目を開けば、そこには闇がある。
昏い、玄い、どこまでも深い闇。

それは自分に与えられた力。

全てを呑みこみ消失させる闇。
それを操る者の証である昏い瞳。


「この力故に、俺は道を違えねばならない、か」


できる事なら、仲間と共に彼の為に力を尽くしたかったのだけれど。
けれど、それではきっと彼を救う事などできない。

何かを犠牲にしなければ、何も手に入らない。
犠牲にしても良いと思えるものと、犠牲にしたくないものがある。

だからこそ、選ばねばならなかった。


こんなにも歪んでしまった自分は、いつか彼のように鬼に堕ちてしまうかもしれない。


「―――行け」


低く呟けば、闇がどこまでも蠢いて広がってゆく。
無理矢理に開いた狭間の果てがどこにあるのか分からない。けれど、きっとその先には学校の外という違う世界があるだろう。
そこまで闇を向かわせる事ができたら、そこで現世へ顕現させられるかもしれない。


不安定で不確定な希望。
以前の自分なら、こんな危ない橋は渡らなかっただろう。

いつだって完璧にデータを取り、全てを計算して行動に移していた。
今はもう、そんな事をしている暇はない。


闇の力で閉じた狭間の中で、じっと果てを見ている。

その先に希望がある事だけを信じて。







「――そうですか、柳君が……」
「影たちの中へ消えてしまった。狭間か異界へ移ったのかもしれぬ。蓮二が開いた空間に籠られては、追いかけることもできぬ」
「なんでそんな事になったんすか!?」
「……道が、分かれたのだそうだ」
「はぁ!?」


興奮のあまり自分よりも身体の大きい真田に掴みかかろうとする赤也を、柳生が諌める。
そうして彼の身体を引きはがしながら、静かに問うた。


「柳君は、人間への恨みを捨てきれていないのでしょう?」
「どうやらそのようだ」
「何言ってんですか、俺たちが人間を恨む理由なんて―――!」
「全員がそう考える事が出来たとしたら、それはとても素晴らしい事です。けれど、現実はそうではないのですよ」


その言葉に驚いたのか、がくりと赤也の身体から力が抜ける。
そのまま座り込んだ身体を解放し、柳生がその緑色を見つめて微笑んだ。


「切原君、君は長い時をかけて自分の中で全てを整理することができました。けれど、私たちの中にはそれができない者もいたのです。そう言う私も、完全に恨みを拭い去ることができた訳ではありません。どうしようもなく人間に対して怒りを覚え、けれどそれを押し隠して、押し殺して存在しています。人間はまだ生きていて、先があります。その先に希望があればいいと、そんな事を願って恨みを打ち消しているのです」
「だからって……別に柳先輩が悪い訳じゃないじゃないっすか!?」
「蓮二は――俺に影を差し向けた」
「なっ……!?」
「俺が人間に対して思いやりを持つことが、許せないのだそうだ。何かと比べることなく、常に幸村の事を考えれば、人間を傷つける事を躊躇う筈がないと。幸村の事だけを一番に考える蓮二には、俺の考え方が温いもののように思えるのだろう」
「むしろ―――障害に思えたのかもしれませんね。もしも柳君が人間を利用して幸村君を助けようとしているとしたら、君はそれを妨害するでしょうから」
「柳先輩が……そんな…………」
「けれど、そうだとすればまずい事になりましたね」
「まずい事?」


胡乱に聞き返す真田の言葉に頷いて、柳生が赤也を見やる。


「柳君が匙を投げた以上、切原君を鏡の世界へ戻す方法がますます遠くなりました。私たちがどんなに足掻いても、柳君以上の手を打てるとは思えません。それに――」


一つ、呼吸を置いて。
そして、その言葉を吐いた。


「あまりに人間に悪意を向け続ければ、柳君まで鬼に堕ちてしまいますね」
「…………柳生先輩。それ、冗談、じゃ……」
「残念ながら。幸村君が鬼に堕ちかけた理由と同じです。人間への恨みを消せないのなら、柳君も堕ちる可能性は十分にあります」


ぱくぱくと僅かに口を開いて、その度に言葉を発することなく閉ざして。
呆然と見開かれた緑色の瞳が、ゆっくりと涙で滲んだ。


「……なんで、柳先輩…………」
「まだそうと決まった訳ではなかろう。とにかく、第一に赤也の鏡を探す事。第二に幸村の封印だ。蓮二の事は……今の俺たちにはもうどうしようもなかろう。二つの問題をどうにかすれば、蓮二が人間を傷つける理由がなくなる」
「なんでそんな事言うんですか!? 柳先輩は話したら分かってくれます! 人間たちを恨んでも、もうどうしようもないって事、俺がちゃんと話しますから!」
「切原君、残念ですが柳君はその事についてはよく分かっていると思います」
「じゃあ、なんでっ!」
「それを理解した上で、それでも許せなかった。それ程に彼は幸村君が殺された事に怒りを抱いた。もしくは――今の幸村君を助ける為に、敢えて人間を恨んでいるのかもしれません」


