お通夜もお葬式も行われたはずだけれど、そのどちらにも顔は出さなかった。それに出てしまうと、彼の死を認めてしまうような気がして、怖くて行けなかった。
葬式の日、空には厚い雲がかかっていて、誰かが空の上で泣いているみたいに雨が降っていた。
でも───俺の涙は降らないままだ。





蓮二がいなくなったというのに、世界は何一つ変わらないままだった。太陽が昇って沈んで、月が昇って沈んで、そしてまた太陽は昇る。飽きることなく繰り返されるその交差を何度見ただろうか。
いい加減動かなくてはならないのに、どうしても身体が動いてくれなかった。部屋の外にさえ出るのが億劫で、家族が運んでくれる食事で命を繋いでいるという情けの無い始末。
こんな俺の姿を見たら、彼はきっと皮肉な笑みを浮かべて毒舌な言葉を吐き捨ててくれるだろう。
毒舌でも嫌味でも皮肉でも何でもいい。彼の声が聞きたかった。あの低くて涼しい声をもう一度聞けるなら何でもするのに、と昇っては沈む太陽に呟く。


「雅治」


控えめなノックと、躊躇いがちの姉の声。


「生きてる?ご飯置いておくから、ちゃんと食べなよ」
「おー……」


家族は俺が部屋に閉じこもって以来、無理矢理中に入ってこようとはしなかった。俺の事を心配してくれているのだろう。
いつもろくに返事を返さないけれど、それでも食事を持ってきてくれるのはありがたかった。


「雅治。あんた、いい加減外にでないと干からびるよ」
「分かっちょるよ。大丈夫じゃ…」


小さなため息と離れていく足音。それを聞きながら思い出すのは幸村を突き飛ばした時の感触。鈍い音もいつまでも耳から離れない。あの時倒れた幸村は、一体どうなったのだろう。
あの日以来、テニス部の誰とも会っていない。携帯を使えば連絡を取れるけれど、今さら何を話せばいいのかも分からなくて、電源を落としたままにしていた。
いつまで俺はこうしているつもりなのだろうか。窓の外にある手の届かない空を眺めながら、ぼんやりと考える。ここに座りこんで、死んでしまうまでこうしているつもりなのだろうか。
────それも、悪くないかもしれない。自分の思いつきがあまりにも馬鹿馬鹿しくて、引き攣った笑い声を上げた。
笑っているうちにどうしてか悲しくなって、そのまま両手で顔を覆う。ふらふらと床に崩れ落ちて、低く呻き声を漏らした。
どうして、どうして。何度自問しても答えが見つからない。どうして、彼が。何が悪かったというのだろうか。どこで間違えたというのだろうか。
どれだけ考えても答えは出てこなかった。静かに息を吐いて、床に転がったまま窓の外を眺め続ける。あの空の彼方に、彼はいるのだろうか。





そのまま昏倒するように意識を失ったようで、気がつくとベッドに寝かされていた。誰かが───姉か母か、が運んでくれたのだろうと思いながら身を起こす。
部屋を見渡して、そこにいるはずのない影を見つけて。まだ覚醒しきっていない意識が、警告を鳴らした。


「起きたんっすか」
「…な、んじゃ、お前」
「仁王先輩でもあんなに無邪気に寝るんっすね。もっと険しい寝顔を想像してたんですけ……」
「赤也、なんでこんな所に…!」


飄々と笑いながら喋る後輩を遮り、ベッドから飛び降りようとして、貧血を起こしたみたいに視界が真っ暗になって飛び降りた勢いのまま床に崩れ落ちた。
後輩の見ている前で無様に床を這って、いつまでたっても明るくならない視界に舌打ちする。


「何やってんすか」
「うる、さい……助けんしゃい」
「はいはい────っと」


腕を掴まれて引き上げられて、ベッドに押し戻された。ようやく明るくなった視界に、にやけた笑みを浮かべた赤也の顔が入ってくる。


「全然飯食ってないんでしょ。きれーなお姉さんが心配してましたよ」
「……さよか。で、お前さんは何でこんなとこにおるんじゃ」
「まぁ簡単にいえば伝達役なんですけど」
「伝達役?」


一体誰から、とは言わなかった。誰からかなんて分かっている。俺が突き飛ばして倒れた幸村だろう。
赤也は勝手に部屋を横断し、ベッドと反対側にある椅子に座った。一番遠い所から向き合って、どこに持っていたのか近所のコンビニの袋を取り出した。それを下手で放り投げてくる。


「なんじゃ、これ」
「丸井先輩と柳生先輩とジャッカル先輩からのお見舞い品。お菓子系は丸井先輩でおにぎりとかが柳生先輩、飲み物系はジャッカル先輩です。一人一人からのコメントもありますけど、聞きます?」


確かに、袋の中には大量のお菓子とおにぎりとおにぎりには全く合わないコーヒー缶が入っていた。
それを見つめながら、何も言わずに小さく頷く。


「じゃあ、丸井先輩から。とっとと戻って来なきゃ俺の天才的妙技で沈めるぜぃかっこほしかっことじまる。柳生先輩は、早く戻ってきてくださらないと私も練習できません。ジャッカル先輩が、ゆっくり休んでからでも良いからな、って言ってました」
「……は」


ぬるかった。あんまりにも生ぬるくて、それが妙に心地よかった。もっと激しく罵倒されて、お前なんで死んでしまえばいいのにくらい言われると思っていたのに。


「全員で来るのは迷惑だからってことで、なんでか俺が選ばれました」
「………」
「あとですね、幸村部長からも伝言持ってくるつもりだったんですけど、今入院中なんで」
「な、んじゃと?」


耳を疑った。あの幸村が入院?やっと病が治ったばかりなのに?


