もう彼はいないのに、君は俺を見てくれないね。
君の心は今どこにありますか?
どうして、俺では駄目なのですか?










哀しみの孵る場所










平日の朝、彰子を迎えに行くのは俺の役目だった。それは彰子と精市が付き合い始めてから無くなり、そして精市が病に倒れてから復活した日課だ。
今日もその日課の通り、彰子の家のチャイムを鳴らす。すると、待ち構えていたかのように玄関が開いて、制服を着こんだ彰子が飛び出してきた。


「おはよう、蓮二!」
「おはよう。今日も寝坊せずに起きれたようだな」
「もちろん!最近、調子いいの」


一人で歩くときよりもほんの少しだけ歩調を緩めて、通学路を辿る。一人で歩くときよりも時間がかかるものの、それを考慮して時間を調整しているので遅刻の心配はなかった。


「今日も朝練あるの?」
「ああ。もうすぐ関東大会だからな。ほぼ毎日朝練がある」
「大変だね。今度、何か差し入れでも持っていこうか?」
「それは嬉しい提案だな。丸井や赤也辺りが喜びそうだ」
「ブン太は少しダイエットしないとまずいんじゃない?」
「その言葉、本人の前で言ってやってくれ」


言えない言えない、と彰子は笑いながら首を振る。そうやって丸井の心配をしながらも、彰子はきっと差し入れを持ってくるだろう。部員が喜ぶ様子を精市に話そうと思っているのだ。


「放課後も部活?」
「いや……今日は休みだ。練習しすぎてもいけないからな」
「あ、じゃあ一緒にお見舞いに行けるね!」
「………そうだな」


あの日、記憶障害と診断された彰子は、それから毎日病院に通っているらしい。本人はお見舞いのつもりで。
けれど、もういない精市を見舞えるはずもない。あしげく病院に通う彰子は、その度に看護師に止められて家に帰されるという毎日を送っている。
ひどい時には精市が使っていた病室に入り込む事もあるという。今は空っぽの病室で泣きながら精市を探しているのだ。
何度その病室で泣いても、彰子は精市の死を認めない。次の日にはそうやって泣いたことさえ忘れて、また病室に向かうのだ。


「彰子、今日は見舞いに行くのはやめないか?」
「どうして?」
「毎日だと、精市も疲れるだろう」
「ダメだよ。だって、また明日って約束したんだもん」


もう何日経ったかも分からない昨日の約束を、彰子は信じ続けている。
精市のいない病室で泣いて、そのことを忘れ、また約束を守ろうとするのだ。


「そうか。では、俺も久しぶりに見舞いに行こう」
「うん、きっと精市も喜ぶよ」


そう言って笑う彰子の笑顔が、今の俺には何よりも痛かった。






「ねぇ、蓮二……精市は?精市はどこに居るの?」


そして、また彰子は同じ事を繰り返す。人目を忍ぶように精市が使っていた病室に忍び込み、そこに精市がいないことを知るのだ。


「彰子……精市はもういない」
「どうして?どこに行っちゃったの?私を置いて、どこに行ったの?」
「……もう、いないんだ」


そう呟くたびに、その事実を何度も何度も突きつけられる。もう戻って来ない。もう帰ってこない。
彰子の傍で笑っていた彼は、もう二度と。


「嫌だよ……だって、また明日って言ったのに…」


その頬を流れる涙を止める術を、俺を持っていなかった。どんなに俺が言葉をかけても、いくら傍に寄り添っても、彰子は泣きやむ事はないのだから。

精市。お前は今どこに居る?どうしていなくなった?
どうして彰子をこんなにも縛りつけているんだ。そうやって縛りつけて、もう離さないつもりなのか。

白いシーツの引かれたベッドに縋りついて、とめどなく涙を溢れさせている彰子の肩に手を置いた。


「彰子、精市はここにはいないんだ」
「じゃあ、どこに居るの?」
「それは……」


彰子に、笑って欲しかった。昔のような無邪気な笑みを浮かべて、俺の隣ではしゃいでいて欲しかった。
ただ、それだけで良かった。本当に、それだけで。
それ以外のことなんて、何一つ望みはしないのに。


「精市は、転院したんだ」
「てん、いん……?」
「そうだ。病が悪化したから、それを治療するために転院した。遠い病院で気軽に通えるような場所じゃない」
「そんなの……聞いてないよ……」
「急に容体が悪化して、昨夜の内に運ばれたとさっき受付で聞いたんだ。だから、精市はここにはいない。しばらく会えない」


すらすらと出てくる嘘に自分でも驚いた。同時に嫌悪感に駆られる。
俺は一体何を言っているか。こんなつぎはぎだらけの嘘をついて、何になるというんだ。
そう思っても唇は勝手に言葉を紡いでいた。とても醜く、浅ましい嘘を。


「精市の病気が特別だということは知っているな?」
「うん。ギランバレー、だっけ?」
「その類似病だ。その治療のためには特別な施設が必要になる。その為の転院の計画があったんだが、それを彰子に話す前に体調が悪化して急遽転院となったようだ。俺も先ほど聞いて驚いた」
「帰って、くるんだよね?」
「勿論だ。治療が終わり次第帰ってくるだろう。ただ難しい治療だから時間がかかると言っていた。だから気長に待つと良い」
「うん、分かった。ありがとう、蓮二」


ありがとうだなんて言葉を言われるような立場じゃない。むしろ罵倒され蔑まれるのが妥当だ。それだけの事を、俺をやったのだ。
すぐにばれてしまいそうな嘘を吐き、まやかしの希望を彰子に持たせてしまった。
その希望が壊れた時、彰子は一体どうなってしまうのだろう。
その先を考えると未来が無性に怖かった。
精市が居た頃は閉じられていることが多かった窓を見つめた。それは今、全開といっても過言ではないくらいに開き、涼しい風と真っ赤な夕日の色を室内に取り込んでいる。
その真紅に染まった風景が全てが壊れてしまう日はそう遠くはないと告げているようで、それ以上直視することができなかった。


なぁ、精市。
もしもお前が今の俺を見たら、馬鹿だなと笑うだろうか。無力な俺を嘲笑って、真っ直ぐな瞳で俺を貫くだろうか。
それでも、俺にできることはこれしかない。お前が縛りつけた彰子の心を解き放つ術を、俺は持っていないのだから。





第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -