精市と彰子は、周りから見ても仲の良い恋人だった
精市は誰よりも彰子を大切にしていて、彰子も誰よりも精市を慕っていた
どちらとも仲の良い俺は、中継地点になるしか選択肢は残っていなかった








「私ね、精市と付き合うことになったの」


蓮二、蓮二、といつもと同じように家に駆け込んできた彰子は、無邪気な笑みを浮かべたまま俺にそう告げた。
その笑顔は昔と同じような笑顔なのに、昔よりもとても幸せそうで、その幸せを生んだのは俺ではないと思うとひどく胸が痛んだ。
そうか、と返すしか無くて、その声は震えてはいなかっただろうか。もしかしたら、みっともなく掠れていたかもしれない。
祝福の言葉を告げて、引き攣った顔を無理やり笑みの形に歪めて見せると、彰子は本当に嬉しそうに笑った。


「蓮二に一番に知って欲しくて、走ってきたんだよ」


精市も置いてきぼりにして俺の所に来たのだと、そう彰子は言った。一瞬だけ、精市よりも優位に立っている、とそんな浅ましい事を思った。

彰子は俺に知らせるために、精市を放り出して走ってきてくれた。けれど、彰子は俺を選びはしなかったのだ。

その事実と、己の感情が入り混じって、醜い色の感情が出来上がっていた。それを抑え込み、引き攣った顔のままここにいてはいけないと告げた。


「彰子には精市がいるのだから、俺の所に来てはいけない」


そう諭すように言い聞かせると、彰子は拗ねたように頬を膨らませた。


「蓮二は特別だよ、精市も良いって言ったんだよ。私だって、馬鹿じゃないんだからね。ちゃんと、精市に聞いてきたんだから」


得意そうに胸を張って、彰子は笑う。その笑顔を愛しいと思っていたはずなのに、それを見るのが辛くて、悲しくて、そっと目を逸らす。
もう彰子は俺の傍にはいられないのだ。
これからは精市の傍にいるべきなのだから。


「蓮二?どうしたの?」


目を逸らした俺に戸惑うように、彰子が覗き込んでくる。その顔を見ていると、自分の感情を抑えられなくなってしまいそうで、怖かった。
自分の中にある醜い感情が爆発して、それで彰子を傷つけてしまうことだけが怖かった。


「彰子、もう帰ってもらえるだろうか。済ませなければならない用事がある」
「あ…そうなんだ。分かった。邪魔してごめんね」


俺の無礼な言葉にも、柔らかい微笑みを返して彰子は立ち去った。きっと精市の所に行ったのだろう。
そう考えると、胸が痛くて、吐き気がした。大切な仲間の精市に嫉妬している自分自身を、ひどく浅ましいと思う。
精市が悪いわけではない。最後の最後まで、拒絶を恐れて自分から動かなかった俺が悪いのだ。それが分かっているのに、感情を納得させることができない。
どうして、どうして。何故俺はこの想いを伝えなかったのだろう。伝えていれば、何かが変わっていたかもしれないのに。
もはや、叶うことのない願いだけが、俺の中で渦巻いている。
壁にもたれて、ぼんやりと天井を見上げた。その壁の向こうに広がる青い空は、幸せそうに笑う彰子を映しているのだろうか。





付き合ったと聞いた日から、俺は彰子とも精市とも以前と変わらない態度で接しようと努めていた。俺一人の勝手な感情で、二人の気分を害してはいけないから。
それが功を奏したのか、彰子とは仲の良い幼馴染として、精市とは大切な部活の仲間としての関係を保つことができた。二人は俺を信頼し、様々な相談をしてきたり、喧嘩をした時の仲介役に俺を選んだ。
その度に、俺がどんな気持ちで二人を見ていたのか、きっと誰も知らないだろう。嫉妬、羨望、後悔、どの感情もお世辞にも綺麗とは言えなくて、それに気づかれてしまうことだけが恐ろしかった。今の関係を壊して、全てを失ってしまうのが嫌だった。
二人はきっと、幸せだっただろう。彰子は精市に愛され、いつも笑顔を絶やさなかった。精市も以前よりも穏やかな表情を浮かべることが多くなった。人を愛し、愛されるというのことは、人の心でさえも変えてしまう。それは良いか悪いかは、分からないけれど。
彰子が幸せならばそれでいいと、そう思ってみたこともあったけれど、それは俺の欺瞞でしかない。心の奥底では、彰子を好きだという気持ちを消すことができなかったのだから。





精市が病に倒れたのは、彰子と付き合いだしてから数カ月経った時だった。
治る見込みのない重い病気で、それでも彰子は精市の傍で笑っていた。きっと治るから、心配はしてないんだ、といつものように笑っていたのに。死の病に蝕まれ、長い闘病を経て、ついに精市は帰らぬ人となった。






葬式の日の事は、今でもまざまざと覚えている。
沈鬱、という表現がしっくりくる空。一日中降り続けた雨。泣いていた部活の仲間たち。長い間闘病し、苦しんで死んだとは思えないほど、綺麗な顔をしたまま眠っている精市。その棺に縋りついて泣く精市の両親。


そして。
一粒の涙もこぼさず、ただそれを見つめていた彰子。


その時、何かがおかしいと、どこかがずれていると、気づくべきだったのかも知れない。
けれど、俺自身、精市が死んでしまったことに絶望していた。らしくないことを承知で泣きわめきたいほど、胸が痛んでいた。
精市と弦一郎と俺で立海を三連覇に導こうと、一年生の頃無邪気に笑っていたのに。あの時は当たり前だった光景が、今は何よりも遠い。
もう二度と手に入ることはないのだと思ってしまえば、それは少しずつ現実味を失っていき、これから先テニスを続けられるのかどうか、それさえも分からなくなっていた。


異変が発覚したのは次の日。精市が死んだ事をレギュラー以外の部員にも告げ、これからのことについて話をしている最中に、彰子が飛び込んできた。血相を変えて、という表現がしっくりくるほど、慌てふためいて。その場に大勢の部員がいるということに全く頓着せず、彰子は俺に駆け寄ってきた。


「蓮二、精市がいなくなったの!病院にいないの!」


俺のジャージを掴んで、涙目で訴えてくる彰子が、一体何を言っているのか分からなかった。昨日の葬儀には彰子も出席していて、眠るように死んでいた精市を見たはずだ。
なのに、どうして精市が死んだ事を理解できていない?


「彰子、何を言っている。精市はもう───……」
「もう、って何?昨日は普通だったんだよ?明日も来るねって言ったの。明日もお見舞いに来るから、待っててって。だから、私精市の所に行かなきゃ。ねぇ、蓮二、精市はどこにいるの?」
「彰子、少し落ち着け。精市はもう死んだんだ」
「蓮二、何言ってるの?精市が死ぬはずないじゃない。だって、手術してリハビリして、三連覇目指すんでしょう?」


嫌な予感がした。何度、精市が死んだと言っても理解しない彰子。
俺だけではなく、弦一郎や柳生、丸井や仁王。他の誰が言っても、彰子は精市が死んだことを認めなかった。

結局、子供のように精市を求めて泣く彰子を、幼馴染である俺が家に送り届けることになった。
家に帰るまでも、そして家に帰ってからも泣きやまなかった彰子は、両親に連れられて病院に行ったらしい。
そして、彰子は一時的な記憶障害と診断された。





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