「――そうか、ジャッカルは逝ったか……」
「ええ、丸井君に話を聞いて私も屋上へ行きましたが、確かにそこに桑原君の気配はありませんでした」
「ジャッカルの心残りは……」
「幸村君の幸せを願っていた、と記憶しています」
「ならば、莉那の存在が大きいな」


低く呟いて、真田が静かに黙祷する。

仲間が一人減った事は悲しい事だが、昇華自体は悔やむべきことではない。
七不思議としてここに縛られた彼らは既にその縛りからは逃れている。いつ心残りを満たして昇華するとも限らないのだ。

何があるのか分からない未知の世界。
けれど、そこには絶望しかないと悲観する必要はない。


「丸井君がひどく落ち込んでしまって……珍しく仁王君が励ましています」
「あの二人は仲が良かったからな。お前たちが二人で対の七不思議になった時も、自分たちもそうなりたいと言っていただろう」
「ええ、残念ながら要として学校中に散る以上、ばらばらになってもらうしかありませんでしたが」
「……もう、七不思議ではなくなったのだな」


ちりん、と寂しげに鈴が鳴る。

昇華が可能である、と事実は他の七不思議たちにも該当する。
決して他人事ではないと分かっていても、それはどこか遠い場所での出来事だ。

ずっと縛られるはずだったからこそ、何一つ心の準備ができていない。
自分の心残りは定めているが、それがどういう形で満たされるかは分からない。


「俺たちが全員昇華してしまったら……幸村は一人か」


ふとその事実に思いついて言葉に出せば、それはひどく悲しい事のように思えた。

一人、また一人と仲間が消えて。
彼はまた一人になる。

それでも彼は、あの薄暗い廊下で笑うのだろうか。


「枷だけでは長い時間はもたないでしょう。思っていたよりも幸村君の力は強くなっていました。私たちが昇華して消えるのが先か、それとも……」
「新たな封印ができるのならば、それが一番だ」
「あれだけ幸村君が人を拒み、力を持つ以上、どんな人間も幸村君を縛ることはできませんからね。―――本当に、心の底から莉那さんが彼の傍にいてくれて良かったと思いますよ」
「うむ。だが……枷が嵌まったまま、幸村が鬼化すれば引きずり込まれる可能性もある」


枷と幽霊は、常に互いに干渉しあっている。
特に絆の枷はその傾向が強い。お互いを思う気持ちが枷となる絆では、人間と幽霊は思いを向け続けなくてはならない。

その思いを抱いたまま幽霊が鬼化して堕ちれば、それに引きずられて人間までもが共に堕ちてしまう可能性があった。


「鬼化する幽霊を見るのは初めてですから、どうすれば良いのか分かりませんね。打つ手なし、と言ったところですか」
「蓮二が手を探している。加えて、赤也を鏡の世界に戻すための霊鏡も探さねばならぬ」
「……それもまた、難しい問題ですね」
「だがしかし、やらねばならぬだろう」
「幸村君は今、鬼化しようとする自分を抑える為に力を注いでいるでしょう。その努力が少しでも実れば良いのですが……」


いつだって泰然自若と、誰よりも気高い瞳を以て。
彼は仲間の中で最も強かった。

だからこそ、彼は自分が苦しむ姿を誰にも見せはしないだろう。
鬼に堕ちようとする自分を、誰にも悟られまいとするだろう。


「俺は図書館へ行き蓮二の手助けを行う。柳生、お前は仁王と共に丸井の所へ行ってやってくれ。もし余裕があれば、俺の和室で退屈している赤也の相手も頼む」
「分かりました、いっそのこと落ち込んだ丸井君を和室に連れて行きますよ。丸井君も強い人ですから、きっとすぐに立ち直るでしょう」


穏やかに、いつものように微笑んで、柳生がふわりと浮かび上がった。
そのまま廊下の空中に溶ける仲間を見送り、真田が身を翻す。

ちりん、と悲しげに鈴の音が響いた。







目を閉じて、開く。
そこに見慣れた影が無いことを確認して、目を閉じて、開いた。

いつだってこうした先にはあいつがいた。
そうやって目があって、にかりと笑ってくれたのに。


もう、いない。
もう、会えない。

あの笑顔を見ることも、あの声を聞く事も、何一つ。
もう二度と届かない場所にあいつは逝ってしまった。


何度瞬きしても、何度辺りを探しても、これは夢だと自分に言い聞かせても、だからと言ってあの笑顔がそこに現れる訳ではない。
そんな事は分かっているのに、どうしてもそれを止められない。


「……馬鹿、野郎……」


押し殺した声で呟くと、視界の隅に銀色の輝きが見えた。
次いで、金色の瞳がこちらを見つめている事に気づく。


「……なんだよ」
「目が腫れとるのぉと思って」
「うっせーよ、仕方ないだろぃ」
「そんなに泣くと目が溶けるんじゃなか?」
「泣いてないっての」


薄く笑みを浮かべてそう言い募る金色を睨みつけ、ふいと視線を逸らす。

薄暗い家庭科準備室の隅っこに座り込んでいる自分の傍で、仁王はふらふらと空中を漂っている。
時折ふわりと宙返りをして窺うようにこちらを見やる彼が、自分の事を心配してくれているという事は分かっているけれど、今はそれに対して何かを思う余裕がなかった。

膝を強く握りしめ、床に視線を落とす。
その拍子に目尻から雫が零れ落ち、ぽたりと床を濡らした。


「泣いとるじゃなか。ブンちゃんは泣き虫じゃのぉ」
「……ジャッカルが……!」
「うん?」
「ジャッカルが、逝っちゃったんだぞ! お前、何にも思わねぇのかよ!」
「そうじゃなぁ……そりゃあ一人おらんくなったんじゃけん、違和感はあるきに。けどブンちゃん、俺らはそもそも幽霊。昇華するんが当たり前じゃ。それを七不思議の役で縛ってこの世界に残っとっただけじゃき。なら―――こうなる事は、決まっとった事じゃろ」


淡々と、どこか達観した表情でそんな事を呟いて。
仁王がひらひらと両手を振って見せる。その薄く笑ったような顔が癪に触って、反射的に念力を操っていた。

ふわり、と浮かび上がった準備室の備品たちが仁王を取り囲み、ぐるりと周囲を旋回する。
それを面白そうに瞳を細めて見やり、仁王が少しだけ首を傾げて見せた。


「そんなの俺だって分かってる! でも、そんな考えだけでジャッカルの事あっさりと諦めろって言うのかよぃ!」


声と共に放たれた杓文字が、仁王の顔に向かって飛んだ。
まずい、と思った時にはもう遅く。怒りのあまり制御を失った念力が、次々と備品を仁王の身体に叩きつける。

普通なら、幽霊が外傷を負う事はない。
だが、幽霊同士の力は別だ。

念力で操る物体が幽霊にぶつかれば、それは当たり前のようにその幽霊を傷つける。


「におっ……!」
「危ないのー」


仁王の手がふわりと上げられ、同時に周囲に波動のようなものが広がるのを感じた。
その細身の身体にぶつかる寸前だった備品たちが空中で動きを止め、一瞬おいた後次々に床に落ちていく。

念力で操っていた物たちが何かにぶつかったような感触はなかった。
おそらくは仁王の力で止められたのだろうけど、あれだけ不意を打っておいてこの結果となると、自分の力の弱さにほとほと嫌気がさす。


「ブンちゃん、よー聞きんしゃい」


仁王の手が一振り。それだけで床に散らばった備品がふわりと浮かび上がり、元あった場所へと戻っていった。
それを力なく見つめ、のろのろと金色の瞳と目を合わせる。


「ジャッカルがおらんくなった事を悲しんどらん奴なんぞおらん。俺も悲しいし、俺が悲しいならきっと柳生も悲しい筈じゃ。勿論ブンちゃんも悲しいし、真田も柳も赤也も悲しい。でもの、いくら悲しんでももうジャッカルは帰ってこん。幽霊になった時から、自分の心残りを定めた時から、この運命には抗えん事は分かっとったじゃろ? 俺もブンちゃんもいつかは昇華して消える。思っとったよりそれが早かっただけで、いつかは必ずこういう時が来とった」
「……そ、んなのっ……!」


分かってる。
分かってた。

心の中で叫んでも、声にはならない。


認めたくないと、ずっと叫んでいた。
見たくない、聞きたくない。
できるのなら、逃げてしまいたい。

目を閉じて、現実から逃げて。
そしたらそこに、あいつがいるから。


「俺も、いつ消えるか分からん。他の誰も、ブンちゃんじゃってそれは一緒じゃ。この先がどうなるか分からん。俺は幸村の恨みが消えるまで七不思議としてあの階段におるつもりじゃったし、その先は昇華できるようになった幸村と先へ進むことになるんじゃと思とった。けど、それはもう叶わん夢じゃ。俺らは、現実を見ないかん。心の準備と覚悟を、する時なんじゃ」
「…………っ……!」
「ジャッカルの事を諦めろという訳じゃなか。じゃけど、いくらジャッカルの事を思って泣いても、もう現実は変えられんのじゃ」


声にならない。
言葉にならない。

胸の奥に何か詰まったみたいに喉が苦しい。
何度も何度も浅い呼吸を繰り返して、ぼろぼろと涙を零した。


「のぉ、ブンちゃん。ジャッカルの最期見たんはブンちゃんじゃろ。ジャッカルはどんな顔しとった? 苦しそうじゃったか? 辛そうじゃったか? 逝きたくないと、そう言うとったか?」


空を切った手。
穏やかに笑うあいつ。

叫んでも、泣いても、届かない。
言葉が、響いてくれない。


最後まで見えたのは、穏やかな笑顔。

あんなにも笑えるのなら、きっと――。


「……笑ってっ……笑って逝ったよっ…………!」


またな、なんてありふれた言葉を残して。

天に吸い込まれるようにして、消えた。


「―――なら、大丈夫じゃ。笑えるなら、心配することはなかろ?」
「……おう…………」


それでも、涙は止まらない。
さっきまでのような悲しみじゃなくて。

次々と浮かぶ思い出が、胸に痛い。


ずっとずっと傍にいた。
いつだって振り向けばそこにいたから。

いなくなる、という事が。
こんなにも痛い事だと、分からなかった。

本当に、ただそれだけの話。
本当なら、もっと前に知るべきだった事。


ゆらりと陽炎のように浮かぶ仁王と、床に座り込んで泣きじゃくる丸井と。
ひどくゆるやかに過ぎていく時間の中で、二人だけがただそこにいた。




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