満開に咲き誇る花々。
辺りに噎せる甘い香り。
吹き抜ける風と流れる雲。

どこまでも青い空に、彼が笑う。


幸村君、と声にならない声で名前を呼べば、彼はゆっくりと振り返って私を見た。
穏やかさだけを宿した透明な瞳が、私を映して柔らかく微笑む。

日の光が彼を背後から照らして、一瞬神々しいと思える程の美しさを醸し出した。


どうしたの、と彼が笑う。
その白い手が伸ばされて、そっと私の髪を撫でた。

どうして、と呟けば彼は子供のように笑顔を浮かべて首を傾げる。
その辛うじて蒼を帯びた透明を泣きそうに歪ませて、彼は笑った。

約束を、と単語だけを呟いた彼がゆるやかに辺りを見回した。
咲き誇る色とりどりの花びらが風に乗って辺りを舞う。

花弁の乱舞の中心で、私と彼は向かい合っていた。


髪に触れる手に自分の手を重ねれば、そこにはぬくもりがあった。
それに違和感を覚えながら、ほんの少し力を込める。

指先が微かに頬を撫でて、その感触に涙が零れそうになった。


シオン、と遠くから響く声が花の名を告げる。
その花言葉は、まだ知らないままだ。

もう一度花の名前を呼んで、彼が笑顔のまま背中を向けた。
待ってと叫んだつもりなのに、どうしてかそれは声にはならない。

湧き上がる風に舞う花弁が、私と彼の間を激しく吹き荒れる。
振り返らない彼の名を呼びながら一歩踏み出せば、さらなる勢いを持って風が吹いた。

思わず顔を庇って目を閉じ、その風をやり過ごす。
すぐに目を開いたのに、そこに彼の姿はなかった。

ただ咲き誇る花々が、噎せるような香りを放つだけ。


名前を呼んで欲しいと、初めて思った。
私が彼の名前を呼ぶように、私の名前も呼んで欲しいと。

その背中さえ見えなくなってからそれを願うなんて、愚かな事なのだろうけれど。







あの日から私は、毎日薄暗い廊下に立ち尽くしていた。


何度来ても、彼が現れる事は無かった。
どれだけ探しても、七不思議には会えなかった。
もう何もかも手遅れで、二度と彼らに会う事は無いのかもしれない。そんな絶望が、私の心を埋め尽くす。

もしかしたら、全部私の夢だったのかもしれない。
彼と出会ったことも、七不思議たちを知ったことも。
友達が欲しくて、世界の中に混じりたくて、そんな私が見た愚かな夢。


けれど、そうやって全てを諦めようとする私の心を、握りしめた枷の欠片が打ち壊す。
手の中に残るそれが、彼が存在していたのだと私に訴えかけてくる。

何度も何度も夢を見て、その度に欠片を握りしめて泣いた。
毎日飽きもせずに廊下に立ち尽くして、どこかに彼がいないかを探し続けた。
七不思議たちも一人も見つからず、私は以前のように誰とも会話を交わすことなく日々を過ごしていた。