何かを考えるかのように目を閉じ、柳生がため息をつく。
和室特有の静けさがその場を満たし、赤也がさらに口を開こうとした瞬間、柳生が再び目を開いた。

その瞳には、普段の穏やかさとはかけ離れた冷たい光が輝いていた。


「真田君、私は柳君を追いかけます。私で柳君を止められるとは思えませんが、いないよりはましでしょう。私の力なら、無理矢理異界の扉をこじ開ける事も可能かもしれませんしね」
「……蓮二が本当に鬼化したらどうする。引きずられるかもしれんぞ」
「その時はその時です。私に何かあれば仁王君が感じるでしょうから、その時は最悪の事態を想像しておいてください」
「柳生先輩、俺もっ! 俺も行くっす!」
「切原君、君は残らなくてはなりません。君は最後の七不思議なのですから。もしも鏡が見つかって向こう側に戻れるようになった時に君がいないのでは元も子もないでしょう」
「でもっ……!」
「私を信じてください。大丈夫、そうむざむざと鬼に堕とさせはしませんよ」


穏やかな笑みを浮かべて、目だけを冷たく輝かせて柳生が浮かび上がる。


「では、失礼しますね」
「柳生、仁王には……」
「また会った時に伝えておいてください。私はこのまま図書室の方へ行きますから。あと、しばらくは仁王君のままでいるように伝えていただけますか」
「分かった、しかと伝えよう」


では、と優雅に一礼して柳生の姿が宙に消える。
静かにそれを見送ってから、ようやく赤也が動いた。手を振り上げ、力の限り畳の上に叩きつける。


「くそっ! なんでだよ、なんでっ……!」


どうして、人を恨むのか。
どうして、人を憎むのか。

そうした所で最早何も変えられはしないのに。
そんな事誰しも分かっている筈なのに。


拳が畳に叩きつけられる鈍い音だけが、延々と和室に響いていた。






何か違和感があったような気がして、顔を上げた。
足元には泣き疲れたのかぐったりと床に伸びた丸井が転がっている。


「……柳生、か……?」


一瞬だけ感じた、自分の半身を剥ぎ取られるかのような感触。
それはすぐに霧散してしまったけれど、その一瞬だけ感じた痛みは確かなものだった。

自分の髪に触れて自分が仁王である事を確認し、一つ溜息をつく。
何があったかまでは分からないが、どうやら何かが起こったようだ。

確信などないただの予感でしかないけれど、先程の感触からすればおそらく確かな事だろう。


「丸井」
「……なんだよぃ」
「赤也が今和室におるそうじゃ。折角じゃし、そっちに移動せんか?」
「ぜってー馬鹿にされるだろぃ」
「大丈夫じゃ、いつだって馬鹿にされとる」
「なんだと仁王っ!」


がばっと勢いよく床から浮上した丸井は、吠える様な声を上げながら飛びかかってくる。
それを避けて天井を突き抜ければ、案の定丸井はあっさりと追いかけてきた。

伸びてくる腕から逃げながら、床と壁をすり抜けて和室へと向かう。
頭に血が昇っている丸井は気づく事無く着いてきてくれた。


途中、自分たちの場を通りそこに柳生がいない事を確認した。
ここにいなければ、どこにいるかなど分かりはしない。怪異を起こせば飛んでくるかもしれないが、今は対象となる人間がいない。


「ブンちゃーん、早く追いつかんとほっとくナリー」
「うっせぇよ、仁王っ!」


わざわざ振り向いて笑みを浮かべながらそう言ってやれば、疾走のせいで顔を真っ赤にしている丸井がさらに顔を赤く染める。

少しずつ速度を緩め、じりじりと距離を調節して。
あとほんの少し手を伸ばせば届く程に近づいて。


「捕まえたぁ!」
「よー見てみんしゃい。もう和室じゃ」


にやりと笑ってそう告げれば、丸井の顔が青くなる。
けれども勢いがついた二人がその場で止まることができる訳もなく。

丸井の手が肩に触れた瞬間、二人は雪崩れ込むようにして和室に飛び込んだ。



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