影に誘われた先は、学校生活の中で滅多に行くことのない茶道室だった。
畳の匂いが充満する和室では自然と背筋が伸び、部屋の中央で胡坐を掻いた影の真向かいで正座する。
しん、と静寂が辺りを包み、息苦しいほどの緊張感が漂っていた。


「幸村の話をする前に、自己紹介をしておこう。俺は七不思議の一つ、茶道室の座敷童だ」
「……座敷童……?」
「名前は真田弦一郎という。よろしく頼む」
「……あ、私は莉那です。こちらこそよろしくお願いします……」


なんとなく、指をついてお辞儀。
古風な挨拶は座敷童だという彼にぴったりだが、それ以上に厳しい口調が真田の性格を窺わせた。


「座敷童がどんなものか知っているか?」
「……見たら幸福になれる、とか……」
「大雑把に言うならそうだ。この茶道室に来て、俺の姿を見た者には幸福が訪れる、というのが七不思議だ」


なんだか良い七不思議だ。あんまり怖くないし、なによりも幸福が訪れるなんて良い事でしかない。
そんな考えを読み取ったのか、真田が皮肉そうな笑みを浮かべてみせる。


「座敷童というのはな、死んだ子供の霊であることが多い。俺の場合は少し違うが、普通の民家に福をもたらす座敷童は、遠い昔に口減らしの為に実親に殺された子供だ。そもそも、俺が住み着いているのはこの学校であって、俺を見た人間の家ではないからな。訪れる幸福というのも、たかが知れているだろう」


ぞっとするような内容を事もなげに話した真田は、ふと私の顔を見て口を閉ざす。
全身に広がる寒気を押さえて、私はその目を見返した。


「こんな話をするために呼んだのではなかったな。すまない、本題に入ろう」
「……はい……」
「幸村についてだが……簡単に言えば、幸村は今現世にはいない。異界の奥、それも普通の幽霊では近づけぬほどの場所に閉じこもっている」
「……どうして、そんな所に……」
「幸村は昨夜、封印が弱まったことで急激に膨れ上がった力を押さえることができずに、現世で力を暴発させたのだ。それはしばらくして収まったが、動けるようになるとすぐにその異界の奥地へ籠ってしまった。その後も何度か力の暴発を繰り返し、おそらくは今もそこで押し寄せる力を抑え込もうとしている筈だ」
「……封印……暴発……?」


真田の言葉の意味は何一つ解らない。
ただ感じるのは、彼が苦しんでいるという事だけ。


「その話をするためには、幸村の過去から話さねばならぬ。心して聞け、これはおそらく幸村がお前に最も隠しておきたい話だ」
「……その話を、どうしてするの……幸村君が苦しんでるなら、すぐに助けに行かないと……!」
「人間であるお前は、異界には入れぬ。それに、封印は完全に解けた訳ではない。時をおけば力の暴発は収まり、幸村も現世へ還ってくるだろう。しかし、ここまで弱まった封印では、もう幸村を押さえる事は出来ぬ。また、俺たちの力をすべて集めても幸村には敵わぬ。幸村が自我を失わぬ為には新たな枷が必要となる。だが、俺たちではその枷にはなり得ぬ。その枷になりうるのはお前だけなのだ」
「……枷……枷って、でも私はただの人間で……」


ただの人間で。
ただどうしてか幽霊が見えて。
だから彼と友達になって。


「人間であるか、幽霊であるかは関係がない。幸村はお前の事を認めている、その事実のみで十分だ。幸村が自我を失わぬ為に、幸村が現世に留まりたいと願う心を助ける為に、お前の存在が必要となる。だが、お前が枷になるには本当の意味で幸村を知らねばならぬ」
「……それで本当に、幸村君を助けられるの……?」
「おそらくは。少なくとも、一時の猶予はできる筈だ。もしも枷だけで足りぬなら、他の手段を講じる事になる」


難しげな言葉と、難しげな表情と。
そんな真田を見つめて、本当に彼を助けるためにはそれしかないのだと実感した。真剣な表情で悩む真田は、きっとどうやってでも彼を助けたいのだろう。

封印されているという彼と、そんな彼を気遣う七不思議。
彼に近づく事を嫌った柳と、彼を助ける為に私に近づいた真田。
この二人以外の七不思議たちは、果たしてどこまで事実を知っているのだろう。

柳生は、仁王は、丸井は、ジャッカルは。
私の事を、彼の事を、どう思っていたのだろう。
友達と、そう思っていたのは私だけで、七不思議たちは私を枷とするために私に近づいたのだろうか。

