鈍い音と衝撃。
それを意識の片隅で感じながら、ぼんやりと考えるのはいつも感じていた寂寥感の事。

いつだって寂しかったけれど、空しかったけれど、それでも全てから逃げてしまおうとは思わなかった。
単純にそんな勇気がなかったというのもあるけれど、逃げてしまったらもう戻れないと分かっていたから。

冷たいだけの、悲しいだけの世界でも、全てが消えてしまうのは怖かった。
どこにも属する事が出来ずに、ただただ消えていくだけの存在になるのは恐ろしかった。

だからこそ、私はみっともなく、あがいてあがいて。
その度に自分の情けのなさに嫌になりながら、どうにかここまで生きてきた。

それなのに、こんな所でこんな終わりを迎えるなんて――――。


「いつまでそうやってるつもりだよぃ」
「……え……?」


不意にかけられた声に顔を上げれば、真っ赤な頭が目に飛び込んできた。
その下できらきらと輝く紫色の瞳が、子供のように無邪気な笑みを湛えていた。

ぼんやりとそれを見上げてから、ようやく身体のどこも痛くないという事に気づく。


「あんまり動くと刺さるぜぃ」
「……う、わ……」


忠告に従って視線だけで辺りを見れば、顔や肩のすぐそばに包丁が突き刺さっていた。先程の衝撃と音は、包丁が壁に突き刺さった時に起きたものだったのだろう。
数センチずれていれば、完全に刺さっている。そんなぎりぎりな距離のせいで、動くに動けなかった。

それを見ながらおかしそうに笑う赤毛の少年が、おそらくは七不思議なのだろう。
今までの七不思議たちよりは少し年下に見えけれど、そんなことより鮮やかな赤毛が目を引いた。
仁王の銀髪といい、この赤毛といい、七不思議の中ではハデな髪色が流行っているのだろうか。


「なーに呆けた顔してんだよぃ」
「……え、あ……」
「お前、俺の事七不思議って知ってんだろぃ?」
「……一応……」
「じゃあ、俺がこういう七不思議だって事も知ってんだから、そんなに驚くような事じゃない筈だぜ」
「……こういうって……包丁を操る、の……?」
「なんだ、俺の事知っててここに来た訳じゃないのか」
「……七不思議は知ってる、けど……ここにあるのは知らなかったの……」
「へー、お前変な奴だな。俺は丸井ブン太。七不思議が一つ、家庭科準備室の浮かぶ包丁だぜぃ」


なんとも物騒な七不思議だ。
その恐ろしさは先程経験したのでよく分かる。仁王や柳生以上のインパクトだった。柳の闇とは良い勝負かもしれないが。


「変な奴ついでに聞くけど、なんで七不思議だって思ったんだ? ここに七不思議がある事は知らなかったんだろ?」
「……最近、良く七不思議と会う、から……」
「七不思議と会う……あぁ、分かった!」
「……?……」
「お前、仁王が言ってた奴だろ! 七不思議を探してる、霊力もないのに幽霊が見える奴!」
「……たぶん、そうだと思う……」


良く分かるのか、分からないのか。
仁王の説明よりは丸井の理解の仕方の問題だとは思うけれど、なんとも適当な呼び方だった。


「やっぱ俺って天才的ぃ! じゃあ、お前幽霊が見えるんだろ?」
「……うん……」
「変な人間だな。でもまぁ良いや。最近、噂が広まって準備室に来る人間が減ってたから、脅かす奴を探してたんだよなー。丁度良い所に来てくれて助かったぜ」
「……人間が減ってる、の……?」
「元々、生徒がこの部屋に来ること自体が少ないからなぁ。先生じゃ驚かせねーし」


ぶつぶつと愚痴のように不満を漏らす丸井を見ていると、まるで友達ができたような気分になった。

こうやって、自然に言葉を交わせる相手が欲しかった。
最近、彼や柳生と話すようになり、今もこうして丸井と話している。
仁王や柳とはあまり話ができないけれど、以前と比べれば誰かと会話をする時間は格段に増えただろう。
その相手が幽霊だというのがちょっと悲しい所だけれど、それでも別にかまわない。

どうして幽霊が見えるのかなんて、正直どうでも良かった。
こうしてみる事が出来て、感じる事が出来て、話す事が出来るのならば幽霊だって構わない。


「……丸井は、ずっとここにいるの……?」
「そうだなぁ、大体はここにいるぜ! 時々、ジャッカルの所にも行くけどよぃ。そうだ、今度ジャッカルにも会わしてやるよ。あいつ、良い奴だから、すぐ友達になれるぜ!」
「……友達……?」
「こうやって話ができたらもう友達みたいなもんだろぃ!」


天真爛漫、という言葉が脳裏を過り、確かに丸井にぴったりだと納得する。
底抜けの明るさは、他の七不思議たちにはないものだ。同じ七不思議でも、ここまで性格が違うと少し面白い。
ここまで明るい幽霊というのも、そうそういないだろう。


「あ、忘れてた」


ふと丸井がそう呟き、片手を指揮棒でも振るかのように鋭く動かすと、身体の周囲に突き刺さっていた包丁が抜けた。
抜けたそれらはふわふわと宙を漂い、丸井の指揮のもと収納場所へと舞い戻って行く。
それを見送りながら立ち上がると、変な姿勢で座っていたせいか少し身体の筋が痛かった。

そこでようやく自分が授業中だという事を思い出す。
ついで、先生から頼まれた片付けが途中だということも。


「……早く片付けなきゃ……!」


一体どれくらいここで話し込んでいたのだろう。あまりに戻らなければ、先生が見に来てしまう。

慌ててバットの所に戻り、残っていた器具を片付ける為に奮闘を始めると、背後から丸井が覗きこんできた。


「ん、そいつらを片付けた良いのかよぃ?」
「……うん……先生に頼まれたの……」
「よーし、じゃあちょっと待ってろよぃ」


丸井がそう言った瞬間、バットの中身が唐突に宙に浮かびあがった。
先程の包丁と同じように浮遊し、とてつもない勢いで棚に向かって飛んでいく。
片付けているのだろうという事は分かったけれど、果たして本当の場所に戻っているのか心配になった。


「こんなもんだろぃ」
「……場所、知ってたの……?」
「ずーっとここにいるから、この部屋の事で俺が知らない事なんてないぜぃ」
「……そう、なんだ……あの、ありがとう、ね……」
「大したことじゃねーし、別に…………」


少し照れたような笑みを浮かべて、丸井が何かを言いかけた瞬間、準備室の扉が開いた。
慌てて振り返ると、その途中で空中に透けて消える丸井が見えた。


「片付け終わったかな?」
「……はい……」


一応辺りを確認したけれど、どこにも丸井の姿はなかった。
その事に少しがっかりしながら、実習室に戻って行く先生を追いかける。

準備室と実習室の境を抜ける瞬間、背後で物音が響いた。
扉を閉める時にさりげなく振り返ると、空中で左右に揺れる包丁が見えた。そのシュールな情景に笑いそうになりながら、そっと扉を閉じる。

実習室の喧騒が一気に私を包み込み、否応なく現実へと引き戻される。
俯き加減でグループの方へ向かうと、美味しそうに煮込まれた料理の匂いがまるで手招きするように漂っていた。




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