以前来た時と同じ、気味が悪いくらいに人気のない階段を上がって辿り着いた屋上には、四つの影があった。
そのうちの一つ、仁王は私の顔を見た瞬間ふわりと浮かび上がり、止める柳生の声を無視して空中に溶け込むようにして消えてしまう。


「……あ……」
「全く、珍しくここまで付いてきたかと思っていたのに……」


困ったように眼鏡を押し上げて柳生がため息をつき、入り口で立ち尽くす私を手招いた。
それに従って、そろそろと三人の傍へ足を進める。


「なんだよ、仁王の奴。莉那の顔見た途端逃げやがって」
「むしろ、この時までここにいたという方が珍しいですからね、仕方がないでしょう」
「……私の、せいかな……」


初めから仁王は私に対して友好的ではなかったけれど、それが私の過ちに対する嫌悪感から来ているのならば仕方のないものだと思う。
真田が呟いた七不思議たちの三つの反応を思い出せば、おそらく仁王は柳と同じく私に対して良い感情を持っていないのだろう。


「いえ、仁王君は元々馴れ合いを好みませんから。私たちだけで集まる時でもいる方が珍しいくらいですよ」
「そーそー、莉那のせいじゃないぜぃ!」
「だから気にすんなよ」


口々に慰めてくれる声に頷いて、その場に鞄を置いて座り込む。
ふわふわと辺りを漂っていた彼らもそれに合わせるかのように高度を落としてくれた。


「……幸村君は、大丈夫かな……」


誰に言うでもなくぽつりと言葉を漏らせば、勢いよく三人分の返事が返ってきた。


「幸村君は大丈夫ですよ。強い人ですから」
「ぜってー大丈夫だろぃ! 心配すんな!」
「幸村だからなぁ……どうってことないさ」


三人分の声は混じって、何を言っているのか全く分からない。
ぽかんと三人を見やれば、三人ともばつが悪そうに顔を見合わせた。
一つ咳払いをして、柳生がさらに言葉を繋ぐ。


「幸村君は、私たちの誰よりも強いですから。だから、大丈夫です。必ず、還ってきますよ」
「……皆、幸村君の事が好きなんだね……」
「当たり前だろぃ! 幸村くんはすごいんだぜ!」


元気良く拳を突き上げて力説する丸井に苦笑を洩らしながらも、ジャッカルも頷いた。
こんなにも彼の事を思うからこそ、七不思議たちは彼の為に長い年月を過ごす事を決意したのだろう。
それを思うと、また胸の奥がずきりと痛み、罪悪感が黒い靄のように溢れだした。


「……私、皆に謝らなくちゃ……」
「謝る? 一体、何をですか?」
「……私が何も知らないのに、自分のことばっかり考えて七不思議を探したから……だから、幸村君の封印が弱くなって、こんな事になっちゃって……本当に、本当にごめんなさい…………」


知らなかったから、と自分に言い訳をして罪悪感から逃れるのは簡単だ。
けれど、彼の為に、彼の事を思い続ける皆の為に、それだけはしてはならない。

以前ジャッカルや真田がしたように、深く深く頭を下げた。
これで全てを謝れるとは思っていない。これだけじゃ、全然足りない。私がしたのはそれ程の事なのだから。

きつく目を閉じて、断罪を待つ罪人のように両手を握りしめる。
重苦しい沈黙がその場を満たし、そして唐突に破られた。


「……私たちがいくら気にしないと言っても、きっと貴女は気に病むのでしょうね」
「……柳生……?」
「だからこそ、私は貴女にこう言います。私たちが築いてきた大切な長い年月を打ち砕いた事を、私は許す事ができません」


ずきり、と心臓が痛んだ。
当たり前の事を言われただけなのに、どうしてか全身が張り裂けてしまいそうなくらいに痛い。

のろのろと顔を上げれば、冷たい瞳に怒りを湛えた柳生と、顔を真っ青にして柳生に掴みかかろうとする丸井が見えた。


「柳生、何言ってんだよぃ! 莉那は何も知らなかったし、俺たちだって何も教えなかったじゃねーか!」
「ええ、そうです。私たちはあの時、それを選びました。だからこそ、莉那さんに何の責任も無いと、そう言い切ってしまうのは簡単でしょう。けれど、その免罪符に縋って現実から逃げてしまっては困るのですよ。今も尚、幸村君は荒れ狂う力に苦しみ、もがいているでしょう。その事実はどうやっても変えることはできないのです」
「……お前、柳生じゃなくて仁王なのか……?」
「いいえ、私が今柳生だという事は、見れば分かるでしょう」


