているのだから。
誰も道具を持っていなかったが、どうやらここは貸出をしてくれるようで、無事に全員がラケットを手にすることができた。数年ぶりに握るそれを軽く振ってみると、意外な事にとても手に馴染んだ。長年行ってきた振りなどは身体が忘れていないようだ。
丁度良く2コートが隣り合って空いているというので場所を教えてもらい、そこに向かう。ぱこんと響いてくる音に身体が反応して、早く打たせろとばかりに疼いた。
結構な道のりを歩いてコートにたどり着いた瞬間、丸井が叫び声を上げた。


「あーっ、仁王じゃん!」
「おー、ブンちゃん。久しぶりやの」


独特の訛りと気の抜けた様な声。俺達が貸してもらうコートの隣のコートのベンチに、懐かしい顔があった。座ったままひらひらと手を振ってくる姿に違和感を覚えて、まじまじとその顔を見つめる。


「なんじゃ、真田。そんなに俺の顔をまじまじと見て」
「……髪、染めたのか?」
「あぁ、これの。面接行く機会があったきにちょっくら染めたんじゃ。またそのうち戻す」
「戻さずとも良かろう。髪は黒い方が良い」
「そうだよ、仁王。あんまり染めたり抜いたりしていたら、そのうち禿げるよ」
「じゃが…よう見てみんしゃい。この色じゃ俺の美貌が台無しじゃろ?」
「何馬鹿なこと言ってるんですか、貴方は」


呆れた様な声。その声にも聞き覚えがあって、勢いよく振り返る。予想通り、そこには柳生が両手に一本ずつ飲み物を持って立っていた。こちらは仁王と違って髪の色も何も変わっていなくて、昔のままの姿だった。


「遅かったのぅ、柳生」
「仕方がないでしょう。ここのテニスコートは広いんです」


柳生はそう言いながら持っていた飲み物の片方を仁王に放り投げた。座ったまま仁王は受け取って、面倒くさそうにそのパッケージを見つめる。


「なんで緑茶を買ってきたんじゃ……」
「おいしいですよ、緑茶。……あれ、真田君じゃないですか。なぜここに?」


今さら気づいたのかというタイミングで柳生が俺の顔を見つめた。


「真田だけじゃなくて俺もいるよ」
「お久しぶりですね。ああ、柳君と丸井君も。これは……懐かしいメンバーですね」
「そうだな。会うのは約三年ぶり、か?」
「そんなものかな。にしても、今日は偶然が重なる日だね。約束したわけでもないのに、偶然テニス部の連中が揃うなんて」
「幸村、お前は違うだろう」


俺の家に押しかけてきたくせに、と小さく呟く。その瞬間、幸村が持っていたラケットが足に飛んできて、脛に当たった。
思わず悶絶の声を漏らし、恨みがましく幸村を見上げる。けれど幸村は俺を振り返る仕草一つしなくて、代わりに蓮二が肩を叩いてくれた。


「幸村君たちもテニスをしに?」
「うん。丸井と偶然出会ってね。久しぶりにテニスをしようという話になったんだ」
「では、私たちもご一緒して構いませんか?仁王君とはいつも打ちに来ているので、他の方とも打ちたいと思っていまして」
「大歓迎だよ。久しぶりにやろうか」
「では仁王君に伝えてきます」


柳生はそう言い残し、丸井と話し込んでいる仁王の所に走り去っていく。ぼんやりとその後ろ姿を目で追いかけると、ベンチの所で柳生に何かを言われた仁王が頷くのが見えた。






「で、何でこうなるかの」
「それを俺に聞くな」


どうしてこうなったのか。それはおそらくというか絶対幸村のせいだろう。何故か丸井と打ちたいと言い出したのは幸村だし、そうなったらいつも打っている柳生と仁王を組ますわけにもいかず、そういうわけで柳生は柳と仁王は俺と打つことになった。
テニスコートに入ると、自分がいるべき場所に帰ってきたような、そんな感覚が走った。それをゆっくりと味わいながら、ボールを取り出してサーブを放つ。やっぱり身体は動きを覚えていて、意識をしなくても打つことができた。


「お前さん、打ち方も変わっとらんの」
「人の事が言えるのか」
「クク……言えんじゃろうの」


その言葉通り、仁王の打ち方は少しも変わっていなかった。少しひねくれた、けれどどこか真っすぐに相手を見据える打ち方だ。
最初は身体を慣らすために軽いラリーを続けた。やはり体力は無くなっていて、以前よりも早く息が切れる。それを誤魔化しながらコートを走って、小さなボールを追いかける。


「そろそろ本気で行くぞ」
「了解ナリ」


ちゃんと仁王が構えに入ったことを確認し、力を込めてサーブを打つ。結構な力を込めたつもりだったが、仁王は素早く走って容易くそれを返してきた。
力を込めてサーブを打った分、返ってくる速さが予想以上に早かった。ラケットが届かず、ボールが後ろに通り抜けていく。


「やっぱり体力が落ちているな」
「そりゃ数年せんかったらこんなもんじゃ。俺も柳生と打ち始めた頃は酷かったナリ」
「いつ頃から始めたのだ?」
「そうじゃのー……二年前じゃな。偶然街で会って、連絡取るようになって、それからじゃ。最近は良く打ちに来とるよ」
「そうか。自分では気をつけているつもりだが、やはり運動不足なのだな」
「そりゃ中学に高校とあれだけテニスをしとったんじゃ。急にやめたら運動不足にもなるじゃろ。これから少しずつやっていけば良か」
「そうだな」


辺りを見回すと、やはり柳生と仁王以外は体力が落ちているようだった。特に丸井は幸村のボールに翻弄されながらひどく息を切らしている。
ため息を一つついて、ラケットを握り直した。ボールを拾い上げてサーブの構えをとる。仁王がネットの向こう側でにやりと笑って、構え直す。


「来てみんしゃい。俺の詐欺でコートに沈めちゃる」
「できるものならやってみろ!」


負けてはならぬ、という言葉が脳裏をかすめる。それだけを信じて、それだけを求めていたのは昔の話だ。もう負けてはいけないという掟は無い。楽しむだけのテニスができればそれでいい。
あの頃、勝利に執着し続けていた幸村も今ではもうその気持ちを忘れているだろう。そう思うと、時間の流れは虚しさを生むだけのではないのだと気づいた。
時間の流れは人の心を変えてくれる。蔓延る虚栄心を実直な心に、醜い執着を綺麗な気楽な想いへと。
そうだとすると、俺の中ではどんな感情がどう変わったのだろうか。考えてみてもすぐには分からなくて、それを探すためにもまたテニスをするのもいいかもしれない、ボールを追いかけながらぼんやりとそう思った。






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