ずきりと胸が痛んだような気がして、けれどすぐにそれを振り払った。
そんな事は今はどうでもいい。大切なのは、彼の為にどうするかという事。


「……教えて、幸村君の過去を。私が幸村君の枷になって、それで幸村君が苦しまなくなるのなら、私は何でもするから……」
「ならば、話をしよう。幸村の過去について。そして、俺たち七不思議の過去について」







ずっと、昔の事だ。
俺たち七不思議と幸村は同じ学校の生徒で、同じ部に所属していた。俺たちの部は全国クラスの実力を持ち、その中でも幸村の強さは果てしないものだった。
俺たちは幸村を部長として、日々練習に励み、更なる高みを目指していた。それはあまりにも満ち足りた毎日で、俺たちはそんな毎日が崩れることなど想像したことすらなかった。


……だが、その日は唐突にやってきた。


幸村が、同じ学校の生徒――それも同じ部活の仲間に殺されたのだ。
理由は妬み。――あまりにも情けのない理由だった。

その時俺たちは最高学年に所属し、最後の夏を迎えていた。同じ部の中でさえ、レギュラーを競って争うような部の中で、いつまでも試合に出る事の出来ない人間は確かに存在していた。
だが、その時の俺たちは自分たちの事だけで、試合に出ることができない人間がどんな思いをしているかなど、考えたことがなかったのだ。

幸村は学校の中で刺され、治療の甲斐もなく死んだ。
あまりにも若すぎる死を悔やむ人間は多かったが、どんなに悔やんでももうどうしようもない。俺たちも死んだ幸村の為にも更なる強さを目指して練習に励んだ。

そんなある日、ある噂が立った。
死んだ筈の幸村が、殺された場所に立っているという不謹慎な噂だった。
俺たちは死んだ幸村が無念を残して死にきれぬのではないかと考え、レギュラーでその場所に足を運び、そして見た。
幽霊となり、その場に無念を残して縛り付けられた幸村を。

俺たちは驚き、しかしそれ以上に幸村にまた会えたことに喜びを感じた。
しかし、その時既に幸村は変わってしまっていた。
理不尽な理由で人間に殺された幸村は、あまりにも強い恨みを抱えて幽霊となった。それ故に強すぎる力を持ち、抑えきれないほどの憎しみで人間を恨んでいた。
おそらく言葉にするならば、怨念というものが一番だろう。それほどまでに、幸村は強い恨みを抱えていたのだ。

気づいた時には、俺と蓮二以外がその場に倒れ、幸村が歪んだ笑顔を浮かべて俺と蓮二を見ていた。
その時に何かを話したような気もするが、もう記憶には残っていない。
次に目が覚めた時、俺たちは幸村と同じように幽霊になっていた。その事実を飲み込むには多少の時間がかかったが、時が経つほどにその事実を認めぬわけにはいかなくなった。

幸村は幽霊となった俺たちの前に現れ、憎しみに満ちた目で人間達への復讐を口にした。
俺たちはそれを宥めようとしたが、力の差は歴然としていた。どうやっても幸村には勝てぬ、敵わぬ。
幸村は恨みを抱えて死に力を得たが、俺たちは幸村に引きずり込まれて幽霊となった。ある程度の力を持っていても、幸村に勝てる訳がない。
そして、幸村の恨みが頂点に達し――その身に異変が起こった。

あまりにも強い恨みを持ち、さらに人間を憎み続けた幸村は鬼に堕ちかけていた。
力を制御することができず、少しずつ自己が薄れ、自我を失い、闇の中で蠢く存在へと成り下がろうとしていた。
鬼になれば更なる力が手に入るが、同時に異界の住人となる。幽霊のように現世に留まることはできず、人であった頃の記憶や幽霊になってからの記憶もすべて失ってしまう。

もがき苦しむ幸村を見て、俺たちは決意した。
幸村の力を少しでも封じ込め、鬼にならぬようにその身を現世に縛り付ける。
長き時をかけてその恨みを浄化していけば、いつかは幸村も俺たちと同じように昇華できるようになるかもしれぬ。
その時まで、俺たちは幸村の為に現世に留まる事に決めたのだ。

封印を施すためには、俺たちも特別な任を担い、現世に留まると同時に力を得る必要があった。
頭数が丁度七人。学校の中で任を担うために、学校中の各所に散り七不思議となった。その場所に留まり、我が身を以て封印と為す。
幸村の場所は死んだ場所とし、俺たちは封印を施した。

