移動教室の五限目。
昼休みの早い時間から移動を始めたからか、広々とした三階の渡り廊下には誰もいない。
廊下の両側は一面の窓張りで、校庭と中庭がそれぞれ一望できた。

ふとその大きな窓から外を見やれば、突き抜けるように青い空が広がっている。
本日晴天。白い雲が流れていく以外に、その青を犯すものはない。


「……ちょっと似てる、かな……」


彼の瞳の蒼と、空の青。
決定的に違うものだとは分かっているけれど、似ていなくもない。

立ち止まって空を見上げ、ため息を一つついた。
柳に言われた言葉を何度も頭の中で繰り返し、その後には必ず彼の瞳を思い浮かべた。

あの暗い闇は怖かったけれど、それでも彼の事を知りたいと思う気持ちは消えない。
唯一顔を知っている柳はどうにも教えてくれそうにないし、かと言って彼本人には聞きにくい。
だからこそ、他の七不思議を訪ねてみようと思ったのだけれど……。


「……噂なんて、聞かないもの……」


噂を交わす友達はいなければ、それを聞くことすら難しい。
女子たちの噂は基本的に秘密事のように密やかなものだから、立ち聞きもできない。
あの授業で噂を耳にできたのは、本当に幸運だった。

あの時聞いたのは、三番目の七不思議。
図書館にいる質問に答えてくれる瞳。

七不思議に順番があるのかは分からないが、とにかく残りは六つ。
その中に彼の事を教えてくれるような幽霊はいるだろうか。


「……その前に会わなきゃいけないんだよ、ね……」


もう一度ため息をついて、青い空を見上げながら廊下を進む。

どこにいるだろう。
どんな七不思議だろう。
どうすれば知ることができるだろう。
柳のように拒絶されはしないだろうか。

そんな事をぼんやりと考えながら歩いていたせいだろうか。
真正面から誰かにぶつかってしまうまで、そこに誰かがいるということに気づかなかった。
完全に油断していたからか、大した勢いでもなかったのに反動で尻餅をついてしまう。
手に持っていた教材が廊下に散らばり、ぶつかった相手の足にも当たってしまった。

いきなりの事に呆然とし、ただ硬直して誰かにぶつけたおでこを押さえる。
痛くはなかったけれど、ぶつけた所がひどく冷たかった。


「……ぶつかった、ナリ」
「……ごっ、ごめんなさい……!」


ぶつかってしまった相手がぽつりと言葉を発して、ようやく我に返った。
自分からぶつかっていって、尚且つ教科書を足に当ててしまった。ぶつかられた側としては理不尽すぎる仕打ちだろう。
ぼんやりと前を見ずに歩いていた私が悪い。


「……あの、怪我はない、ですか? 足、とか……教科書ぶつけちゃったし……」
「あー、大丈夫なり。結構頑丈じゃけん」
「……ほ、本当にごめんなさい。ぼんやりしてて……」


教科書をぶつけたであろう辺りを見たけれど、見たからと言って痛みの具合が分かる訳ではない。
見知らぬ相手の足に触れるわけにもいかず、私は顔を熱くさせながら落とした教材を拾い上げるしかなかった。
拾い上げながら何度も謝罪の言葉を口にしたけれど、ぶつかった相手は黙ったまま私を見下ろしているようだった。

全ての教材を拾い終わり、そっと相手の顔を見上げる。
その瞬間、酷い違和感を抱いた。


「……あ、れ……?」
「なんじゃ、人の顔見て呆けて。なんかついとるかの?」


髪が、白い。
否、白というよりは……銀色だ。
さらに言うならば、目が金色に輝いていた。

こんな派手な生徒がいてもいいものだろうか。
校則もここまで緩くはなかったような気がするのだけれど。


「お、一個忘れとるぜよ」
「……えっ……?」


そして、もう一つ。
喋る言葉に訛りがある。

その派手な生徒は床に落としたままだった本を拾い上げ、すっと差し出してくる。
恐る恐るそれを受取ろうと手を伸ばした瞬間、何故だか差し出してきたのとは違う方の手で腕を弾かれた。
ぱちり、と軽い音がして、手が触れ合う。
とても冷たい手だった。


「んー……?」
「……あの、どうかしました、か……?」


差し出されたままの本を受け取って尋ねると、彼はにやりと猫のように唇を裂いて首を振った。
何とも言えない沈黙がその場に落ちて、落ち着かない気持ちになる。
両手に抱え込んだ本をきつく抱きしめてから、もう一度頭を下げた。


「……本当にごめんなさい。これから、気を付けます……」
「気にしとらんし、別によかよ。それより、授業の時間じゃろ?」


そう言われた途端、チャイムが鳴った。
いつの間にか結構な時間が経っていたらしい。

慌ててもう一度だけ頭を下げ、彼の隣を駆け抜ける。
移動先はこの先の階段を下りてすぐの教室だ。今なら遅刻にならずに済むだろう。
背後で彼が何かを言いかけた気がしたけれど、止まることはできなかった。

ぱたぱたと足音を立てながら廊下を駆け、階段の手すりを掴む。
一瞬だけ廊下を振り返れば、青い空を背景に広がる一面の窓が見えた。
けれどそこに、先程の派手な銀色はなくて。
唐突に、目の前の金色の光が過ぎったような気がした。

そんな事を思った瞬間だった。
とん、と軽く背中に衝撃が走る。
押された、と思った時には両足が空中に浮いていた。
息を飲む暇さえなかった。ぐるりと反転した視界に銀色の輝きが過ぎる。
薄く笑みを浮かべた赤い口が猫のように歪んでいた。

崩れ落ちていく自分の身体を他人事のように思いながら、見えなくなるまでその赤い色を見つめていた。



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