一度暖かさを知ってしまった心に、孤独という冷たさは痛いほどに染みる。
この冷たさこそ夢ならと、そんなどうしようもない事を願った。


「……幸村君……」


自分の声だけが虚しく廊下に響く。
その名前に縋っている私を見たら、きっと彼は笑うだろう。

冷たく笑って、辛辣な言葉を吐いて。
その声を聞きたいと願う私は、どこまでも愚かだ。


甲高い音でチャイムが鳴り響く。この音が聞こえたら、私は帰る事にしていた。
きちんとけじめをつけておかないと、延々とこの廊下に立ち尽くしてしまうだろうから。

のろのろと床に置きっぱなしにしていた鞄を拾い上げ、廊下を歩き出す。
薄暗い廊下の隅から闇が湧き出さないか心配だったけれど、これまでそれに出会った事は無かった。

今の私ではそれを見る事ができないだけで、学校中にそれらは蠢いているのかもしれないけれど。



薄暗い廊下から、一歩踏み出す。

その瞬間、世界が変質した。



「……え、……」



何度か感じた事のある感覚。
現世から狭間へと足を踏み入れる瞬間。

呆然と目を見開いた私の前に、銀色の輝きがあった。


「……に、おう……」
「―――時間がないきに、手短に話す。お前さん、明日和室へ行きんしゃい。そこで真田が待っとるぜよ」
「……どうして……あんなに探したのに……」
「俺がここで説明しとる暇はなか。俺だけの力じゃ狭間を開き続ける事はできん。よう聞きんしゃい。明日、和室へ―――」


ぶつん、とラジオの電源が落ちるかのようにぶつ切りに声が途切れた。
気づいた時には仁王の姿はどこにもなくて、明るい廊下が広がっているだけ。

あまりにも唐突だった再会は、私の頭を混乱させただけだった。
形になりきらない沢山の問いが脳内を埋め尽くして、私は身じろぎすることもできずに廊下に立ち尽くす。


明日和室に、と仁王は言った。
そこで真田に会ったら、何かが分かるのだろうか。
諦めきれずに悲鳴を上げるこの心を、癒す方法をくれるだろうか。

ずきりと胸の奥に痛みが走って、私は手の中の枷の欠片を額に押し付ける。
ぼろぼろと零れる涙がそれを濡らしてしまわないように、きつくきつく握りしめた。


途切れた道が繋がったのかは分からない。
けれど、もう少しだけ夢を見ても構わないのなら。

彼にまた会いたいと。
ただ、それだけを願う。







「言われた通り、言葉は託した。じゃけど、どうするつもりじゃ。あの人間、明らかに見る力を失っとる。無理矢理狭間を開いて引きずり込んで、それで話すのがやっとじゃ」
「この和室で狭間を開く。俺と赤也が力を合わせれば、事情を話すくらいの時間は稼げよう」
「いくら事情を話したところで、見えんのなら意味がなか」
「それでも、ここまで関わった相手に何も告げぬままでいるのは居心地が悪い。全てを語るのが俺たちの義務だ」
「……この数日間、どれだけあの人間に振り回されたと思っとるんじゃ」


当たり前のように七不思議を捉えていた人間。
彼があの廊下から異界に消えて以来、その目は七不思議たちを素通りするようになった。

少しずつ鬼に近づきつつある彼について話をしようとしても、彼女は七不思議を見ない。何度言葉をかけても、その声にすら反応しない。
彼女は彼女で七不思議を探して学校中を駆け回っていたが、場の中でさえ七不思議を見つける事は出来なかった。

そこまで来れば結論は一つしかない。
どんな人間よりも確かに七不思議を見ていた彼女の眼は、力を失ってしまったのだ。


姿は見えない、声は聞こえない、触れる事すらできない。
そうなると、七不思議たちに残された手段はごくわずかだった。

元より、現世で人間と幽霊が通じ合う事は難しい。
ならば、狭間に場所を移したらどうか。

狭間は人間と幽霊が同じ世界に存在できる所だ。
その特性を生かして、ようやく彼女に言葉を届ける事が出来たのだった。


「莉那にその責任がある訳ではない。今重要なのは、幸村の事だ」
「幸村の事をあの人間に伝えてどうする。今幸村がおるのは異界じゃ。人間はどこまでいっても所詮人間じゃろ。異界には行けん」
「それは分かっている。だが、何も伝えずに終わらせる訳にはいかんだろう!」
「あの人間を利用する覚悟がないんじゃろ。なら、余計な希望を持たせる方が始末が悪いんじゃなか?」


冷たく吐き捨てるように告げて、厳格な黒い瞳を睨み付ける。
苛立ちのあまりぶつけた本心は、どうやら真田の心をしっかりと揺さぶったようだった。

己の力を辺りに撒き散らしながら睨みあう二人を、部屋の片隅で縮こまった赤也と丸井が見つめていた。
止めようという思いはあるものの、二人の剣幕に口を挟む隙を見つけられない。


