「つい先日、ジャッカルが昇華した。封印としての七不思議はもう存在しない。心残りを満たせば、俺も他の七不思議たちも、順次昇華していく事になるだろう。決して幸村を救う事を諦めたりはせぬが、数を減らせばそれだけお前に話をする余裕がなくなる事も事実だ。だからこそ、このような方法でお前を呼び出した」
「……そっか……」


長く続いた真田の話がようやく途切れ、沈痛な面持ちをした彼が静かに視線を逸らす。
それに相対する私はどこか呆然と目を見開いて、今聞いた内容を頭の中で反芻する事しかできなかった。


誰かが昇華した。昇華したという事は、消えるという事。それはとても悲しいことのはずだから、もっともっと悲しまなくちゃならない。きっと誰かが消えた事を悲しむ誰かがいて、とても傷ついて、苦しんでいる筈だから。

けれど、真田の語った話で考えていた事が全て飛んでしまって、最早何も考えられなくなっていた。
真田の言葉は簡潔で、必要最低限の事実を告げるだけだったけれど、だからこそ綺麗に頭の中に入り込んでくる。


彼は異界へと消えた。

自ら枷を外したのは私を守るため。
自ら異界へ堕ちたのも、闇から私を守るため。

疎まれたのではない。
むしろ、想われていた。
そして、守られていた。

けれど、だからこそ彼は追い詰められた。


もしも、私に力があれば。
彼にもっともっとしっかりとした枷を嵌めるだけの力があれば。
そうすれば、彼の運命を変えられただろうか。


「俺たちは一度幸村の様子を見に行くつもりだ。だが、お前はもう俺たちの事は忘れた方が良い。酷な言葉だとは分かっている。身勝手な願いだとも理解している。だが、目を失った以上、お前は普通の人間だ。何もなかったかのように、人間として生きていくべきだ」
「……それ、は……」
「これ以上、お前が傷つくことを幸村は望まぬ」


端的な言葉に込められるのは、真田の優しさと彼の残した意志。


全てを忘れて生きていく。
彼との思い出も、七不思議たちとの記憶も、全てを消し去って。

初めてできた友達。
何にも代えがたい幸せな思い出。
そのすべてをなかったことにして。
今も苦しんでいる彼を、居なかった事にして。

自分の中に封じて、見ないふりをして、生きていく。


屋上で苦しんでいた彼の姿が浮かぶ。あれはきっと、自分の力を抑え込んでいたのだろう。
何も知らなかったからこそ、彼の優しい嘘を信じて、私は無邪気に笑っていた。

彼にとっては残酷でしかない、ひどく儚い約束を交わした。
彼が告げた意味の分からない言葉も、全てを知ればとても深い意味を持つ。

そのどれもが、彼の優しさに満ち溢れていた。


「……そんな事、できないよっ……だって……だって、どうやったってこの想いを消せない。この記憶もこの願いも、全部全部消す事なんてできないっ……!」


もう一度、彼に会いたい。
冷たい瞳で、冷たい言葉を吐いて、そして冷たく笑う彼に。

分かりにくい優しさで想われていたのなら、それを知った上で彼に告げたい言葉がある。
自分の中に残る不甲斐なさと悲しさと、そしてこの愛しさをちゃんと彼に知って欲しい。


その願いが自分の我儘だとは分かっていた。
もう全てが遅く、手の届かない場所へ行ってしまったという事も。

けれども、あっさりと真田の言葉を受け入れてしまう事は、絶対にできない。


ぼろぼろと零れ始めた涙を拭って、ポケットに沈み込んでいる欠片を服の上から握りしめる。
いつだって私は真実を知るのが遅すぎて、何度も何度も彼を傷つけて。それでも彼は私の傍にいてくれたのだ。


「幸村が今いるのは異界だ。人間のお前では行く事すら叶わぬ場所。お前が全てを忘れられずとも、できる事は無いのだ。だからこそ……」


真田の言葉は真っ当なものだ。どうやっても超えられない壁が、高く高く私たちの間にはあるのだから。

ぼんやりとその事実を噛みしめて、高ぶっていた心が沈み始める。次いで浮かぶのは絶望に近い諦念だ。


「……じゃあ、……」


言葉が続かない。何を言えばいいのか分からない。
真田の静かな瞳が、その視線が痛い。

私が彼の為にと願うのは、最早私の我儘でしかないのだ。


「副部長、もうほっときましょうよ。人間は何もできないんだし……」
「赤也っ! お前は……!」
「……そうだね。私、ただの人間、だもんね……」


赤也と呼ばれた彼が何を思っているのかは分からないけれど、その言葉はとても正しいものだ。
零れる涙を止める事を諦めて、のろのろと立ち上がる。枷の欠片がある事を確認して、こちらを見やる真田に背を向けた。