「仁王先輩。あんたが突き飛ばしたせいで、脳震盪起こして入院中です。命の別状とかはないらしいっすけど」
「……俺の、せいか」
「そうです。あんたのせいですよ」


やけに静かな赤也の声。椅子に座っている赤也に目を向けると、その双眸が真っ赤に充血しているのが見えた。真っ赤な真っ赤な、血の色。彼が流した血の色だ。
いつもどおりの口調で、抑揚だけが綺麗さっぱり消え去っていた。それと同時に、その赤い瞳から感情も抜け去っていて。
その声が、その目が、非道く怖いと思った。


「あんたのせいです。全部全部、あんたのせいだ……」
「……赤也…」
「柳先輩が死んだのも、幸村部長がまた入院したのもあんたのせいだっ!」


気づいた時には襟首を掴まれていて、がくがくと乱暴に揺さぶられた。目の前に真っ赤な瞳が広がって、その中に浮かぶ激しい怒りと悲しみと苦しみが見てとれて、そして気づいた。
あぁ────お前も蓮二が好きだったんか。


「あか、や……」
「あんたが柳先輩を殺したんだ!あんたが傍にいなきゃ柳先輩は死なずに済んだのに!なんで……なんであんたなんかが!」
「…すまん、の……」


うまく力が入らない。すぐ目の前にいる後輩の頭を撫でてやりたいのに、それさえ叶いそうにない。
言葉を紡ごうとしても、何と言えばいいのか分からなかった。だって───赤也の言うことは間違っていないから。
俺が蓮二を殺したんだ。俺のせいで蓮二が死んだのだから、それは俺が殺したのも同じだ。


「なんで皆簡単に許すんだ!柳先輩を殺したのに、なんでそんなにっ……!」
「すまん……本当に、すまん……」
「俺だって……傍にいたかったのにっ!!」


絶叫のような声を上げて、その瞬間赤也の真っ赤な目から涙が零れおちた。落ちたそれは俺の腕を伝って床に消えていく。
手の力が緩んで、その体が崩れ落ちていく。それをぼんやりと見つめ、やっと動くようになった腕でそのもじゃもじゃの頭を撫でた。元々ぐしゃぐしゃの髪がもっともっとぐしゃぐしゃになるように撫でつけて、小さく謝罪の言葉を紡ぐ。


「悪かったの……お前の気持ちも知らんで、俺はへらへら笑っとった」


彼と付き合えて傍に居られて、それが心底幸せで。その日常の裏で、苦しんでいる誰かがいるなんて思いもしなくて。
赤也がずっと抱え込んでいた想いに、彼は気付いていたのだろうか。気づいた上で、俺を選んだのだろうか。


「……俺は、あんたを認めない。他の誰があんたを許したって、俺はあんたを許しませんから」
「それで構わん。好きに恨んでくれて構わん。憎んでくれても良か。……じゃけどな、赤也。俺が蓮二を好きだったんも真実なんじゃ」
「………」


赤也は俯いたまま、黙って俺の手を払いのけた。そのまま立ち上がって、部屋の扉に向かう。
その間も泣いていたのだろう、透明な滴が床に落ちて小さな小さな水溜まりをいくつも作っていた。


「真田副部長が……幸村も気にはしていないから、気持ちの整理が落ち着いたら部活に出て来いって言ってました」
「了解ナリ。そう伝えておいてくれ」
「……失礼します」


先ほどまでとは打って変わって静かな声で、別れを告げて赤也が出て行った。
部屋の外から、姉と赤也の声が聞こえてくる。そのうち玄関の扉が開く音がして、そして何の音も聞こえなくなった。
床に広がる水溜まりを見つめ、赤也に襟首を掴まれたせいでベッドの上にばらまかれたお菓子とおにぎりと缶コーヒーを見つめて、ふいに目頭が熱くなった。
もしかしたら、今なら泣けるかもしれない。そう思った瞬間に、ジワリと視界が歪んで何も見えなくなって、ほろほろと涙が零れおちて。


「あ、あぁぁ……うあぁぁぁ」


揺れている視界の中、手探りでお見舞い品たちを抱え込んで情けの無い声を上げる。これを俺なんかに贈ってくれた皆の暖かさがあまりにも身に沁みた。
彼が死んでから今までずっと凍りついていた涙線が、一気に緩んでしまったみたいだった。ずっと泣けなくてやっと泣けたと思ったら、今度は涙が止まらない。


「……れん、じ……」


れんじれんじと何度も何度も名前を呼んで、止まらない涙でベッドをびしょ濡れにしながら嗚咽にむせた。
握りしめた手の中で、丸井のくれた甘ったるそうなスナック菓子が、脆い音を立てて崩れ落ちた。




君がいないと何もできないよ
弱い僕に君はいつも勇気をくれたね







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