破れかぶれの策だったがどうにか成功し、幸村の鬼化は収まり、その身に宿った力の殆どが封印された。
それでもその力は強大だったが、鬼に堕ちかけた事により正気を取り戻したのか幸村は人間達への恨みを抱えながらも復讐を願う事はやめた。
どうにか落ち着いた幸村に俺たちの考えを説明し、幸村もそれに同意した。

だがそれでも人間の姿を見れば、幸村の中で深く根付いた恨みや憎しみが溢れ出す。何度もそれを繰り返し、幸村は次第に薄暗い廊下の隅に一人でいることが多くなった。
人間たちを恨んでいても、傷つけることを望まなかったが故に、世界から逃げるようにして離れるしかなかったのだ。
いつでも何かを嘲笑うかのように顔を歪めて、幸村はあの場所に存在していた。

幸村は自ら人間たちの目から己を隠し、決して誰の目にも映らぬように己の力を制御していた。
俺たち七不思議は怪異として現世に出現する時や霊力を持った人間には姿を認識されるが、幸村の場合はそれがない。
人間の前には姿を見せぬ。何があっても存在を認識されぬ。
桁外れの力を持った幸村だからこそ、できる所業であった。

それから、長い長い時が経った。
俺たちは七不思議として学校に根付き、時折人間を驚かせる事でその存在が消えぬようにしながら、幸村の恨みが消える日を待っていた。
七不思議全てが一人の人間によって暴かれれば封印が解ける。それだけを避けながら、ひっそりと時を過ごした。
変化のない長い歳月。いつまで続くか分からぬ日々繰り返し。
その中に、唐突に変化が現れた。

幸村を認識する人間が現れ、あろうことが幸村と友人という関係を持った。
人間からの隔絶を望む幸村を認識できる人間はいない。幸村の恨みが消え、霊力を持つ人間に姿を認識されるようになったのかとも思ったが、それも違う。

ならば、考えられるのはただ一つしかない。
幸村が自ら望み、その人間の前に姿を現した。
そして尚且つ、その人間と友人となることを了承したのだと。

にわかには信じられぬ出来事だったが、確かにその人間は存在している。
幸村の前に出て、何故恨みや憎しみの対象にならぬのか。
何故幸村は今になって人間の前に姿を現したのか。
何一つ分からなかったが、それでも事実は変えようがなかった。

その出来事を受け止めた七不思議たちの反応は三通り。
一つはその出来事によって七不思議が暴かれ、封印が解かれるのを嫌った。
一つはその出来事を好意的に受け止め、その人間に興味を持った。
一つはその出来事に対して感情を抱かず、これまで通りのやり方を貫いた。

そして、今に至る。







「俺は変化を望ましいものだと考えた。幸村の表情が和らぎ、恨みが少しずつ消えているような気がしたからだ。だが、蓮二は封印が解けるのを恐れ、お前に対して危害を加えた。それに対して、謝罪させてくれ。許せと言える立場でないことは分かっているが、蓮二も理由があったのだ。本当に申し訳ない」


呆然と聞いた話を反芻しながら、床に頭をつける真田を見つめる。
少し前にも同じような状況があった、なんて現実逃避に近い事を考えていた。


「……もう、良いよ……大丈夫、怖かっただけで怒ってなんかない、から……」


怒れる筈がない。
柳の怒りはあまりにも正しいものだ。
彼らが長い年月守ってきたものを、私が全部壊してしまったのだから。

私が興味本位で七不思議を探したせいで、彼の封印が弱まってしまった。
私が彼の友達になった事に喜んでうかれていたせいで、彼が苦しんでいる。

全部全部、私が悪いんじゃないか。


「幸村の力の暴発は、もうすぐ収まるだろう。収まれば、あの場所に還ってくるはずだ。その時は―――」
「……うん、枷になる……それで、幸村君を助けられるんでしょう……?」
「頼む。それが今の唯一の望みだ」


果たして、私は今どんな表情を浮かべているのだろう。
引き攣ったしまった顔は、どんな酷い顔をしているのだろう。

真田の言葉に何度も何度も頷いて、私は震える身体が崩れないよう、必死に正座を保つしかなかった。


どこか遠い場所で、彼の声が聞こえる。
獣じみた瞳で私を見つめる、彼の声。
その苦しみを与えた私を、彼は許してくれるだろうか。



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