数か月前まで入院していた病室に再入院というのは、かなり低い確率だと思う。病室ならいくらでもあるのに、よりにもよって同じ部屋になるなんて。不運なのか幸運なのか判別がつけづらい。
道を覚えているという点ではいいかもしれないが、幸村にとって病室にいい思い出など一つもないだろう。



「やぁ、仁王。ようやく来たね」
「おー、久々にテニスやったら腰が痛い」
「ふふ。それは無理矢理こんな所にぶち込まれてまたテニスを奪われた俺に対する厭味?」
「……気のせいじゃ」


脳震盪というからもっと弱っているのかと思ったのに、ちっともそんなことはなかった。というより、威圧感が増しているような気がした。


「で、何しに来たの?」
「とりあえず、謝りに」
「へぇ、何を?」
「突き飛ばしたこと……と一人で馬鹿みたいに突っ走ったこと」
「気づいたのならいいんだよ。それに、落ち着いたみたいだね」
「泣けたら落ち着いたんじゃ。部活にも行けたしの」


言いながら、ベッド脇の椅子に座る。日がな一日ぼんやりと過ごしていたつけが回ったようで、本当に腰が痛くてたまらない。


「幸村」
「何かな?」
「真田ってのー、一人で自主練しよんじゃ」
「知ってるよ」
「今日は俺が相手したんじゃけど……」


きっとたぶん、という程度の予測。信頼性の薄い自分の勘だ。けれど、それが当たっているような気がしてならない。


「もしかして、ああやって自主練する真田の相手は蓮二がしよったんか?」
「────そうだよ。蓮二も朝が早かったからね。俺も時々付き合ってた」
「やっぱり、の」


朝見えた妙な空白。そして一日続いた練習の中で嫌でも目につく、空白たち。
本来そこには蓮二がいるはずなのに、今はただただぎこちない空気が溢れているだけ。


「丸井がどんだけお菓子を食べても、カロリーの事やら脂肪の事やらで嫌味言う奴がおらんのじゃ。柳生が疲れた顔しとっても、それに気づいてフォローする奴がおらんのじゃ。ジャッカルが一人で雑用しとっても、それを手伝おう奴がおらん。真田一人じゃ練習メニューも偏っとる。赤也の視線の先が────誰のおらん空白なんよ」
「……そう」
「そこにおるべき人間がおらんのって、こんなに違和感あるんじゃね。俺、行ってなかったけん気づかんかったけど」
「俺もちゃんとは見ていないけど。でも、確かに穴があいた分のぎこちなさはあるだろうね」
「それがあんまり寂しくて────虚しいんじゃ」


人が一人いなくなるということはこういうことなのだと、はっきりと思い知らされたような気がした。
一日中、空白を見つめていた赤也の視線があまりにも痛々しくて、でもそれを遮る権利を俺は持っていない。


「仁王。どれだけ悔やんでももう遅い。大切なのはこれから先、その穴をどう埋めていくかだよ」
「そうじゃの」


返事と共に立ち上がって、心配そうな幸村の顔を見降ろして頷く。
いつの間にか夕日が沈もうとしていて、その夕焼け色の光が病室に差し込んでいた。


「そろそろ帰ろうかの」
「もう帰るんだ。腰をお大事にね」
「おー、あんがとさん」


ひらひらと振りむかずに手を振りながら扉に向かう。こちらを見つめているのだろう、幸村の視線が痛いほど背中に突き刺さっていた。
それを無視して扉に手をかけて、その瞬間に声が投げられる。


「仁王。いくんだね?」


どこに、とは言わなかった。けれど、きっと幸村は気付いていたんだろう。気づいた上で、最後の最後まで知らないふりをしていてくれたんだ。
その言葉に肯定の意の頷きを一つ返し、重い扉を開いて廊下に出た。
自然と閉じていく扉を挟んで、幸村と目が合う。最後の最後に笑みを浮かべて見せると、悲しい顔のまま幸村も微笑んでくれた。





いつもはそのままロビーに向かう道のりを逆走し、入院時台幸村が脱走して来ていた屋上に向かった。
病室の扉よりも重い扉を押し開いて、所々にシーツが干されている屋上に足を踏み出す。四方に張り巡らされた鉄格子を見つめ、小さくため息を漏らした。
重たいテニスバッグを入口に放り出し、ゆっくりと鉄格子に近づいてそれの先を探す。病院の屋上ということもあるのか、それは学校のものよりも少し低かった。勢いをつけて飛び上がり、酷使に悲鳴を上げる身体を叱咤しながらそれによじ登る。普段なら簡単に登れただろうが、いかんせん部活後というのは辛い。
それでもどうにか上まで登って、そこで一息ついた。


「高いのー」


思っていたよりも屋上というものは地上から離れていて、落ちたら痛そうだななんて今更な事を考えた。
遙か遠くで沈もうとしている夕日を眺めて、そのまま勢いをつけて手を離そうとした瞬間。


「仁王先輩!」


それは聞きなれた後輩の声で、思わず手に力が残ってしまった。ぐらぐらと揺れる体制を整えてから背後を振り返る。
先ほど閉ざした屋上の入口に息を切らした赤也の姿があって、家に帰っていたのか珍しく私服だった。


「何しとんじゃ、赤也」
「それ、こっちのセリフですから!あんた、何やってんすか!?」
「飛び降りちゃろうかと思って」
「馬鹿じゃないですか!?こっから落ちたら死にますよ!」
「分かっとるよ」


分かっている、ちゃんと。だって、死ぬためにここに来たのだから。
鉄格子の上で体勢を入れ替えてきちんと赤也に向き直った。引きずり下ろす気なのか、こちらに駆け寄ってくる赤也を見下ろし、なんだかんだ言って心配されていたのだと思った。


「赤也」
「何ですか?」
「もーええけん止まりんしゃい。俺はこっから落ちて死ぬんじゃ」
「また……またあんただけ柳先輩の傍にいくつもりですか!?そんなの……ぜってー許さないっす!」
「悪いのぉ。もう決めたんじゃ」


へらへらと笑みを浮かべて、最後に焼きつけるように赤也の顔をじっと見て、そしてゆっくりと手の力を抜いた。
ぐらりと体が傾いで、どこまでもどこまでも登っていけそうな青が目に入って、その青は蓮二が最後に笑っていた日と同じ青さで、それがなんだか嬉しくて。
絶叫する赤也の声と、そして目に浮かんだのは────……。




君から僕の姿は見えていますか?
今から、そっちに行きます







「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -