風を切って包丁が宙を舞い、鈍い音を立てて薄い紙を貫通して壁にめり込んだ。
刃先が貫いたのは紙に書かれた円のほぼ真ん中。100と書かれた数字を綺麗に切り裂いていた。


「俺って天才的ぃ!」


丸井が子どものようにはしゃぎ、念力を使って包丁を引き抜く。
思わず拍手を送ると、彼はひどく嬉しそうに笑ってピースを返してくれた。

丸井と出会ってから二日後。
放課後ひっそりと家庭科実習室を訪れれば、運よく鍵は開いていた。そしてそのまま準備室まで入りこみ、丸井とダーツもどきをして遊んでいる。
今の所百発百中。手で握っているかのように包丁を動かす事ができる、と豪語するだけの事はあった。


「ほら、莉那もやってみろよ!」
「……私は、いいよ……」


紙に当てるどころか、壁に届く気がしない。それに、包丁を投げるなんて恐ろしい事は出来なかった。
薄く笑って断ると、丸井は頬を膨らませて拗ねたようにそっぽを向いた。包丁がその動きを真似るかのように向きを変えたので、思わず笑ってしまう。
丸井も同じ事に気付いたのか、ふくれっ面のまま噴き出した。

ひとしきり二人で笑い、ダーツに飽きたのか丸井が包丁を元の場所に戻す。空中を浮かんだまま振り返り、何かを思いついたかのように私を手招いた。


「ジャッカルのとこ行こうぜ!」
「……前に言ってた、友達……?」
「そうそう、今日なら屋上にいるだろうし」
「……屋上に上がるの……?」
「おぅ! ……もしかして、屋上って出入り禁止だっけ?」
「……ううん、大丈夫だけど……」


校則で禁止されている訳ではないけれど、生徒たちはあまり近づかない。
普通なら、屋上で昼食を食べる女子がいてもおかしくないのだけれど、不思議な事にそんな事をする女子はいないのだ。

あまり人はいないというのに、先生はよく見回りに行っている。もしも見つかれば、咎められる事はないだろうけれど、理由を聞かれるだろう。
以前、放課後に屋上にいた生徒が先生の見回りに遭遇し、何故だか人生についての話をしたという噂が流れた事があった。
自殺する訳でもあるまいし、とみんなは笑っていたけれど、その一方的な人生相談に巻き込まれた生徒は首を傾げてこう言ったという。

『なんか、昔飛び降り自殺があったらしいよ』


「で、どうすんだよぃ?」


ぼんやりと回想に耽っていると、唐突に丸井の紫色の瞳が目の前に現れた。思わず息を詰まらせながら、一歩退く。
不満そうに丸井はそれを見たけれど、一瞬遅れて私が頷けば満足そうに頬を緩めた。


「よーし、じゃあ行くぜぃ。この校舎の屋上だかんな!」


ふわふわと浮きあがり、丸井が天井を突き抜けながらそう私に告げる。
その姿が完全に呑みこまれて消えてから、実習室や廊下に誰もいないことを確認しながら私も屋上を目指した。





屋上に行くまでの廊下や階段では何人かの生徒とすれ違ったけれど、屋上の階段に踏み込めば不自然なほどの無人さが目立った。
埃っぽい階段を上がりながら、一応周囲に誰もいない事を確認する。屋上の扉の鍵は常時開放されており、今日も抵抗なく扉を開く事が出来た。

本日、晴天。風が少し強いけれど、寒いほどではない。
丸井の姿を探しながら一歩踏み出すと、不意に口笛が響いた。
物悲しげに響く、細い音色。その元を探して辺りを見回すと、日の光の元だと更に目立つ赤い頭が見えた。


「おー、遅かったなぁ」
「……壁を突き抜けられないからね……」
「まぁいいけどよぃ」
「……この口笛は……?」
「ジャッカルの七不思議の口笛。久々に聞いたな」
「……七不思議の口笛……?」
「良い曲なんだけどなー、人間が聞いたら死ぬらしいぜ」
「……っ……!?」


ぎょっとした。ぞっと背筋が冷たくなるのを感じながら、へらへらと笑う丸井を茫然と見つめる。
もしかして、わざと連れてきたのだろうか。私を殺す為に? 七不思議の生贄にする為に?

その視線に気づいたのか、丸井がふと私を見やり、そして一瞬で狼狽した。


「まずいっ、お前人間じゃねーか!」
「……今更、だと思うけど……!」
「すっかり忘れてた! ジャッカルー、ストップストップ!」


丸井がでたらめに両手を振りまわしながら、扉の方に飛んでいく。それを視線で追うと、扉の上にある小さな屋根のような空間に誰かが佇んでいるのが見えた。
今更ながらに耳を塞ぎ、音を閉めだそうとするが、力いっぱい耳を塞いでいるにも関わらず音は脳内に染み込んでくる。

悲しい旋律。どこまでも堕ちていけるような、そんな音。
ぐるぐると私を取り巻いて、ゆっくりと深い所へ誘う。
一緒に行こう、と誰かが私を誘う。それについていけば暗い所に行くと分かっていても、私はもう抗えない。
自分の意志とは無関係に足がぎこちなく動き出し、のろのろと私を屋上の端に連れて行こうとする。

先程準備室で思い返していた生徒の噂が脳裏を過ぎった。
昔あった飛び降り自殺。それはきっとこの七不思議に囚われた生徒が今の私と同じように屋上から身を投げたのだろう。
この音を聞いて、この旋律を感じて、この悲しみに気づいて。
ずるりと引きずられるように、その誰かはここから飛んだのだ。

不思議と怖くはなかった。ただ、悲しいだけ。
音色が私の全てを支配して、何も感じさせてくれない。
屋上の柵に手をかけて、不自然に高いそれを乗り越えようと腕に力を込めた瞬間、ふっと音が消えた。


「……うわっ……!」


身体を支配していた力が消え、がくりと腕が折れる。柵の内側に倒れ込み、茫然とそれを見上げ、ようやく私は自分が飛ぼうとしていたのだという事実に気付いた。
ここから飛ぼうとしていた。それは簡潔に、死のうとしていた、と言い換えられるだろう。
ここから飛んで、生きていられる確率がどれだけあるだろうか。

膝の力が抜けてしまい立てずに座り込んでいると、丸井が甲高い声で何かを叫んでいるのが耳に届いた。
ぎこちなく振り返り、あの赤い頭を探す。それを見つけると同時に、その隣にもう一つ影がある事に気づいた。

長身の影は丸井の言葉を振り切るようにして私に近付いてきた。近づくにつれ、その顔が異国風でなおかつ色が黒いという事が分かる。
どうにも身体を動かせないままにその影を見上げていると、影は私のすぐ傍まで滑るようにやってきて、そして床に頭をつけるほどに身を屈めた。


「このとおりだ、本当にすまないっ!」


異国風な顔立ちにも関わらず、流暢な日本語が飛び出し、私はさらに茫然とするしかない。
それに、この独特なポーズは―――――。


「……土下座……?」



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