「結局、この数日で俺らは学校中に広まる闇を抑え込んで、あの人間に言葉を届ける努力をしただけじゃ。幸村についての根本的な解決策は、何一つ見つかっとらんじゃろ」
「だから俺が一度異界へ行って幸村の様子を見てくると言っているだろう!」
「そんな事して鬼化に巻き込まれたらどうするつもりじゃ。これ以上、仲間を減らせとでも言うんか?」


狭間と異界のどちらかは分からいないが、とにかく現世ではない別の世界へ消えたままの柳と柳生。
片割れである自分に異変がない以上は無事だと考えても良いだろうけれど、それで安心できる訳がない。

むざむざと柳生を見送った真田に対して、苛立ちが生まれるのも仕方のない事だった。
勿論、それは筋違いの怒りだとは分かっているのだけれど。


「幸村がそう簡単に鬼に堕ちる訳がなかろう!」
「じゃけん、俺は可能性の話をしとるんじゃ! 危険があると分かっとる場所に、そう簡単に行こうとするんじゃなか!」
「行動せねば、何一つ進まんではないか!」
「行動力の使い方の問題を言っとんじゃ!」


いくら争っても、何一つ話が進まないのは目に見えていた。
元々、真田は頭を使って策を立てるのがとてつもなく下手だ。参謀として柳が頭脳を使い、真田が力で押しのけるのが常套手段。
そして、幸村はその後ろで意味深な笑みを浮かべて、不測の事態が起こっても全てを丸く収めていた。

既にその形が望めない以上、どうにかして真田の暴走は防がなければならない。


実を言えば、策がない訳ではないのだ。
きっとそれは、真田には受け入れられないものだろうけれど。

だからこそ、真田に悟られずに準備を整えて、あの人間を利用しなくてはならなかった。


「ふ、副部長……落ち着きましょうよ、ね?」
「仁王、お前もちょっと落ち着けよぃ。そんなに怒鳴り合っても仕方ねーだろぃ」


声が途切れた隙を狙って、赤也と丸井がそれぞれ声をかける。
じろりと金色の目でそちらを睨み付ければ、丸井はひっと小さく息を飲んだ。

それさえも煩わしく思いながら、どうにか深呼吸をして苛立ちを収める。
こんなにも心がささくれだつのは、柄にもなく焦りがあるからだろう。

ふと見やれば、真田と赤也も同じような状況で、赤也が涙目で丸井を見つめていた。


「……やめじゃ」
「なんだと?」
「俺はもう知らん。異界に行くなら好きにすればええ。その代わり、俺は俺のやり方でやらせてもらうきに」
「待て、仁王!」


呼び止める声を無視して、きっぱりと背中を向けた。

あの人間への説明は真田でも十分だろう。
自分はその後で、どう足掻いても人間だけでは覆せないこの状況を、無理矢理ひっくり返す方法を示さなければならなかった。


根本的な解決策は結局見つかっていない。自分にできるのは、あくまで道を繋げることだけだ。
その先をどうするかは、はっきり言ってあの人間に任せるしかなかった。

自分でも無責任だとは思うけれど、これが今の精一杯だ。


「仁王!」


縋るような丸井の声が耳に届いて、けれど絶対に振り向くことはできない。

自分が考えている事を知れば、きっと丸井は泣くだろう。
丸井にとっては大切な友人を、自分は酷い方法で利用しようとしているのだから。

だからこそ、そんなやり方に誰かを巻き込むわけにはいかなかった。


振り向かずに、ひらひらと手を振った。
丸井の声を振り切って壁をすり抜ければ、一瞬だけ残響が耳の奥に残った。

薄く笑みの形に歪む口元を抑えて、静かに空を仰ぐ。
どこかの世界にいるだろう片割れを思って、一つ溜息を吐いた。




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