俺を一人にするつもりじゃないよね、と自分中心な幸村の考えのおかげで初めて仮病を使う羽目になった。と言っても、大学は誰かに欠席を報告する必要はない。来なければ来ないで単位が取れないというだけの問題だ。
そこまでして傍にいさせておきながら、幸村は俺と話をすることなくただひたすら本を読んでいた。どうやら、幸村が習得している科目と俺が選択する科目は毛色が全く違うようで物珍しいようだ。それに付き合う形で俺も本を読み、ついでに次の論文に備えて考えをまとめていく。
滅多にならない携帯の着信音が部屋に響いたのは、そんな時間を数時間過ごした昼ごろのことだった。


「もしもし」
「久しいな、弦一郎。俺が誰だか分かるか?」
「確かに久しいが……忘れるはずがなかろう。俺はそこまで耄碌しておらん」


見慣れない番号だから誰かと思えば、またもや懐かしい相手だった。以前よりも低さを増した声は、それでも耳ざわりではなく心地よく耳を滑って消えていく。


「とりあえず、誕生日おめでとう」
「ありがとう。だが、この年で祝われると少々気恥かしいな」
「それは言っている俺にも当て嵌まる。メールは苦手なのでな、出来れば直接と思って電話させてもらった」
「そうか。蓮二は相変わらずマメだな」
「神経質、ともいうがな」


微かに笑い声をあげると、うるさいとばかりに幸村の足に蹴られた。読書の邪魔になったようだ。仕方無く少し声を潜めるようにして会話を続ける。


「ところで、先日精市からお前の進学先を聞かれた。どうせ尋ねるつもりだろうと思って住所を教えたが……もしかして、今来ているのか?」
「ああ、その通りだ。今は隣で俺の部屋の本を読み漁っている」
「なに?俺の話?」


自分の話題、ということに気づいたのか、それまで無反応だった会話に急に食らいついてくる。当たり前のように手を伸ばされて、当たり前のようにその手の上に携帯を置いた。
それまで読んでいた本を放り出し、賑やかに会話を始めた幸村を一瞥して息を漏らす。彼が読んで放り出したままの本が床一面に広がっている。自分の部屋でもこうしているのだとしたら、汚れているのも仕方ないだろう。
ゆっくりと立ち上がり、幸村がもう読んでしまったはずの本を本棚に戻していく。幸村はそれを見つめて、珍しく頭を下げた。


「うん、まだだよ。蓮二が良いならそれでも。真田?うん、大丈夫、連れていくから。今日は一日暇だって言ってたし。分かった。じゃあ、一時間後ね」


なんの話をしているんだ、俺は別に暇なのではなく幸村が一人にするなというからわざわざ講義を諦めて部屋に居るのだし、今日は暇などと言った覚えは決してない。
誤解満載の言葉を訂正して蓮二に伝えたかったが、それは叶わなかった。ひょいと投げ返された携帯は既に通話が切れていて、耳に当てても聞こえるのは電子音だけ。


「何の話をしていたんだ?」
「今から出かけるよ。蓮二と会うから」
「………なんだと?」






つまり、幸村は腹が減っていたらしい。だから丁度良く電話をかけてきた蓮二を昼食に誘い、必然的に俺が付き合わされることになったわけだ。
何の情報もくれない幸村を宥めてすかして、どうにか聞き出せたのがこれだけ。どこで待ち合わせなのかさえ教えてくれないから、ただただ着いていくしかない。
幸村に従うこと約一時間弱。やっと辿り着いたのは近所とは既に呼べないほど遠い某ファミリーレストランだった。
出入り口の近くに懐かしさを漂わせる長身が立っていて、幸村が手を振り回すとゆっくりと近づいてきた。


「蓮二―、おまたせ」
「いや、さほど待ってはいない。逆算したデータ通りの時間だ」
「なんだ、つまらないな。せっかく少し遅めに歩いてきたのに」
「勿論、それも考慮済みだ」


