ジャッカル・桑原と名乗った彼は、顔を上げて欲しいと何度言ってもしきりに謝るばかりで。
些か辟易する私を見かね、丸井がジャッカルをなだめると、ようやく彼は顔を上げてふわりと浮かびあがったのだった。

口笛を聞かせて人間を死に追いやるという七不思議を背負っているにも関わらず、彼はそんな事は望んでいないらしい。
本人的にはただ口笛を吹いている、という認識だという。
それでも、彼が口笛を吹けば怪異が起こり、自然と人間を死に誘う。

だからこそ、彼は人間がいない時にしか口笛を吹かない。
不用意に人間を巻き込んでしまわない様に、細心の注意を払っているらしいのだが。


「俺の所に人間と連れてくるなって言っただろ!」
「忘れてたんだって! それに、こいつがあんまり人間ぽくないから……」
「下手したら、俺はまた人を殺すところだったんだ! 俺がどんなにそれを避けてるか分かってるんだろ!」
「……ごめん」


しょんぼり、と効果音でも聞こえてきそうなほどに丸井が肩を落とすと、ジャッカルも居心地が悪そうに頭を掻いた。


「……あの、ごめんなさい。私が、ついてきてしまったから……」


おずおずと身長の高いジャッカルを見上げてそう言えば、彼は慌てたように両手を上げる。
だが言葉が出てこないのか、うんうんと唸ってからようやくぽつりと言葉を零した。


「俺がこんな七不思議を背負ってるのが悪いんだから、気にしないでくれ。……怒鳴って悪かったよ」


後半は丸井に向けての呟きだろう。赤い頭が何度か上下して、窺うような瞳がジャッカルを見上げる。
それを見つめてため息をついた彼は、そしてようやく私に胡乱な眼を向けた。


「……なんで俺が見えるんだ……?」
「……あ……」
「ってか、今更かよぃ」


そもそも、それは見えてしまう私も抱いている疑問で、答えはいまだに見つかっていない。困ったように首を傾げて微笑めば、ジャッカルもつられたように明るい笑みを浮かべてくれる。
出会ってまだ数分で、出会い頭に事故で死にかけたけれど、どうやら彼は悪い人(幽霊)ではないようだ。


「こいつは莉那って言って、準備室で会ったんだよぃ。この前、仁王の言ってた幽霊が見える人間ってこいつの事だったんだぜ!」
「あぁ、だから俺や丸井の事が見えるんだな」
「……うん。どうしてかは、私にも分からないけど……」


いくら考えても心当たりはなかったし、彼の姿を見てから唐突に皆が見えるようになったのだから原因も思い当たらない。
どの幽霊も不思議そうに私を見たけれど、私自身はそんなに気になってはいなかった。分からないけれど、今現在見えている。その事実で十分だ。


「こうして見ててもほんとに普通の人間なんだけどなー。特に力みたいなものも感じねーし」
「俺たちが考えるより、柳や柳生が考えた方が早いだろ」
「……柳君なら会ったけど、分からなかったみたい……」
「あー、じゃあ分かる奴はいないかもな」
「……いいの……」


ぽつりと言葉を吐き出せば、それは思ったよりも大きな声で響いて。
どうしてか二人は黙り込んで、困ったようにこちらを見ていた。


「……分からなくても、いいの。今皆と話せるのは見ることができたからだもの。……見えなくなってお話しできなくなったら、寂しいし……」


一人に戻るのは怖い。
誰とも会話をせずに一日が終わっていく。
折角柳生や丸井と仲良くなって、今日はジャッカルと話をすることもできて。あんまり言葉は交わさないけれど、廊下を漂う仁王を見て少し心が温かくなって、柳の七不思議を思い出してはちょっと怖くなって。

そして、なにより。
彼のあの綺麗な瞳を見られなくなってしまうことが恐ろしい。
冷たい彼の瞳に自分が映っているのを見られなくなるのが怖かった。


「そうだな! 俺も莉那と話できなくなったら嫌だし。人間の友達なんて初めてだし!」
「人間と幽霊が友達になれるものなのか?」
「なーに言ってんだよ、もうジャッカルも莉那と友達だろぃ!」


何の気ないその一言が何よりも嬉しいという事を、きっと丸井は知らないだろう。
屈託なく笑って頷いたジャッカルを見て、私の心が泣きそうなほどに一杯になっているという事なんて誰も知らないだろう。

ふと、彼の言葉を思い出した。
猫のようににやりと笑みを浮かべて、彼はあの時告げたのだ。


『友達になってあげる』


私のはじめての友達。
人ではなくて、生きてもいなくて、触れることはできないけれど。
それでも私の傍で私のくだらない話を聞いてくれる、大切な友達。







丸井とジャッカルと他愛のない話をして放課後を過ごし、下校の時間が近づいたところで集まりはお開きとなった。
また明日、と確証のない言葉を交わしながら手を振って屋上を後にする。彼らは自分たちの居場所に戻ってそこで夜を明かすのだろう。

果たして、幽霊は眠るんだろうか。
そんな事を考えながら階段を下り、人気のない廊下を歩く。かつん、と自分の足音が乾いた音を立てた。
規則正しく続くその音を聞くともなしに耳に入れながら、丸井が寝るとすれば準備室の大机の上だろうか、それとも空中に浮いて寝るのだろうかと考える。

