「……柳生、それは……」


一体、どういう意味を持つ質問なのだろう。
どうしてかうまく舌が回らない。何度か息を詰まらせてから、ようやく言葉を吐き出した。


「……どうして、そんな事聞くの……?」
「個人的な興味、ですかね。特に意味のある質問ではありませんから、難しく考えずに答えてください」


そうあっさりと言われても、答える側としては非常に頭を悩ませる問題だ。

何一つ迷わず枷になる事を決めるだろうという考えと。
きっと死ぬ事を恐れるだろうという諦めに近い思いと。


その両方が、私の中に存在している。


「……きっと、私は怖がったと思うよ……」
「怖い?」
「……死ぬ事は、怖いから……だから、きっとすごく怖がって、悩んで迷って、でも……でも、私は幸村君に笑っていて欲しいから。消えて欲しくなんかないから……傷ついて欲しくも、ないから……」


だから、あの時。
自分にできる事をしよう、と思った。

柳生の色の薄い瞳がゆっくりと笑みを浮かべて、一つ頷きが返る。


自分の答えが正解だとは思えなかった。
もっとはっきり彼の為に枷になる、と言えるだけの強さがあれば良かったのに。


「そうですか……そんな貴女だからこそ枷になれたのだと言えるのかもしれませんね」
「……もしも、私が枷になれなかったら、その時幸村君はどうなってたの……?」
「封印が弾け飛び、確実に鬼化が始まっていました。人を恨む心故に鬼に堕ちかけた幸村君は、七不思議によって力を封じられて鬼化が止まりましたが、根本的な恨みを消さない限り鬼化が完全に終わる事はありません。あの時から長い時が経ちましたが、幸村君の心に根付いた恨みは深いものです。一度鬼化が始まってしまえば、もうそれを止めるものはありませんから、一気に鬼に堕ちていた可能性もありますね」
「……鬼になると、現世にいられなくなっちゃうんでしょう……?」
「それだけではありませんよ。幸村君ほど力を持った霊が鬼化すると、確実に周囲を汚染します。幸村君の恨みや憎しみが現世を侵し、汚すのです。侵された場所には闇が増え、現世へと染み出したそれらが人間を襲うこともあります。心霊スポットと言うのは、そういう場所である事が多いのですよ」
「……闇って、柳が使うみたいな……?」
「柳君の闇とは少し違いますが、見た目は同じです。柳君は闇を使役していますが、現世へ湧きだす闇は無差別に人間を襲います。幸村君が望まずとも、その現象は鬼化に伴って起こってしまうのです」
「……じゃあ、昇華、って何……?」


真田が彼の過去と共に語った言葉。
幸村も昇華できるように、と真田は言った。

その言い方からしてなんとなく見当はついていたけれど、誰かにはっきりと言って欲しかった。


「昇華を人間の言葉で言い換えると……そうですね、成仏、というのが当てはまるでしょうか。私たち幽霊は誰もが心残りを持っています。心残りは私たちを現世へと縛るものです。その心残りが消える、または満たされると、幽霊は満足して――――消えるのです」
「……いなくなっちゃうんだね……」
「どこへ行くのかはわかりません。さすがにその先を見た事はありませんからね」
「……柳生にも、心残りはあるの……?」
「ええ、私たち七不思議にも一応心残りと言えるものはあります。幽霊になった事情が特殊ですから、どれだけ意味を持つものなのかは分かりませんが……形だけの心残り、という事になるのでしょうかね。それを抱えて、七不思議の役目を背負って、私たちは現世に留まっているのですよ」
「……幸村君は、昇華できないの……?」
「――残念ながら、幸村君は私たちとは全く違う幽霊です。恨みを持つ霊は心残りと呼べるものを持ちません。彼らにあるのは心の底に根付いた恨みのみ。その恨みが彼らを現世へと縛るのです。幸村君の場合にはその恨みが強すぎたせいで鬼に堕ちかけてしまいましたが、本質は変わりません。恨みを持つ霊は昇華することができないのです」
「……じゃあ、幸村君の恨みが消えたら、皆と一緒に昇華できるんだね……」


昇華したその先で、彼は皆と笑えるだろうか。

恨みが消えて、憎しみが消えて。
その時彼は、人間に対してどんな気持ちを抱くのだろう。


「…………七不思議の役目は解かれた。ならば、私たちは何を以て現世に留まるのでしょう」
「……え……?」
「いえ、なんでもありません。さぁ、そろそろ外も暗くなってきましたし、お開きにしましょうか」
「……あ、本当だ。じゃあ、私帰るね。今日はありがとう……!」
「また是非いらしてくださいね」


折り目正しく腰を折って、柳生が私を見送ってくれる。それに手を振りながら、私は教室を飛び出した。

慌ただしく廊下を走りぬけながら、私は最後に聞こえた言葉を思い返す。
うまく聞き取れなかったけれど、その音ははっきりと脳裏に刻まれた。


「……何を、以て……」


何を以て、現世に留まるのか。

それはきっと、私には分からない問いだろう。







廊下の隅から、天井の暗がりから、床の継ぎ目から。
場所を厭わず、黒い影が揺らめく。

何かを探すかのように、細い線状に伸びたそれが宙を掻いた。
どこからか呻くような声が響き、闇がずるずると床を這う。

ふわりと、影から少し離れた場所に銀色の煌めきが降り立った。
影がそれに反応し、細い線の先をその煌めきに向けて勢いよく伸ばした。


「……俺に触るんじゃなか」


冷たい言葉と共に、手があげられる。その手に先に触れる瞬間、影がまるで溶けるかのように変形した。
べちゃりと湿った音を立てて床に落ちた影の先が、どろどろと溶け出して床に吸い込まれるようにして消える。

それを冷たい瞳で見やった仁王は、一度舌を打ってから辺りを見回した。
一度くらい弾かれた程度では、影たちは諦めない。何かを呑みこむことだけを目的としているそれらは、何があってもその行為をやめる事は無いだろう。

廊下中に広がるそれらを睨み付け、自分の力で一掃できるか考える。
だが、すぐにその考えは打ち消した。元を断たない限り、影はいくらでも湧き出す。いくら末端を排除しても意味はない。

新たに伸びてきた影を見やり、自分の力を解放しようとして――――。


「仁王君、何をしているのです」


突如として隣に現れた柳生の力が、影たちを打ち払った。
耳障りな音を響かせて影たちが揺らぎ、それで完全に二人を敵と認識したのか勢いよく伸びた影の膜が二人を包み込むようにして広がる。

夜だからこそ人気がなく騒ぎにもならないが、もしも昼日中にこんな光景があったら人間たちは大騒ぎになるだろう。

次々と襲いかかってくる影たちを手分けして弾き飛ばしながら、じりじりと廊下を下がる。
けれど、いくら倒してもきりのない影たちを相手にするのは賢いとは言えないだろう。


「……潮時じゃな」


呟くのと、柳生が身を翻すのは同時だった。その後について仁王も影に背を向けて廊下を駆ける。

夜の学校で影が湧く場所には限りがない。何一つ選ぶことなく、際限なく湧き続ける。
逃げ場はないようなものだが、幸い七不思議の場はその役に縛られるのか闇が湧く事は無い。

特に申し合わせる事もなく二人の場である階段に向かった。そこに近づくにつれて影たちの動きが弱まり、ついには追いかけて来なくなる。
それを確認してから闇を透かして廊下の先を睨み、学校中の至る所で聞こえてくる影たちのざわめきを聞いた。


「影が増えとる。今までも夜には影が多くなっとったが、ここまでじゃなか。柳生よ、これは全部……」
「幸村君の鬼化が徐々に進んでいる兆候、でしょう。本来なら、七不思議の封印が解かれた時点で一瞬にして鬼に堕ちてもおかしくはなかったのです。それを枷で押さえているからこそ、この程度の影響ですんでいるのでしょう」
「枷のみでは縛りきれん、か」
「幸村君の力が強すぎます。いくら莉那さんが彼の事を思って枷になっていても、その全てを抑える事はできないでしょう。私たちでさえ、多大なる犠牲と引き換えに封印と為ったのですから」


学校中に響くざわめきは日々激しくなるばかりだ。
普段なら浮遊している筈の霊たちも、影の勢いに負けてひっそりと身を潜めている者が多い。
七不思議たちならばある程度の力を以て影を退ける事ができるが、本当に無力な霊はそれすら不可能なのだ。


「赤也は今真田んとこか」
「ええ、和室で大人しくしているそうですよ。どうやら柳君にきつく言われたようです」
「最近、気が立っとるけんの。あいつの使う闇が、時々恐ろしくなるくらいじゃ」
「……幸村君の事が心配なのでしょう」
「当の幸村はどうなんじゃ。鬼化が進んどるなら、自覚があるじゃろう」
「おそらくは。しかし、私たちにそれを見せる事はないでしょう」


ため息交じりに呟いて、柳生がため息を一つ。
それを金色に輝く瞳で見つめて、仁王がふわりと浮かび上がった。


「俺たちはまだ大丈夫じゃ。じゃが、丸井やジャッカルは闇が強くなればなるほど居場所が無くなるきに。それに、俺たちもいつかは闇に抵抗できんくなるぞ。どうするつもりじゃ」
「……いくら考えても、私にも考えが浮かばないのです。このまま現世で幸村君の鬼化が進めば、どんどん状況はひどくなるでしょう。しかし、それを止める方法も鬼化を止める方法も、何一つ。それに……」
「……なんじゃ」
「桑原君の事ですが……どうやら、異変が起きているようです」
「異変? 何のことじゃ」
「詳しくは分からないのですが……丸井君が泣きそうな顔をしていましたから、おそらく……」
「―――始まったか」


おそらくは、と頷きを返して柳生が眼鏡に触れる。
二人が黙り込めば、廊下に響く闇のざわめきがひどくはっきりと聞こえてくる。
それを感じながら仁王が柳生に背を向けて、どこかへと向かう。それを止めることなく、柳生はただ銀色の煌めきを見送った。


「……現世に留まる理由は、最早なく。私たちを縛るものももう……」


呟かれた言葉が闇に溶ける。
それと同時に柳生の姿も宙に消える。

後には、影たちが上げる怨嗟の声がいんいんと響いていた。




「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -