「それでお前は噂に聞いた七不思議を試そうとしてここに来たということか」
「……はい……」
「ならば、満足しただろう。七不思議以上に恐ろしいものを見てしまったのだから」


どこまでも静かな、例えるならば風一つない水面のように滑らかな声。
彼のように冷たくも、鋭くもない。話の内容だって、大したものではない。

けれど。
何故だか、彼よりも柳の方が怖い。
こうして向き合っているだけで、ひどく心臓が痛かった。


「……あの、」
「なんだ?」
「……他にも、幽霊っているんです、か……?」
「いるべき所に幽霊たちは存在する。俺と同じように学校内を移動する幽霊もいるが、決まった場所でしか会えない幽霊もいるだろう」
「……彼、は……」


言いよどんで俯いて、その瞬間なんとなく理解した。

柳が怖いと思うのは。
彼のように冷たくも鋭くもない柳が、こんなにも恐ろしいのは。

柳が私を一切受け入れようとしないからだ。
こうして会話をしていても、その答えはひどく遠くから響いているかのように曖昧で、そして実際に遠い。
会話をしているはずなのに、私と柳は平行線のまますれ違っていない。

どこまでも静かだと思えた声は、今ではどこまでも拒絶した声にしか思えなかった。


「……彼は私に、自分は驚かせるための幽霊じゃないと……」
「その通りだ。精市の存在理由と俺の存在理由ははっきり言って真逆。だからこそ……」


途切れた言葉の続きを待って柳の顔を見上げたけれど、彼は私を見ずにどこか遠くへと視線を飛ばしていた。
その横顔に言葉をかけようと口を開き、けれどもかける言葉を見つけられずに口を閉ざす。

沈黙が降りた図書室に、授業の終わりを告げる鐘が響いた。


「……あ、……」
「時間だな。……望みは叶ったのだろう。いるべき所に戻るべきだ」
「……あの、私……」


尋ねたいことがあった。
柳との会話で少しだけ彼の事が分かったような気がしたけれど、もっと他の事も知りたかった。
彼の事だけじゃなく、柳の事も、他の幽霊の事も。

それに、なにより。
あの時の彼の瞳の冷たさ。
怒りを含み、それでいてあまりにも凍てついてしまった瞳。

どうして、彼はあんな目をしたのだろう。


ふわりと宙に浮かび上がった柳を追って数歩踏み出す。
柳は私を振り返らずに書架の隙間を抜けて、本の群れのどこかへ消えてしまった。

辺りを見回しても、どこにもその影はない。
それでも諦めきれずに書架の隙間を縫うように彷徨っていると、書架の影から唐突に闇が飛び出した。


「……ひっ……!」


ずるりと伸びてくる闇が、尻餅をついた私の足を掴む。
冷たい泥の感触がはっきりと伝わって、全身に鳥肌が立った。


「一つ、忠告しておく」


落ちてきた声に顔を上げれば、闇の蠢くその向こうに長身の影が映っていた。

暗い闇を凝縮したような瞳が、私をじっと見つめていた。


「あまり深入りをしないことだ。俺たちとお前では住む世界が違う」


闇がずるりと足を這いあがり、ひんやりと冷たい感触が地肌を覆う。
あまりのおぞましさに息が詰まり、声が少しも出てこなかった。


「俺たちの前で、お前のような人間はあまりにも無力なのだから」


下半身を覆うまで這い上がってきた闇を払おうと手を伸ばせば、逆に手が呑まれた。
呑まれてしまった手を引き抜こうともがいても、まるで固いゼリーに包まれたかのように手ごたえがない。

喘ぐように息を継いで、静かな黒い瞳を見上げた。
そこに映るのは、闇に絡め捕られてもがく私の姿だ。


「……どう、して……」
「忠告はした。これからどうしようとお前の勝手だが、無謀な好奇心は身を滅ぼすという事を覚えておくといい」


言葉の途中で柳が手を上げると、突風が吹いた。
ばたばたと激しい音を立てて、書架の本が床に落ちる。

言葉の余韻が消えるのとほぼ同時、風もぴたりと止んだ。
恐る恐る辺りを見回しても、そこには闇も柳もいなかった。
ただ、床に転がった本が乱雑に転がっているだけ。

呑まれていた腕をさすり、その冷たさにぞっとする。
下半身も完全に冷え切ってしまっていて、白を通り越して青くなってしまっていた。


「……さ、むい……」


歯の根が合わない。
がちがちと硬い音を響かせているのが自分の歯だと気づいた瞬間、図書室に奇妙な笑い声が響いた。

子供が楽しげに笑っているかのような声。
幾重にも反響するそれは、気のせいか少しずつ近づいてきているようだった。
のろのろと身を起こして、うまく動かない足で書架の間を駆け抜ける。
何度か転びそうになったけれど、その度に足に何かが触れたような気がして、止まることはできなかった。

ぐるぐると辺りで響く笑い声がほとんど耳元に近い所で響いた瞬間、最後の書架から飛び出した。
閲覧所にはいつの間にかちらほらと生徒がいて、自分以外の誰かがそこにいることにほっと息をついた。
気が付けば笑い声は消えていて、走ったおかげか足にも血が通い始めて寒気が遠のいていく。

ちらりと後ろを振り返れば、書架の隙間に潜む闇が蠢いているように思えてぞっとした。


「あなた、大丈夫? 顔色が悪いわよ?」
「……あ、大丈夫、です……」


心配そうに声をかけてきた司書の先生に言葉を返しながら、それでも視線を書架から離すことができなかった。
そこに確かに潜んでいるだろう闇が、背後から忍び寄ってきているような気がして恐ろしかった。




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