ジャッカルの胡乱な声に、柳生は冷たく言葉を返した。
言葉に詰まった丸井とジャッカルが、何かを言い返そうと口を開く。その言葉が音になる前に、私はゆっくりと頷いた。


「……そうだね……」
「莉那っ、俺たちはっ……!」
「……良いんだよ、大丈夫。ちゃんと分かってた事だから……」


向き合わなくてはいけない私の罪。
いくら私が想像しても現実味が湧かなかったそれに、柳生がはっきりとした形を与えてくれた。

自分で自分を責めても、その断罪には終わりがない。
どんなに自分を傷つけても、自分を許す事は決してできない。

自分を責め続けるのは、あまりにも辛い。


「……ごめんなさい。こんな言葉しか出てこないけど……本当に、ごめんなさい……」


どんなに心の底から謝罪の言葉を絞り出しても、音にしてしまえばこんなにも軽い。


「莉那さん、一つ話を聞いてもらえませんか」
「……え……?」
「とても、古い話です」


一つ息をついて、柳生が静かに語り出す。
あまりに唐突な展開に、丸井は言葉をぶつけるタイミングを失ったのか、ふわふわと力無くその場で浮遊し、ジャッカルは悲しそうな顔で私を見ていた。


「私も昔は人間でした。普通の毎日を消費して生きる、ただの人間でした。私には大切な仲間がいました。その仲間を失う日が来るなんて、あの頃は考えた事もありませんでした」
「けれど、その時は突然やってきて――私は何の覚悟もないままに、一人の仲間を失いました」
「悲しくて、苦しくて、辛かった。どうすればいいのか分からないほどに心が痛んで、けれどもその現実を変えることができない事は良く分かっていました。もう取り戻せないからこそ、もう変えられないからこそ、その痛みはあまりにも激しかったのです」
「それからの日々は、見かけは以前と良く似ているのに、中身は空白のがらんどうでした。あの日のまま心が凍りついて、ちっとも動いてはくれませんでした。過ぎていく日々が自分を置き去りにしているようで、ひどく空しかった事を覚えています」
「そんな日がいつまで続くのかと、絶望に近い境地のままにただ生きて。けれども、その日々は唐突に終わりを告げました。私は気がつけば人間ではなくなり、日々を消費することすらできない幽霊となっていました」


柳生の声は淀みがない。
あらかじめ録音しておいたものを再生しているかのように平坦だった。

その話が一体何なのか。
それは良く分かっていた。


「私を幽霊に引きずり込んだのが、大切な仲間だという事を知った時、私は愕然とし、憎しみに近い感情を仲間に抱きました。もしも自分に力があるのなら、復讐をしたいと、そう思いました」
「けれど、私を引きずり込んだ仲間が同じように復讐を叫び、そしてその憎しみ故に鬼になりかけているのを見た時、一瞬で憎しみが消え去り……後には何も残りませんでした」
「彼が悪かったのか、私が悪かったのか、はたまたただ単に運が悪かっただけなのか。人間に殺された彼と、彼に引きずられた私と。一体誰が被害者で、誰が加害者だったのでしょう」
「彼を殺した人間を加害者とするなら、その人間をそこまで追い詰めてしまった私たちは加害者ではないのでしょうか」
「自分の憎しみのまま私たちを引きずり込んだ彼を加害者と言うなら、人間の妬みに殺された彼は被害者ではないのでしょうか」
「引きずり込まれただけの私たちを被害者と言うなら、果たして私たちには何の罪もないのでしょうか」


丸井もジャッカルも、何も言わない。
彼らも過去に全く同じ思いを抱いたのだろう。

けれども、それでも。
彼らは彼と生きる事を選んだ。


「鬼に堕ちかけた彼を助ける方法があると聞いた時、私は一瞬も悩まずに彼を助ける事を決意しました。彼に引きずり込まれたのに私は何一つ迷いませんでした。その方法が、気が遠くなるほどの年月がかかり、尚且つ私たちが小さな世界に縛られてしまうと知っても、その決意は揺るぎませんでした」
「私以外の皆も、同じ決断を下しました。誰一人、彼に対しての憎しみも怒りも、持ってはいませんでした」
「それを愚かだという人もいるでしょうが、もしももう一度道を選び直せるとしても、私は同じ道を選ぶでしょう。それが、私の真実です」


