例え、遠く離れても
例え、運命が二人を裂いても
絶対に忘れない、忘れたりしない

鬼に為りかわってしまっても、この想いをこの記憶を失う事だけは自分に許さない
鬼と為って衝動にかられても、この想いがあれば君を傷つけずに済むかもしれない
幸村精市という存在の全てがこの世から消えてしまったとしても、それでも君だけを覚えていたいから


鬼へ堕ちていくだけの俺に残された、最後の我儘
悲しむだろう彼女を残して、そんな事を願うなんて身勝手だとは分かっていた

一方的に彼女の前に姿を見せて、いつかは別れが来ると分かっていながらあのぬくもりに縋った
真実を少しも告げず、何もかもを隠して、自分の事だけを考えて彼女から逃げ出した

そんな愚かな俺を、彼女は許してくれるだろうか


泣かずにいてくれれば良いと、
どうか笑っていてほしいと、

―――この存在全てが消える時まで、俺はそう願い続ける







闇。闇闇闇闇闇。黒い光と闇が混ざり合い、どこまでも昏い世界が広がる空間。自分の存在がそこに溶け出して、じわりじわりと消えていくのが感じられる場所。溶けていく。溶けてなくなってしまう。私が、私という存在が。記憶が、想いが、感情が、何もかもが。全て、消えて、なくなって――――違う、そんなものは、ない。最初から存在しない。ここにあるのは溶けて消えてしまうだけの滓だ。どこかからか流れてきた何かの残滓。私はもういない。私は……わたし、ってなんだろう。わたしなんて知らない。わたし、は――――。


「しっかりしろ!」


消えて、溶けて、なくなりかけていた私の両手両足に何かが絡みついた。その感触が引き金になって、何処かへ消えようとしていた私という存在が実体化する。
その奇妙な感覚に戸惑いながら目を開けば、両手両足に闇が絡みついているのが見えた。ぼんやりとそれを見下ろして、しばらく考えてからそれが柳の使役するものだと気づいた。


「……やな、ぎ……?」
「ええ、柳君と私です。莉那さん、大丈夫ですか?」
「……柳生、もいるの……?」


闇が私の身体をゆっくりと引き摺り下ろし、真っ黒い闇の中の足場のような所へ誘った。一体、足の裏が何を踏んでいるのかは分からないが、とりあえず立つことはできる。
見えない床に立っている感触を気持ち悪く思いながら、辺りを見回せば少し離れた所に柳と柳生の姿を見つける事が出来た。


「何故お前がこんな所にいる。異界に人間が来るなど、前代未聞だ」
「ここに道を繋ぐとすれば……仁王君、ですか?」
「……私が、頼んだの……どうしても、幸村君に会いたくて……幸村君を、助けたくて……」
「莉那さん、その気持ちは大変よく分かるのですが、異界は危険な所です。貴女は人間ですから、この場に耐える事すらできないのです」
「精市を助ける術などない。異界に留まる事すらできない人間にできる事がある筈が……」
「……方法があるの! 私は幸村君を助けに来たの! だから、お願い、私を幸村君の所へ……」


柳の言葉を遮り、必死の思いで言い募る。このまま現世へと還ってしまったのでは、ここまで来た意味がない。仁王の協力も水の泡になってしまう。
胡乱な表情で私を見やった柳が、不意に目を見開いて私を睨んだ。


「お前は、まさか……図書室の本を読んだのか」
「……うん。だから、私……」
「いけません、莉那さん! その方法を貴女にとらせる訳にはっ……!」
「……柳、柳生。私は幸村君を助ける為に来たの。だからっ……」
「その方法を取ればどうなるか、お前は分かっているのか。それによって精市がどれだけ傷つくのか理解しているのか!」


柳の剣幕にさらに言葉を言い募ろうとしていた柳生が口を閉ざす。見開かれた闇の瞳を見返して、私は両手をきつく握りしめた。
柳の言葉は、きっと正しい。私が彼の為を思えば、それだけ彼を傷つける事になる。
けれど、それでも。彼に消えて欲しくないと、私は願った。


「……私は、幸村君の所へ……」
「いくらお前が覚悟を決めても、それは不可能だ。先程、お前の存在は殆ど闇に呑まれかけていた。それを無理矢理引きずり出したが、それも長くはもたない。助かりたければ柳生の力で現世へ―――」


そう柳が言いかける間にも、じわりじわりと先程の感覚が忍び寄ってくるのを感じた。自分がまたどこか遠くへ溶け出して、消えていく。
それに抵抗しようとするのに、自分を押さえようとすればするほど、するすると糸が解けるように何もかもが闇へと溶け出した。


「……やめて、私は幸村君をっ……助けるために……!」


想いが、消える。言葉が途切れて、目の前が真っ暗になった。
微かに聞こえた柳生の叫びと、指先を掠めた柳の闇の感触。それを最後に、私はまた闇の中へと消えていく。

消えて、溶けて、失って。何もできずに、何一つやり遂げる事が出来ずに。世界に溶け込むことができなかった出来損ない。そして初めてできた友達を救う事すらできない愚かな人間。あんなにも彼は私の為に想いを向けて沢山の事をしてくれたのに、私はそれに報う事すらできずに消えていく。情けない、悔しい、不甲斐ない、辛い、悲しい。彼の為に、彼の事を、ただ救って――――。


不意に、右側のポケットから冷気が溢れ出した。それが消えかけて溶けかけて、どこか遠くへ流されていた私を繋ぎとめる。
上手く動かない指先でそれを掴み取れば、固い枷の欠片が手の中で確かな感触を持った。

思い出が、約束が、言葉が、一気に溢れだして私を包み込む。
どこまでも冷たい闇の中で、それらはひどく暖かく私を繋ぎとめた。


約束を、した。
他愛のない、小さな約束を。
守れない、悲しい約束を。

言葉を、貰った。
私を想う、悲しい言葉を。
彼が願う、切ない言葉を。

思い出が、ある。
世界の中に交わった私と。
世界の外から見つめる彼と。


枷から放たれる冷気が増す。その凍える様な冷たさは、彼の蒼い瞳とよく似ているような気がした。
彼が断ち切った枷の糸は、まだどこかで繋がっているのかもしれない。断ち切られてしまっても、その痕跡は完全に消える事は無いのかもしれない。

だからこそ、私はこの欠片に繋ぎとめられたのだ。


「……幸村君……」


はっきりと自己を保ちながら、私は闇の中で一歩踏み出した。
柳と柳生の姿は見えない。先程闇に溶けかけた時にはぐれてしまったのだろう。もう一度会う事ができれば良いのだけれど。

進んでいるのか、戻っているのか、それすらも分からない闇の中、私はただ足を進めるしかない。枷の欠片を胸に抱けば、その冷たさが私を励ましてくれた。
人間が存在できない筈の異界まで来たのだ。もう少し頑張れば、彼を救う事が出来る。
その願いが、今の私の全てだった。







「見失ってしまいましたか……」
「既に闇に溶けた可能性も高い。人間の闇への耐性は皆無だ」
「本当にあの方法を取るつもりなのでしょうか」
「あの人間ならばそれも可能だ。しかし、精市の元へ辿りつく可能性は5%にも満たない。闇に呑まれなかったとしても―――鬼に出会えば、逃げる事はできないだろうな」


低く言葉を吐き出して、柳が周囲に巡らせていた闇を呼び戻す。かなりの範囲を捜索したが、その存在の欠片さえ掠める事は無かった。
柳生が眼鏡を押し上げてから、ため息交じりにこちらを見やる。


「現世の状況がどうなっているのかが分からない以上、何故仁王君が彼女をこちらへ送ったのかも謎のままですね。一度、現世へ戻るべきでしょうか」
「お前の力でもそうそう道を繋ぐ事はできないだろう。迂闊に戻ってこちらへ来られなくなれば、情報を集めに行った意味がなくなる」
「そうですね……」
「仁王の真意は分からないが、おそらくは単独行動だ。弦一郎があの方法を認めるとは思えない。赤也は別として、丸井もそれを願う事は無いだろう」


広大な空間を見据えて、昏い瞳が開かれる。闇たちがざわりと辺りで蠢き、そのざわめきがゆるやかに広がっていく。


「もしもあの人間が闇から逃れたとして、向かう先は精市か」
「ですが、場所は分からない筈では?」
「そもそも、あの人間がここに来ることすら予想はできなかった。ならば、さらに予想外の事態が起きても驚く事はない」
「幸村君の傍で待つのが得策、でしょうが……問題は私達も彼の居場所が分からないという点ですね」
「気配は感じられる分、先に辿りつく事はできるだろう。時間がないのは精市もあの人間も同じだ」
「では、幸村君を探しますか?」
「それが一番の策だな。精市の気配を感じる以上まだ鬼化はしていないのだろうが、それがどこまで続くかは予想できない。とにかく現状を知る必要があるな」


鬼対策の闇を広げながら決断し、柳がふわりと浮かび上がる。柳生がそれに続けば、その周囲を取り囲んだ闇たちが一斉に追従した。
それを感じながら、柳が小さく舌を打つ。その音は闇のざわめきに呑まれ、柳生には届かなかった。




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