そんな会話をしながら店内へ。丁度昼時ということもあって混み合っていたが、窓際の席に無事着くことができた。


「二人とも、何を食べるんだ?」
「俺は魚。焼き魚。煮魚。三枚下ろし。生。スープ。大根おろ……」
「もういい、分かった。そんなに魚介類が欲しいのならば、好きなだけ頼め」
「うん」


魚のメニューばかりが綴られているページを鬼のような顔で見つめている幸村に呆れた様なため息をひとつつき、蓮二は俺に向きなおる。


「今日、抗議休んだのだろう?」
「何故それを…」
「お前のことだ。精市にせがまれて、断り切れなかったのだろうと思ってな。普通ならば、この時間帯は講義中だろう?」
「ああ、その通りだ。久方ぶりに訪ねてきてくれた友を無視するわけにもいくまい」
「お前らしいな」


言いながら、蓮二はメニューを覗き込む。やはりというかなんというか、和食中心のメニューで、幸村が魚系だとすればそれも和食。言うまでもなく俺も和食なので、二十代の若者が集うこのテーブルにはひたすら健康的な和食が鎮座するわけだ。
なんだか何かが間違っているような気がしたものの、まぁいいかと放っておくことにする。どうせ改善されることもないのだ。


「にしても、蓮二も真田も変わらないな。昔とそっくりすぎて、逆に気味が悪い」
「それはお前にも言えるぞ、精市。どちらかといえば、お前の方が変わっていない」
「へぇ?どこが?」
「声だ。俺も弦一郎も声が低くなっているだろう。成長するにつれ、ある一定の年齢を過ぎるまで声は低くなっていく。だが、お前の声は高校時代と一切変わっていない」


言われてみればそんな気がしない事もないような気がして、思わずなるほどと頷いた。ついでに、誰も押す気配がないインターホンを押して店員を呼ぶ。はーい、と気の抜けた声を上げながら金髪の店員がふらふらとやってきて、そこで一瞬怪訝そうに客席を見回した。俺と蓮二の顔を見比べて、同時に蓮二の咳ばらいが発せられる。それで役目を思い出したのか、メモ用紙と鉛筆を構えた。


「……ご注文はぁー?」
「俺は春の七草山菜セットを一つ。お前たちはどうするんだ?」
「俺はこの和食Aランチセットを貰おう」
「じゃ、俺はこれで」


これで、と言いながら幸村が指差したのは季節の魚君ども盛り合わせ御膳、などという物騒なんだか美味しそうなんだかよく分からない料理だった。
店員は注文確認をして、またゆらゆらと左右に揺れながら調理上の方へと戻っていく。その姿が向こうの方に消えてから、幸村が小さく舌打ちした。


「……あの人さ、俺のこと女だと思ってたよね」
「だろうな。女一人に男二人。どっちが恋人だろうか、と一瞬で熟考していた確率98%」
「む、そうなのか?」
「そうだよ。ったく、真田は鈍いな」
「弦一郎に人の考えを察しろという方が間違っている。空気を読めないのが当たり前、それが弦一郎だ」
「ま、そう言われればそうなんだけど」


随分な言われようだとは思う。ただどれも事実のような気がして言い返す気が起きなかった。


「なんでこんなに勘違いされるのかな。昨日だって、何度も声掛けられたし」
「容姿が原因だ。お前の顔が中性的過ぎる」
「それ俺に対する侮辱?誰が好き好んでこんな顔に生まれてくるもんか」
「そうか?なかなかいい顔をしていると思うのだが。俺は好きだぞ」
「……真面目な顔で褒めるな、真田。すっごい気持ち悪いから」
「それは……すまないな」


そんなくだらない会話と近況の話し合い、果ては過去の思い出話。そんなことを脈絡もなく話していると、そのうち料理が運ばれてきた。全員分が揃うまで待って、行儀良く手を合わせていただきますと言おうとした瞬間、幸村が唐突に窓の外を指さした。


「あれ、丸井じゃないか?」






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