どこまでも続く、何もかもを呑みこむ闇。
昏い瞳でそれを見透かしながら、柳は静かに絶望を噛みしめていた。

いくら闇たちを使役しても、狭間から現世に出る事はできない。
学校という世界の中で閉ざされてしまった空間は、いくら闇を操る者であっても超える事が出来なかった。
その事実が胸の奥に重くのしかかり、絶望という言葉では表しきれない程の虚無感が全身に満ちる。

どれだけ願っても叶わない。希望の鱗片すら見えはしない。
力の限りは尽くした。それで届かないのなら、この世界にも意味はない。


「最早、手遅れ。完全に詰んだ」


ぽつりと言葉を吐き出して、使役下に置いていた闇たちを解放した。
自らを抑え込む存在を見失った闇が戸惑うようにざわめき、次の瞬間その本能に任せて手近な獲物へと飛びかかる。
どこか達観した表情でそれを見つめて、柳はほんの少しだけ頬を緩めた。

全てを皮肉に笑い、このまま闇に呑まれて消えてしまえばいい。
彼の為に力を尽くすこともできず、離反した仲間たちに報う事も叶わない。
徐々に募るこの恨みはいつか自分を闇に巣食うものへと変えてしまうだろう。別のものへ変わってしまえば、柳蓮二という存在は何一つ残らない。
鬼へと堕ちた自分は大切なものを傷つける事に何の躊躇もない。

むざむざと鬼へ堕ちるのを許容する事などできない。
そうなる前にこの恨みを断ち切らなければならなかった。


大きく伸びあがった闇が、昏い目を見開いて笑う柳を覆い隠す。
自分を冷たく抱いてくれるその存在に身を委ねようと手を広げ、柳は一歩踏み出した。


「いけません、柳君!」


不意に響く筈のない声が暗い闇を切り裂く。感じ慣れた力が柳を包み込もうとしていた闇を打ち払い、思わぬ抵抗にあった闇が周囲をのたうった。
予想外の事に呆然とそれを見つめるしかない柳の傍に、柳生がふわりと降り立つ。
眼鏡の奥の切れ長の瞳が冷たく輝いて、次の瞬間乾いた音が響いた。


「何をしているのですか! あのまま闇に呑まれれば、貴方は消えてしまうのですよ!」
「俺がそれを知らないとでも思っているのか、柳生」
「知っているのでしたら、何故ですか!」


左頬に広がる鈍い痛みを感じながら低く言葉を返せば、更なる勢いで凛とした柳生の声が響き、それに伴って辺りに柳生の力が広がっていく。

時に、仁王が落とした人間を掬う為に異界への道をも開くその力は、どこまでも清い。
だからこそ、この闇の中でも呑まれずにいられるのだろう。


「俺の存在は無意味となった。それどころか、この恨みがさらに深く根付けば俺は鬼に堕ちる。お前たちの邪魔をするのは、誰よりも俺が許せない」
「だからと言って闇に呑まれることを選ぶのですか。貴方に何かあれば、悲しむ人がいるのですよ!」
「どこに悲しむ必要がある」
「……どういう意味ですか」
「俺たちは最早消えゆく運命だろう。仮に何らかの方法で精市を助けても、時間と共に俺たちは昇華していく。悲しみなど必要ない。誰しも同じ道を辿るのだから」
「何故諦めるのです。貴方は幸村君を救う為に、私達から離れてでも道を探そうとしたのではないのですか?」
「言っただろう、俺の存在は無意味となったと。この世界でいくら力を使っても、現世には辿りつく事ができない。俺の考えは見込み違いだったという訳だ」


闇がざわめく。柳生の力で抑え込まれているそれらは、時折隙を狙うかのように闇の先端を伸ばした。
それを視界の隅に捕えながら、柳は静かに言葉を紡ぐ。その答えを聞く度に柳生の顔色が青くなっていくのがほんの少し愉快だった。


「柳生、力を収めろ。俺は闇の呑まれると決めた。闇を操る者には相応しい末路だろう」
「―――貴方は神にでもなったつもりなのですか」
「……なんだと?」
「自分の考えが何もかも正解で、自分がいつでも正しい道を歩んでいるとでも思っているのですか!? 貴方だけが幸村君を救う手だてを持っていると、そう驕るつもりですか!? 幸村君の為に全てをかけているのが自分だけだとでも思っているのですか!?」