静かに口を閉ざして、柳生が穏やかな瞳を私に向けた。
言葉を返す事も出来ずにその瞳を見返せば、柳生は口元に薄く笑みを浮かべてみせる。


「私たちが長い時間をかけて築いてきたものは、そういうものです。私たちは――私は、何があっても幸村君に元のように戻って欲しかった。だからこそ、封印となることを了承してこの世界に縛られました。けれど、それももう終わりです」
「そんなことないだろぃ! だって、幸村君はまだ……!」
「ええ、そうです。幸村君はまだこちら側に踏み留まっています。けれど、もう一度封印を施すことはもうできません。何の力も持たなかった私たちは、長い時間と自由の制限、そして重い役目を果たすという任を引き換えに彼を封印する力を得ました。それはあまりにも細い糸のようなもので、封印が破られてしまう可能性も高かった。それは貴方たちも知っていることでしょう」
「……あの時、確かに聞いたけどよぃ……」
「もしも一度でも封印が破られてしまえば、同じ代償で封印を施すことはできない。もう私たちにできる事はありません」


あまりにも穏やかに、柳生が淀みなく言葉を紡いで。


「だからこそ、莉那さんに頼みたいのです」
「……え……?」
「真田君から枷についてはお聞きしましたか?」
「……うん。幸村君が私を認めるから、私なら枷になれるって……」
「では、私からもお願いします。私はどうしても、幸村君に鬼になって欲しくないのです。例えそれが私の自己満足なのだとしても。貴女が幸村君の封印を弱めたことに対して罪悪感を覚えるのなら、貴女が枷になり封印の代わりを果たすことでその罪を償ってください」


その言葉はひどく優しい響きを以て、屋上の空気を震わせた。
何かを言いたげな丸井とジャッカルと。そして、全てを語り終えた柳生と。

断罪を望む私に示されたのは、彼を助けるための手段。
真田が示して、柳生が背中を押してくれる道。


「……本当に、私で良いの……?」
「貴女でなければ駄目なのです。幸村君が人間を恨むようになって以来、彼の傍に寄り添えたのは貴女だけですから」
「莉那、俺からも頼む! 幸村君が苦しむの、俺もう見たくないんだよぃ! 幸村君、何にも悪くないのにずっと苦しそうだから。だから……!」


柳生たちは幸村の怒りと恨みに引きずり込まれた。

それでも、と彼らは言うのだ。
彼の為に、と願うのだ。

その願いを告げた柳生の瞳が、許されても良いのだと告げてくる。
使命感のままに枷となろうとしていた私の心を、ゆっくりと暖めてくれる瞳だった。


「決して、貴女が悪いという訳ではありません。私たちは貴女を恨んでなどいません。貴女が七不思議を探していた時、警告することも逃げ出すこともしなかったのは私たちです。私が貴女に幽霊について教えた時、七不思議を遠ざける様にしなかったのは私たちの決断です。柳君は貴女の存在を疎みましたが、私たちにはそれほどの理由がなかった。だから――幸村君の苦しみは貴女一人が背負うものではないのです」


言葉が紡がれる度に、その意味が心に沁み込む度に。
痛みばかりが残っていた心がじんわりと癒されていく。


「……私ね、少しだけ後悔したの……幸村君を苦しめるくらいなら、皆と出会わなければ良かったって。でも、それはすぐに間違いだって気づいた。皆と友達になれて嬉しかったって事を、私は全然考えてなかった……」
「俺も、莉那と友達になれて嬉しかったぜぃ! 幽霊が人間と友達になれるなんて、考えたことなかったし!」
「俺もだ……そもそも、人間と会話するのすら初めてだったかもしれない」
「その通りです。だから――どうか、幸村君の事をお願いします」


己の無力さを嘆いたのは、私だけではなかった。
きっと彼らは長い年月の中で、何度も何度も同じような事を考えて、けれど他にどうしようもなくて。
その無念さをどれだけ心に溜め込んできたのだろう。


目を閉じれば浮かぶ蒼がある。
あの蒼が私を映すのなら、私は蒼を縛る枷となる。

それが、私の決断だった。



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