薄く瞳を開いている彼に、果たして意識はあるのか。
声が届いているのか、それすらも分からない。


「……幸村君、私ね、皆に色んな事を教えてもらったよ……」


気持ちを伝えるための言葉を探しながら、ようやく口を開いた。

思いを伝えるための言葉は、どうしてこんなにももどかしいのだろう。
知ってほしい事、聞いてほしい事、沢山あるのにうまく言葉になってくれない。


「……幸村君の封印の事とか、七不思議の事とか。それに、幸村君の事も……」


彼の瞳は空洞のように虚ろな色で天井を見上げている。

綺麗な蒼が硝子のように輝くのを見ながら、告げた。


「……幸村君の、過去を聞いたよ……」


ぴくりと、彼の身体が痙攣する。
緩やかに震えた手はすぐに弛緩してしまったけれど、それで声が届いていることが確信できた。

この声は届いている。
ならば、言葉も届くだろうか。


「……幸村君にね、謝りたいの。こんな言葉じゃきっと足りないけど、でも謝りたいの……ごめんなさい。何にも知らない私が七不思議を探したせいで、幸村君を苦しめたね。本当にごめんなさい……」


硝子の瞳が、波打って。
ゆっくりと瞼が閉じる。

言葉を拒むかのようなその仕草に胸が痛んだ。


何度も何度も、頭の中を過ぎる問い。

果たして、彼は許してくれるだろうか。


「……どうして七不思議があるのか、どうして柳が私に闇をけしかけたのか。どうして……どうして、幸村君があんなに強いのか。教えてもらってようやく分かって、私のした事の大きさに気づいたの。私、馬鹿だったね。幸村君と友達になれて、本当に嬉しかったから……だから、柳の警告にも耳を貸さなかったの。丸井たちと話してると楽しくて、だから何も考えなかったの……」


頬を滑る雫を払って、乱暴に言葉を紡ぐ。

そう言えば、彼と出会う前はこんなにも必死に言葉を探したことなんてなかった。
いつだって、世界は私とは遠い場所で過ぎていくものだったから。


閉じた瞳が、再び開かれて、その蒼が私を映す。
子供のように顔を歪めている自分の顔が、その表面に映っていた。


「……ごめんなさい。痛かったのに、苦しかったのに、私のせいでこんな事になって……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「………………どうして、泣くの」
「……幸村君……?」
「どうして、君が、泣くの」


硝子のような瞳で私を見つめて、彼が呟く。

その言葉に慌てて頬と目元を乱暴に拭い、それでも零れる涙を誤魔化すように頭を振った。


「……ごめんなさい、私が泣くの、変だよね。だって、痛いの幸村君だもんね……」
「そうだよ……君は、痛くなんかないだろう? だから、泣かないでよ。君が泣いてるの見ると、俺まで辛くなる……」
「……え……?」
「柳――は君に教えたりしないだろうから、真田から聞いたんだろう? 俺の過去をはっきりと話せるのはあの二人くらいだからね」


聞き返す声に答えはなく、呟いた言葉は空気中に消えた。
話を逸らすかのように不自然に吐き出された言葉に息が詰まり、どう返事をすればいいのか迷った。

そんな私を一瞥し、彼が起き上がろうと手を床につく。けれど、その手は途中で力を失い、彼は諦めたようにため息をついた。


「……大丈夫、なの……?」
「大丈夫じゃないに決まってるだろう? さすがに、ここまで力を使っちゃったらしばらく起き上がれないな」


完全に力を失い、空中を浮遊する事すらできない彼は、淡々と呟いて私を見やる。
まだ頬に涙が伝っているのに気づいて、もう一度目元を強く拭った。


「……ごめん、なさい……」
「――別に君のせいなんかじゃない。これは俺の罪で、俺の罰だ。痛みも苦しみも、あってしかるべきものなんだから」
「……そんなことない! 幸村君は、もう十分苦しんだじゃない……!」
「俺の過去を聞いたのなら知ってるだろう? 俺は、人殺しだ。俺を殺した人間と大差ないんだよ」
「……それは……!」
「違う、とでも言うつもり? なら、どこが違うのか俺に説明してくれるかな。勝手な妬みで人を殺した人間と、勝手な恨みで仲間を殺した俺と、どこに差があるんだい?」
「……違う、違うよ、幸村君……」


自嘲的な笑み。
自分を傷つけ続ける言葉。

彼の痛みは、あまりにも深い。


「ふふ、俺の事が怖くなったかい? 今は無理だろうけど、力が戻れば俺は君を殺すことができる。君は所詮人間で、俺は幽霊だ。どれだけ君を傷つけたって、俺が咎められる事はない」
「……幸村君、自分で自分を傷つけないで。幸村君は優しいよ、怖くなんかない。私と友達になってくれたでしょう。こんな私の傍にいてくれたでしょう……?」
「ただの暇つぶしだよ。俺はここに封じられて、誰の目にも映らずに日々を過ごしていくしかないからね。だから、馬鹿みたいに泣いてた君を見て、ちょっとからかってやろうと思ったんだよ」
「……そんなの、嘘だよ……」
「いいや、これが真実だよ。俺は君の事なんて嫌いだ」
「……嘘だよ。だって、私の事が嫌いなら、どうして今話してくれるの……?」
「これが最後だからだよ。もうここには来るな。もう俺は君には会わない」
「……そんなの、駄目だよ。だって私、幸村君の枷になるんだから……」


驚いたように目を見開いて、彼が私に向かって手を伸ばす。
肩を掴もうとしたそれはするりとすり抜けて、冷気だけを残した。


「何を馬鹿な事を……枷になんてなってどうするつもりだい? そもそも、枷になることがどういう事か分かって……」
「……ほら、やっぱり嘘だ……」
「っ!」
「……私の事嫌いなら、心配なんかしないでしょう……?」
「…………嘘を、ついたのかい?」
「……ううん、枷になるのは本当だよ……」
「―――本当に、君は馬鹿だね」


いつかのあの時と同じ言葉。
表情まであの時とよく似ていて、思わず笑みが零れた。


「……うん、そうだね……」
「何を笑ってるのさ。面白い事なんて一つもないよ」
「……うん……」
「枷、ね。本当に、皆馬鹿な事を考えるね。俺の恨みが消える日なんて来ないのにさ」
「……来るよ。いつか、絶対に来る……」


その時、彼は笑えるだろうか。
憎しみも、恨みも消え去って。

彼は、救われることができるだろうか。


半ば願望のように言葉を呟くと、硝子のようだった蒼が一瞬で獣の輝きを宿した。
ぞっとするような冷気が辺りに漂い、ゆらゆらと陽炎のように立ちのぼる。


「―――君に、同じ人間に殺される気持ちが分かるかい? くだらない妬みで殺されて、自分でも分からないうちに幽霊になって縛られて。そのせいで、大切な仲間まで傷つけた。自分が死んで終わる事なら、俺はすぐに死を選んだよ。でも、幽霊になった俺にはもう死ぬことすら許されない。逃げる場所もない、救いもない。時が経てば経つほどに、苦しみと痛みが積み重なって、人間への恨みは増すばかりだ。これが消える日なんて来ない。俺は永遠に……ここに縛られたままだ。そして、俺に引きずり込まれたばかりに、俺の為に七不思議になんてなったばっかりに、皆もずっとここに縛られたままだ」


獣のように変質した瞳が、ゆるやかに色調までも変化させる。
冷たいだけだった蒼が、ぎらぎらと輝く金色に染まっていく。

いつになく激しく毒を吐く彼と変質する瞳が、彼の悲しみを表しているかのようだった。


全身が震えて、歯がかちかちと音を立てる。
薄暗い廊下があまりにも冷え切って、うっすらと周囲に霧がかっていた。

彼の力が漏れ出して起きた変調。
もしも彼がこの力を私に向ければ、先程の言葉通り私を殺すことなど簡単だろう。


後悔と、罪悪感。
誰かを傷つける事の恐ろしさ。

きっと彼は許されることを望んでいない。
自分が許される事を、彼自身が許せない。

その姿が、自分とよく似ている気がした。


「……人間が……」


結局誰が悪かったなんて、私には分からないけれど。

けれどきっと、全てのきっかけは。


「……人間が弱かったから、幸村君を傷つけたね……」


鬼に堕ちかけ、仲間に助けられて、彼は復讐を踏みとどまることができた。
それはきっと彼が強い意志を持って自分の心を抑える事ができる人だったからだ。

彼を刺してしまった人間は、それができない弱い心を持っていた。
その弱さが彼を傷つけて、深い闇へと誘っている。


「……皆が幸村君みたいに強い心を持っていたら、きっと幸村君は死ななくて済んだね……弱くて、ごめんなさい。幸村君を傷つけてしまって、ごめんなさい……」
「…………君が謝ったって仕方ないじゃないか。俺は君に傷つけられたわけじゃないよ。」
「……でも、……」
「人間が弱いから、か。そんな事、考えたこともなかったな」


ぽつりと呟いて、彼が静かに目を閉じる。
すぐに開かれたその瞳は、獣のようなそれからいつもの蒼に戻っていた。

穏やかな表情を浮かべた彼が口を開き、私に何かを言おうとして―――。


その瞬間、何かが割れるような甲高い音が響いた。


「あ、れ……?」
「……え……?」


収まりかけていた冷気がぶわりと膨れ上がり、周囲に風を孕んで広がっていく。
それに身体を押されながら、呆然と目を見開く彼を見つめ、さっきの音が何だったのか聞こうとして、けれどそれは言葉にならなかった。

何かに殴りつけられたかのような衝撃が走り、気づいた時には壁に叩きつけられていた。


「……あ、ぅ……」
「どう、して。収まってた、のに……!」
「……ゆきむ、ら、くん……」
「離れ……」


勢いよく吹き荒れる風に、もう一度壁に押し付けられて息が詰まる。
周囲に風が吹き荒れ、鎌鼬のように辺りの壁を薙いだ。その範囲から逃れようと力の入らない足で床を蹴り、どうにか転がる事に成功する。
けれど、逃げ込んだ先は廊下の隅だった。自分の情けなさに泣きたくなりながら、反射的に両手で頭を抱え込む。


「莉那!」


彼の絶叫。
衝撃を覚悟して目をきつく閉じた。


そして。

ちりん、と鈴の音が響いた。




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