普段の穏やかさからは考えられない程、柳生が大きな声を張り上げて叫ぶ。
感情の起伏に呼応して、力がぐるりと渦を巻いた。それに巻き込まれた闇が怯えた小動物のようにずるずると引いていく。


「何一つ間違わずに前に進める人などいないのです! 貴方だけが幸村君を救う為に努力しているわけではないのです! 貴方が幸村君を救えなかったから、幸村君が鬼に堕ちる訳ではないのです! 現世では真田君達が幸村君の為に新しい手だてを探しています。貴方はその努力さえも否定するおつもりですか! 自分だけが特別な力を持っているとでも思っているのですか!?」
「…………俺、は……」
「貴方の事を心配している人の気持ちは考えないのですか。自分を傷つけて、自分の道を閉ざして。それで全てが終わりだとでも思っているのですか。残された人たちがどんなに苦しむことになるか、そんな事すら分からないのですか!」


絶叫に近い声と、見開かれた色素の薄い瞳。
その中に浮かぶのは激しい怒りの感情と、哀しみの色。

いつの間にか柳生の手が襟を掴んでいて、それが少し息苦しかった。


「どうして何も言って下さらないのですか。確かに私達は人を傷つける事を厭います。きっと、貴方の策も真っ直ぐに受け入れる事はできないでしょう。けれど、貴方の策と私達の考えを合わせて新しい手が見つかる可能性は0%ではない筈です」


不意に緑色の宝石のような輝きが浮かんだ。
全幅の信頼を寄せて、自分を先輩と呼ぶ少年。
鏡の世界へ閉じ込められる事になっても、それを考えた自分を責める事もせず、彼は笑って頷いた。

力を失った両手を見下ろして、どうしてだろうと考える。
何がどうなって、こんな事になってしまったのだろう。あの時は全員で彼の為だけを思っていたのに。

その思いは変わらないのに、何故自分は今一人なのだろうか。


「俺は何故……俺がどうにかしなければと思ったのだろうな」


胸の奥にある憎しみの炎と、罪悪感に近い悲しみ。
俺のせいでと自分を責めたのは何故だったのだろう。

無力な自分を詰れば、滑稽なほどに焦りが生まれた。
それに振り回されて我を貫き、その結果がこれだ。
何一つやり遂げる事もできずに、全てから逃げようとして。
結局自ら逃げ出した仲間に助けられた。


「俺は、愚かだ」
「愚かでない人間……いえ、幽霊などいません。間違う事の何が悪いのですか。一度間違っただけで全てが終わることなどないのですよ」
「まだ間に合う、か」
「ええ。……切原君が、柳君の事を心配していました。現世に戻ったら、顔を見せてあげてください」
「赤也に心配されるようになるとはな」


自嘲気味に呟いて、柳生の力の向こう側で蠢く闇に力を向ける。
使役するために力を込めれば、一瞬の抵抗の後闇たちは大人しく従った。


「俺はもう少しこちらで手を探す事にしよう。現世の方は弦一郎に任せておけば大丈夫だろう」
「でしたら、私もお供しましょう。何か心当たりでもあるのですか?」
「あるとは言えないが、とりあえず正しい異界へ移る。ここは狭間と異界が混じっている。異界の奥へ行けば俺たちの知らない場所もあるだろう。そこに何か手がかりがあるかもしれない」
「分かりました。では、行きましょうか」


闇の力で空間を裂けば、更に深い闇が広がる世界が見えた。
その先に身を投じ、追いかけてくる柳生を待って裂け目を閉じる。

重くなった空気を感じながら、闇を使役して辺りを探らせた。
異界の奥に入り込めば入り込むほど、鬼や他の魔物に出会う確率が高くなる。注意を怠れば、闇に紛れて攻撃を受ける可能性もあった。


「柳君、一つお聞きしてもよろしいですか?」


ぽつりと呟くように柳生が問いを投げかける。
振り返って一つ頷けば、柳生は迷うように視線を左右に振った。


「未練がましい問いだとは分かっているのですが……」
「構わない。話し合えば、何かの手がかりを得られるかもしれないからな」
「では、お聞きします。―――七不思議は一度破られた封印です。その形に手を加えて、もう一度封印と為す事は出来ないのでしょうか?」
「想像している形にもよるが、原則は不可能だ。例えば、俺たちが場を変えて別の七不思議となっても、それでは意味がない」


つまるところ、その七不思議は破られた七不思議と本質は同じでしかないのだから。

形を変えると言うのなら、その中身を変えてしまなければならない。


「俺たちはジャッカルを欠いた。その穴を別の幽霊で埋め、尚且つ俺たちも場を一新する。そこまでやればもう一度封印と為れる可能性も0%ではない。だが、俺たち以外にこんな危ない賭けに乗る幽霊はいないだろう」
「そう、ですね」


かつて差し出した、限りない代償。
全てを賭けても彼の事を願える幽霊など、七不思議の他には思い当たらない。
適当な幽霊を捕まえてきて、それに無理やり役目を負わせる事もできなくはないが、それでは意味がないのだ。

暗闇の世界を漂いながら、柳生が悲しげに呟いた。


「せめて、幸村君の恨みを浄化する方法があれば……」
「――浄化の方法は、無くはない」
「本当ですか!?」
「ああ。図書室の本を全て読み漁り、かろうじて古書から見つけた方法がある。だが……これは、不可能だ」
「不可能、とは……」
「精市が精市である限り、この方法は取れない。おそらく、この方法を試す事すら許さないだろう。それに……」


一字一句、頭の中で暗唱できるほど読み込んだ文章。
けれどどう考えても、救われる側の彼がこの方法を享受できるとは思えない。さらに、七不思議たちの独断だけで強要できるようなものでもない。

奇跡を起こす為の方法には多大なる犠牲がつきものだ。この方法もまた、例外ではない。

一番の問題は、その犠牲をどうするか、だ。


「代償が必要になる。それは、俺たちでは差し出せないものだ」
「―――柳君、その方法は一体……」
「聞きたいか。聞けばその考えにとり憑かれるぞ。俺も、何度もその方法を成功させる為に策を練った。―――だが、結局は挫折するしかなかった」
「……聞かせてください。柳君で駄目だったのなら、私でどうにかできるとは思えませんが……」
「そこまで言うなら仕方ない、な」


一息おいて、静かな声でその方法を語る。
柳生の顔がみるみる蒼白になり、その両手がきつく握りしめられるのが分かった。きっと頭の中ではどうすればその方法を取れるかを考えているのだろう。

けれど、どう足掻いても七不思議たちではこの方法は成功させられないのだ。


「―――いや、今なら不可能とも言い切れないか」


ぽつりと呟いて、人間でありながら幽霊の彼を想う愚かな少女を思い浮かべた。

その言葉を聞き咎めたかのように、柳生がひどく顔を歪めてこちらを見やる。柳が何を考えているのか分かってしまったのだろう。
けれど、その可能性を考えたのはおそらく柳生も同じだ。今の状況ではどう考えてもその可能性に思考が向く。


幽霊である七不思議では手の届かない方法。

けれども、もしも。
人間であるあの少女がこの方法を知ったなら。

そして、それでもと。
全てを知った上でこの方法を選ぶのなら。


「……柳君、彼女が幸村君と出会ったのは―――」
「偶然だ。俺たちの誰かが、あの人間を精市と引き合わせた訳ではない」


あくまでそれは偶然だった。
今はただそう願うしかない。

もしも誰かが引き合わせたのだとしたら、きっとその誰かを彼は許せないだろう。


「俺たちが考えてもどうしようもない問題だ。今は俺たちができる事に集中すべきだろう」
「そう、ですね……」


躊躇う柳生を尻目に、使役する闇を通して果てしなく続く世界を探った。
時折感じる異様な存在を刺激しないように避けながら、誰も行ったことのない奥地へと進んでいく。


幽霊に近づき過ぎた愚かな人間。
彼の恨みが消えぬまま鬼に堕ちていく現実を見たあの少女が、唯一彼を救う方法があると知ったら、果たしてどうするだろうか。

考えても意味のない事だとは分かっているけれど、脳内にこびり付いたその疑問を拭い去る事は、どうしてもできなかった。




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