丸井がくれたお菓子はうんざりするほど甘くて、柳生がくれたおにぎりは久々に食べたお米の味で、ジャッカルのくれたコーヒーはこれでもかというほどにおにぎりとミスマッチしていた。
部屋を出ると目を真っ赤にした姉が立っていて、馬鹿と言われて頭をはたかれた。少し痛くて、でもなんだかそれも懐かしくて。
俺は、幸せ者だと思った。





いつも起きる時間より一時間以上も前に目が覚めた。吹っ切れてしまったみたいにさっぱりした思考の、こんなに目覚めの良い朝は新鮮過ぎて逆におかしくなる。
のろのろと起き上がって、思い切り時間をかけて準備して、そしてテニスバッグにラケットを放り込んだ。久しぶりに担ぐバッグの感触を確かめ、行ってきますと呟く。
この時間帯、両親は既に働きに出ているから残っているのは姉だけ。いつもは大体同じ時間に起きていたから、まだ寝ているはずだ。


「……行って、きます」


玄関先で家を見上げてもう一度呟いて。そして学校に向かう。いつもと少し時間が違うだけで、誰ともすれ違わなかった。





きっとまだ誰も来ていないだろうとたかを括ってテニスコートに顔を出してみれば、恐ろしい事にたった一人で素振りをしている奴がいた。


「む、仁王か」
「おはようさん。何しとんの、一人で」
「この時間は誰も来ないからな。自主練をしている」
「へぇ。にしても、いつもこんなに早く来よんのか?」
「ああ、起床が4時だからな。いつもこんなものだ」
「超人じゃな、お前さん」


気楽に会話を交わして、とりあえず部室に向かった。荷物を見る限り、他には誰もいなくて、毎日毎日一人で素振りをしているあいつを心底凄いと思った。いつも遅刻寸前、駆け込み乗車的に部活に来ている自分では考えられない所業だ。
のろのろと着替えてコートに戻ると、まだ素振りをしている姿が目に入って、なんだか可哀想になって向かい側のコートに入った。


「相手しちゃるけぇ、打ってきんしゃい」
「お前がそんなことを言い出すとは……稀だな」
「今日は真面目な雅治ちゃんじゃけん」
「なんだ、それは」


ラケットを振るのも久々で、それでも見についた動きが簡単にボールを弾き返す。それは吸い込まれるように真田のコートでバウンドして、一瞬後こちらのコートに返ってきた。
勝敗をつけないただのラリーは終わりが見えない。ただただ相手のコートにボールを打って、返ってきたのを返すだけ。


「真田―」
「何だ?」
「幸村は大丈夫か?」
「ああ。軽い脳震盪だが、打ったのが頭ということで検査入院だ。本人はけろりとしているからそんなに心配しなくて良い」
「そか」


真田の声に責めるような響きは一切なくて、ほっとしてでも何故か苦しくて。いっそのこと、責めてくれればいいのになんて小さく思った。
パコン、とほんの少し強くボールを打つと倍以上の力で返ってきた。


「昨日なぁ」
「うむ」
「赤也が来たんよ」
「行けと言ったからな」
「丸井はお菓子で柳生がおにぎりで、ジャッカルがコーヒーじゃった」
「食ったのか?」
「美味かったよ。おにぎりにコーヒーはあわんかったけど」
「……む」


段々早くなっていくボール。けれど、まだまだ息が上がる事はない。それは向かい合っている真田も同じで、ラリーはもう何回目なのだろう。数えていないから分からない。


「赤也にボロ泣きされて困った困った」
「何故赤也が泣くのだ?」
「赤也もなぁ、蓮二が好きじゃったんやって」
「……そうか」
「うん。でな、俺怨まれてもうた」
「何故お前を怨む。お前を選んだのは蓮二だろう」
「そうやねぇ」


何故だったのだろう。何故、蓮二は俺を選んだのだろう。蓮二の事だから、赤也の気持ちには気づいていただろうに。
それでも俺を選んでくれた理由、それは────……。


「俺が蓮二を殺したんじゃ、て言われたんよ」
「たるんどるな。何を取り違えた事を……」
「でもなぁ、それって半分くらいは正解じゃろ?その言葉聞いたら、悲しくて悲しくて、俺も昨日ボロ泣きじゃった」
「吹っ切れたのか」
「そやねぇ……ある意味、吹っ切れた」


すべてに向き合う覚悟と意義。図らずも、赤也はそれを俺に与えてくれた。
少しずつ切れてくる息を無理矢理整えながら、ゆっくりと言葉を吐き出していく。黙って聞いてくれる真田を、これほど良い奴だと思ったことはなかった。


「そんでの、俺はすごい恵まれとる幸せ者じゃと思った。崩れそうになったらみんなが支えてくれるし、家族は家族で心配してくれるし。でもの────俺は蓮二からそれを奪ったんじゃ。蓮二にもその権利があるのに」
「だから、お前のせいではないと言っているだろう」
「じゃが、俺に責任が無いとは言い切れんじゃろ?」
「あれは……あれは、事故だ!」


鈍い音とともにボールが跳ねて背後のフェンスに叩きつけられる。激しい音とともにフェンスが揺れて、ボールが地面に落ちた音が妙に大きく響いた。


「何度言えば分かる。お前が気に病む必要はどこにもない!」
「……わかっとる。わかっとるよ────」


さらに何かを言い募ろうとするかのように真田が口を開きかける。
馬鹿みたいに突っ立ってその言葉を待っていると、ふいに遠くで甲高い声が上がった。


「仁王じゃん!おい、この白髪!」
「丸井君、やめたまえ。人の身体的特徴を卑下するような言葉を……」
「あー柳生、たぶん聞いてないぜ」


激しい足音に振り返ると、嫌でも目につく真っ赤な髪。一瞬後に腹に衝撃が走って、突っ込んできた丸井がタックルをかましたのだと気づく。


「いったいのー……何すんじゃ、ブンちゃん」
「だってお前、何日無断欠席したと思ってんだよぃ」
「そうですよ。お陰でダブルスの練習が全くできていません」
「ほら、2人ともやめてやれよ。出てきたんだし、いいじゃねーか」


ジャッカルがとりなすように言って、無理矢理丸井を引き剥がしてくれる。子供のように引きずられていく丸井に舌を出し、けらけらと笑ってやった。
筋肉が引き攣るような感触がして、うまく笑えたかどうか不安だったけれど。


「では、私も着替えてきます。仁王君、少し待っていてくださいね」
「了解ナリ。ゆっくりでよか」
「はい」


通りざま、おはようございますと真田に声をかけて柳生が去っていく。真田はそれを見送って、鋭い瞳でこちらに向き直った。


「仁王、さっきの続きだが───……」
「おはようございまーす。副部長、今日も早いっすね」
「赤也か。今日は遅刻しなかったようだな」
「当たり前っすよ」


昨日と同じ冷たい瞳が俺を見ていた。それを静かに見返し、そしてすぐに視線を逸らす。赤也は小さな声で挨拶をして、部室の方に走り去って行った。


「それでだな───…」
「もういいんじゃ」
「……なんだと?」
「もうよか。俺らも部室行こ」
「────そうだな」


ため息交じりに頷いた真田の後ろ姿を見て、そしてテニスコートを見渡した。人気のないコートがとても寂しい物のように思えて、二度とここに立つことはない彼のことを思って、昨日枯れてしまったはずの涙がまた溢れそうになった。




穴が開いているよ
君が居た所に深い穴が







「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -