「……柳生君と仁王君は対の七不思議なんでしょう……?」
「ええ、そうです。前にも説明したとおり、仁王君は突き落とす七不思議で私は掬い上げる七不思議。同じ階段でそれぞれの怪異を起こすのですよ」
「……人を怖がらせるために……?」
「それが私たち七不思議の役目ですから」


赤い夕焼けが教室を染める。その光に透かされながら、ゆらりと柳生が宙を舞った。
柳生に見える彼が一体どちらなのかは分からないけれど、柳生としてここにいるのならばどちらでも対して差はないだろう。

ぽつりぽつりと言葉を交わしながら、知らなかった事を少しずつ知っていく。
柳生は尋ねれば的確な答えを返してくれた。分かりやすいその言葉を噛みしめながら、私は放課後の一時を過ごす。
昼休みや休み時間に彼と話をした日の放課後は、この教室へ来る事にしていた。大抵柳生はここにいて、私の質問に答えてくれる優秀な先生となってくれた。
柳生がいない時はそのまま家に帰り、日常の世界で時間を過ごす。

帰りが遅くなった私について、両親は特に何も言わなかった。
何かを言って私を傷つけるのではないかと、そう思っているのだろう。


「……仁王君が階段から人を突き落とすの……?」
「私が突き落とされた人を助けるのです」
「……私の時、落ちちゃったよ……?」
「物理的には落ちましたけれど、異界まで堕ちなかったでしょう?」
「……異界……?」
「あなたたち人間の世界と同じように私たち幽霊の世界もあります。人間の世界を現世というならば、私たちの世界は異界。仁王君が突き落とすというのは、現世から異界へ堕としてしまうという事なのですよ」
「……それを柳生が掬うの……?」


頷く柳生を見ていると、ぞっと全身に鳥肌が立った。
もしもあの時、柳生が間に合わなかったら私は異界に堕ちていたのだ。
柳が私にけしかけたあの闇が蠢く異界に堕ちて、無事でいられるとは思えない。


「……どうして、仁王はそんな事……」
「七不思議として存在するのは仕方のない事なのですよ。役目を果たさなければ、私たちは消えてしまう。消えてはならない理由があるからこそ、私たちは人間を脅かす為に存在するのです」
「……消えてはならない理由……?」
「―――色々と事情がありまして……少し、説明しづらいのですけれど」
「……じゃあ、柳生が掬えなかった人はどうなるの……?」
「異界に呑まれて、変質してしまいます」
「……柳生たちみたいな幽霊に……?」
「いえ、私たちは少々特殊な事情で幽霊になっています。私たちのような幽霊になるには、心残りを残すか……幽霊に引きずり込んでもらうしかないのですよ」


彼に一度聞いた話だと思っていたのに、後半の言葉を聞いて息をのんだ。
幽霊に引きずり込んでもらえば、幽霊になる。それは彼の告げなかった方法だ。


「普通の人間が異界に堕ちてしまうと、その存在は闇に呑まれ、暗い影に変質してしまうんです。生前のような意識は完全に消え去り、思考することなどできないただの影。私たちのような幽霊に使役される事もありますが、それ以外では他の影と混ざり合いながら異界を漂うだけの存在です」
「……柳生君、助けてくれてありがとうね……」
「私の役目ですからね」
「……これまで、間に合わなかった人、いるの……?」
「無いと言えば嘘になってしまいますね。……仁王君は気まぐれで、私に何も言わずに怪異を起こす事も多々ありますが、仁王君が怪異を起こすと私は呼ばれるのですよ」
「……呼ばれる……?」


なんとなく、仁王が柳生の名前を大声で呼んでいる構図が思い浮かんだけれど、それはないだろうと自分で否定する。
うーん、と悩むように唸って、柳生が先を続けた。


「人間で例えると、何と言えばいいのか……虫の知らせ、ですかね。仁王君の力が感じられますし、強く仁王君が怪異を起こした場所へと曳かれるんです。それに従って階段に急行し、人間を掬うという流れですね」
「……そう、なんだ……」
「殆どの場合はそれで間に合います。掬いあげて、現世に戻す事も可能です。ただ、仁王君がどうしても堕としたかった人間や堕とさざるを得ない人間は、掬わずに見過ごす事もあるのです」
「……堕としたかった人間? 堕とさざるを得ない人間……?」
「これもまた色々な事情があるのですけれど……七不思議としての存在が人間を堕とす者である仁王君にとって、誰も異界に堕ちないという事は役目を果たしていない事になるのです。役目を果たせない七不思議は消えてしまう。だからこそ、時々は人間を異界に堕とすしかないのですよ」
「……じゃあ、堕としたかった人間っていうのは……?」
「こちらに関しては仁王君の完全な選別ですね。どういう意図があるのかは分かりませんが、掬い上げようとする私を妨害するのです。そのせいで間に合わずに堕ちてしまうのですよ」


どうやら、七不思議の役目というのはかなり複雑なものらしい。なんとも言えない気分でそれを聞きながら、そう思う。


「……堕ちてしまった人は、行方不明になるの……?」
「そういう扱いになる場合もありますし、完全にいなかった事になってしまう場合もあります。前者ならば人間の間で騒ぎが起きますが、後者ならばいない人間になってしまいますから何も変わりません」
「……いなかった事に……?」
「何故そういう事になるのかは分かりませんが、とにかくそもそも存在しなかった事になるのですよ。存在が異界に堕ちた事で、現世の記録が書き換えられてしまうのです」
「……七不思議って、不思議な事ばっかりだね……」
「学校の七不思議ですからね。通常では考えられない事ばかりですよ」


その存在を認識してしまう私という存在も、普通の人間から見れば異常なものとして見られるのだろう。
例えば、今教室の外で誰かが聞き耳を立てて私の声を聞いていれば、私が誰かに相槌を打つように独り言を言っているように思えるはずだ。
返事もないのに言葉を紡ぐ生徒は、きっと異常でしかない。


「……柳生君……」
「どうされましたか?」
「……ううん、やっぱりなんでもない……」


言葉を濁して俯いた私を、柳生は少しの間見つめていたけれどすぐに目を逸らした。


「……七不思議が消えるって、どういう事なの……? いなく、なってしまうの……?」


俯いたまま囁くように尋ねると、柳生は一瞬沈黙してから言葉を返した。


「今日はもう遅いですから、まだ今度にしましょう」


気がつけば、窓の外に浮かんでいた夕日が、陵線の向こう側へ隠れようとしている。
いつの間にかこんなにも時間が経っていた事に気づいて、慌てて立ち上がった。


「……今日もありがとう。また、来るね……!」


穏やかに微笑む柳生に手を振り、教室を飛び出す。薄暗い廊下には人影一つなく、しんと静まり返っていた。





「やけにあの人間に肩入れするんじゃな」
「そういう訳ではありませんが……」
「人間なんぞ放っておけば良か。俺達とは関係のない生き物じゃ」
「……分かっています」
「そう見えんからこそ、わざわざこうして言葉をかけとるんじゃ。人間に何を言っても無駄じゃ。人間は変わらん。俺たち幽霊も変わりようがない。俺たちにはもう未来なんてもんはなか。ただ彷徨うだけの存在じゃ」
「……だからこそ、」
「…………」
「だからこそ、生きている人間に望みを託すのです。そうやって未来を願う事さえ許されないのでしょうか」


仁王は応えない。
冷たい瞳で柳生を睨み、そしておもむろに視線を逸らす。
ふっとその姿が歪んだかと思えば、一瞬で仁王が柳生になる。それにつられて柳生が仁王に成り代われば、何も変わらず向き合う二人がそこに立っていた。


「……お前さんのそれはお節介じゃ」
「分かって、います」
「……お前さんは……本当に馬鹿じゃな……」


ため息混じりに呟いて、先程まで仁王だった柳生が教室の壁をすり抜けて消える。
それを見送って、柳生だった仁王が己の両手を見つめて眉を潜めた。

今の自分がどちらであるのか分からなくなる時がある。
自分が誰だったのかさえ分からなくなる時がある。
その時間が伸びるにつれて、仁王と柳生は己の人格を失ってしまった。

本当の自分を忘れてしまった二人に残されたのは、仁王と柳生と言うあまりにもよく似た二人の幽霊だけだった。
全く違う外見に頼り、それぞれの人格を演じながら、二人は惰性の様に七不思議として存在するしかない。
忘れてしまったものを取り戻すには、もうすべてが遅い。


「……俺は、仁王じゃ……」


ぽつりと呟いて、仁王がゆっくりと床に沈む。その姿が消えた後には、ひどく暗い教室だけが残っていた。




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