そうしてぼんやりと足を進めていたせいか、それに気づいたのは本当に近くに来てからだった。


「……っ……!」


ずるりと、廊下の隅から這い出るように広がる黒い闇。
あの時、図書室で見たのとよく似たそれは、ぬるりぬるりと蠢いて少しずつ近づいてくる。
咄嗟に足を引いて後ろに下がったけれど、思うように身体が動いてくれない。ひどくもどかしい動きで身を翻して振り向けば、そこにも同じものが広がっていた。

廊下一面から迫る黒い闇。
これに呑まれれば、もう戻っては来られない。

柳の黒い瞳が浮かんだけれど、本人の姿は見当たらなかった。


「……どう、して……」


どうしてこんな所に闇が広がっているのだろう。ここにも七不思議があったのだろうか。けれど、それにしては闇を操っているだろう幽霊の姿が見えない。
じりじりと迫る闇から逃れようと右往左往しながら、少しずつ黒く染まっていく廊下に視線を走らせる。
どうにか闇の隙間を見つけ、覚悟を決めて走った。時折腕や足に闇の冷気が掠めたけれど、どうにか引きずられることなく隙間を抜ける。
ちらりと背後を振り返れば、蠢いた闇が追いかけるようにして範囲を広げているのが見えた。ぞっとするものを感じながらそのまま廊下を駆ける。

どこへ逃げればいいのかも分からずにでたらめに走り、適当に見つけた階段を精一杯の速さで駆け降りる。
階段を下りた先の廊下には上の階に広がっていたのとは別の闇が蠢いていた。
そのままさらに階段を駆け下りて下駄箱に向かって走った。幽霊たちの世界はこの学校だと彼は言った。ならば、この闇も学校の外へは出てこられないだろう。


「……っ……!」


けれども、その考えは下駄箱を見た瞬間に打ち砕かれる。
入り口全体を追い隠すように広がった闇が、その向こうにある筈の光を飲み干してべったりと張り付いていた。
呆然とそれを見やり、そして気づけば周囲を完全に囲まれていることに気づく。


「……誰、なの……?」


知らない七不思議か。それとも、今まで出会った誰かなのか。
震える声で誰何すれば、闇がずるりと揺れる。その向こうに誰かがいるような気がして目を凝らせば、長身の影が見えた。


「……柳……?」
「あの時、忠告した筈だ」


冷たい声が言葉を叩きつけるようにして告げる。


「深入りするなと。住む世界が違うと」
「……あ……」
「何故、七不思議を探した。何故、精市について知りたがる」


詰問に近い冷たさと鋭さ。闇が柳に従って、じわりと囲みを狭める。それを見やって震える両手を握りしめれば、その指先はひどく冷え切っていた。


「お前は無力だ。俺が今闇をけしかければ、お前は為す術もなく飲み込まれるだろう」
「……どう、して……?」
「問うているのは俺だ」
「……七不思議を知ることが、そんなにいけないことなの……?」


ただ、知りたかっただけだった。
彼の冷たい瞳の理由と、悲しみの理由を。
初めてできた、大切な友達だったから。
理由を聞いて傷つけることも、嫌われることも怖かった。
だから、探した。会って、話がしたかった。
彼について聞いてみたかったし、何よりも暖かかったから。
言葉を返してくれた柳生も、ふてくされたような仁王も、底抜けに明るい丸井も、優しく笑うジャッカルも。
一人ぼっちで冷たかった世界で、ようやく見つけたぬくもりだった。


柳の黒い瞳が薄暗い輝きを宿す。尋常ではない激しい怒りに身を竦ませ、呆然とそれを見やれば彼は吐き捨てるように言葉を重ねた。


「その好奇心が危険を招いている。お前が見つけた七不思議は五つ。あと二つで全てが揃う。そんな事があってはならない。俺は……俺たちは、それを許してはならない」
「……許す……?」
「お前の知らない事実がある。それを知らないが故に、お前は沢山のものを危険に晒している。無知こそが罪だ」


闇の冷気が全身を包む。ぐらりと世界が揺れて、どこかにひきずり込まれそうになった。
それに抗い耐えながら、ただ柳の黒い瞳を睨み付けるようにして見返す。


「……知らないことが沢山あって、私は馬鹿な事をしているのかもしれないけど……でも、それでも、私は彼と友達になったから。だから……!」
「本当に愚かな事ばかりを言うな。幽霊と友達だと? 人間と幽霊では住む世界が違う。俺たちはこの学校という世界からは出られない。お前が卒業すれば、二度と会う事もない」


柳の告げた言葉は目を逸らしていた真実だった。
彼らは外には出られない。一緒に遊びに行くことも、外で会う事すらできない。
卒業すれば学校には来られなくなるだろう。それは直結して、彼らとの別れを意味するのだ。

闇に引きずられながら、ずきりずきりと心臓が痛いほどにはねた。
ぶるぶると手が震えて、息が苦しくなる。世界が眩んで、手の届かない場所へ消えていく。


真っ黒い闇が、視界を覆い隠して。
黒い炎が燃えるように私を睨んでいた。

失われていく世界の中で、鈴の音が響いたような気がした。



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