「……今までありがとう。迷惑をかけて、ごめんなさい……」


呟くような声でそう告げて、返事を聞かぬままに和室から出た。世界がぐるりと変わる感覚で、自分が現世に戻った事を確認して和室を振り返る。
狭間という空間を出てしまった私は、もうこの世に在らざるものを捉える事はできなくて、そこには静かな和室が広がっているだけだった。

見えないけれど、そこにいるであろう彼らに頭を下げて、後ろ手に襖を閉じた。
とぼとぼと廊下を歩きながら、次々と溢れる涙を見られないように深く俯く。廊下に落ちた小さな雫が、私の足跡のように点々と跡を残した。

胸の痛みが前へ進む度に激しさを増して、留めようとするのに涙が止まらない。
何が苦しいのか、悲しいのか、それすらどろどろと溶け出して、形を失って零れていく。


特にどこへ行くという意識もなく足を進めれば、いつの間にかあの薄暗い廊下へとやってきていた。
ここに通う事が癖になってしまっているからだろうけれど、今はここにいても胸が苦しくなるだけだ。

それに、もうここに来ることもない。
彼がここにいない事が、はっきりと分かったのだから。


自然と視線が廊下の隅に向かうのを感じながら、後ろ髪を引かれる思いでそこに背を向ける。
立ち止まってしまえば、すぐに座り込んで惨めに泣く羽目になるのが目に見えていた。

のろのろと廊下から離れて、昨日仁王と出会った曲がり角に差し掛かる。
昨日と同じように明るい世界へ踏み出せば、唐突に世界が捻じ曲がった。


「……っ……!」
「おー、よう泣いとるのぉ。真田によっぽどの事言われたんじゃな」
「……に、おう……」
「今日は気合いが入っとるけん、ちょっとは時間が稼げる。じゃけど、それでも時間がないのは同じじゃ。ちゃっちゃと話進めるきに、よう聞きんしゃい」
「……え……?」
「真田に何言われたんかは俺の想像じゃけん、微妙に話がずれるかもしれん。そこらへんは適当に辻褄合わせときんしゃい」


先程、全てが終わったのだと思っていたのに、こうやって当たり前のように姿を見せられると頭がついていかない。
呆然とその銀色を見上げれば、仁王がにやりと人の悪い笑みを浮かべた。


「お前さん、幸村を助ける方法を探すんじゃ」
「……助け、る……?」
「そんな方法があるんかどうか、俺には分からん。じゃけど、柳が何も手を見つけられんかったなら、多分幽霊じゃ幸村を助ける事ができん。じゃが、お前さんは人間じゃ。もしかしたら、何か手があるかもしれん」
「……でも、私……」
「人間が異界に行くことはできんと言われたんか? そこは心配せんでええ。俺が異界への道を開くきに、その道を通って行きんしゃい。ただし、人間は異界では生きていけん。それに、幽霊でさえ危険な目に合う場所じゃ。その先でどうなっても自己責任になる。それでも、命をかけてでも幸村を救いたいと思うなら、その手段を探しんしゃい」
「……手段……」
「幸村が決めた覚悟をひっくり返して、あいつをこちら側へ引きずり戻すだけの手段じゃ。お前さんが幸村を諦めると言っても、それはそれで構わん。俺は可能性を示しただけじゃけんの。俺はしばらくここにおる。見えんかもしれんが、ここに来て声をかければ聞こえとると思いんしゃい」


一方的にまくし立てて、仁王がもう一度笑みを浮かべてみせる。

どうして同じ七不思議なのに仁王がこんな事をするのだろう。
その疑問を口にしようとした瞬間、もう一度世界が変質する。


「手段を。幸村を救う―――……」


最後に響いた声を最後に、仁王の気配が掻き消えた。
呆然と廊下の隅に立ちつくす私を、一人の生徒が不審そうに見つめてどこかへと歩き去っていく。

現世に戻ってきたのだと自覚すると同時に、涙が止まっていることに気づいた。


「……手段、を……」


彼が私を想って決めた覚悟を否定する手段を。
そして、それを以て彼を救う希望を。


人間だからこそ、と真田が拒む。
人間だからこそ、と仁王が願う。

そのどちらも真実で、けれど願う心と見つめる先が違う。
犠牲と厭う真田と、犠牲にするものを選ぶ仁王と。
二人のどちらが正しいのかは、私には分からない。


目を閉じれば、夢の中で彼が告げた言葉が過ぎった。
そして、彼が教えてくれた花の名前も。

彼が残した言葉に何か意味があるのだとしたら、その花にも何か意味がある筈だ。


自然と動き出した足の向かう先は、どうしても苦手意識の拭えない場所。
きっとそこで、花が告げる言葉を知る事が出来るだろう。



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