「……私に、霊力なんて……」
「ならば、何故あなたに私が見えるのでしょう。今この時も、私はただの浮遊霊でしかないのに」
「…………」


ようやく言葉を絞り出して柳生に答えたけれど、続く問いに返事ができない。喉は凍りついてしまったみたいに動いてはくれないし、頭は真っ白で何も考えられなかった。
ただ、違う、という事実だけがぐるぐると頭の中を巡っている。

私に霊力なんてものがあるはずがない。
記憶に残る子供時代を思い返しても、学生生活の思い出を見返しても、どこにも幽霊なんていう非現実的なものは存在しない。

私が幽霊と出会ったのは、つい最近。
埃に満ちた薄暗い廊下で、冷たい目をした彼と出会ったのが最初だ。


「……何故霊を捉えることができるのか、貴女自身も知らないようですね」
「……う、ん……」
「驚かせてしまってすいません。けれど、どうしてもこれだけは知っておきたかったんです」
「……大丈夫、です……」


精一杯の努力で笑みらしきものを浮かべて見せれば、柳生も少しだけ頬を緩めてくれた。
ばくばくと心臓が全力疾走しているのを感じながら、柳生に問いかけようと口を開く。

尋ねたいのは彼の事。
聞きたいことは沢山あって、けれどもあらかじめ質問の内容を考えていなかったせいで、咄嗟に何を聞けばいいのか分からなくなる。
何でも良かった。彼の事を少しでも知る事が出来るなら、何かを知って、彼の傍に近付けるならなんでもよかったのに。


「私に尋ねたいことがあるのでしょう?」
「……はい……」
「では、とりあえずこちらに座ってください。立ったままで話をするのは良くないですからね」


示されたのはどんな教室にもある生徒用の木の椅子。
気がつけば、まだ扉の前に立ったままだった。慌てて、柳生に近付き、有りがたく椅子に座らせてもらう。座る前に気になって椅子に触れると、それは木特有の冷たさと固さで私の手を押し返してきた。


「それは普通の椅子ですから大丈夫ですよ」
「……普通じゃない椅子が、あるんですか……?」
「幽霊用の椅子というものもあるにはあります。普通の椅子には、基本的に私たちは座ることができませんから」
「……すり抜けて、しまう……?」
「ええ。先ほど、私が入口の扉をすり抜けたように。幽霊は基本的に物理的にはいないのと同じですからね。椅子にも、かなり注意して意識しない限り座ることはできません。同じように、物に触れることも」
「……でも、仁王は、私の教科書を……」
「彼には物を動かす力がありますからね。拾ったのではなく、力で浮かして拾ったように見せたのでしょう」
「……念力、みたいな……?」
「ええ、定義としてはそれに近いものがあります。それを使える幽霊と使えない幽霊の差、力の差はありますが、基本的には誰でも持っていますよ」


穏やかに微笑みながら、柳生が宙に浮かびあがる。ゆらゆらと辺りを漂いながら、彼は優雅な手つきで手を上げ、教室の隅に固められていた椅子の群れを示す。
それに従ってそちらを見やれば、ふわりと椅子の一つが浮かび上がった。ふわふわと揺れながら、それは私の椅子から少し離れたところにゆっくりと降りてくる。

それを見ているうちに、柳が本を拾って書架に戻した情景が浮かびあがってきた。彼もきっとこの力を使って本を戻したのだろう。


「基本的に人間世界の物を触れるには念力に頼るしかありません。椅子に座るには、自分と世界との境界を意識し、己の存在を人間世界に現してやる必要があるのです」
「……人間世界に現れると、人にも見えるの……?」
「私は七不思議ですから、生徒を驚かせるために怪異を起こす時は誰にでも見えるようになります。その他の通常時には、特に力を持った人間の目にしか映りません。どんなに人間世界に自分を現そうとしても、何の力を持たない人間には見られることはないのです」


柳生の声は耳に心地よい。
一定のリズムと聞き取りやすい滑舌が、分かりやすい言葉で私の知らなかったことを教えてくれる。
その話を聞いているうちに、少しずつ心が落ち着き、ようやく質問を口にすることができた。


「……あの、ね……幸村君は、何の幽霊なの……?」
「何の、とは?」
「……彼は七不思議ではないでしょう? でも、どうしてか私は彼を見ることができたから……」
「それは……私にもわかりません。彼と私は全く違う種類の霊ですから。それに……」
「……それに……?」
「もしも、貴女に霊力がなく、今まで他の幽霊を見たことがないのだとしたら……幸村君を見ることは不可能なんです」
「……不可能……?」
「はい。幸村君は人間の目に映る霊ではありません。どんな時も人間の目には映らない筈です」


けれど、と吐息のような微かさで柳生が何かを呟く。
その言葉が聞き取れなくて、思わず首を傾げて聞き返した。


「……今、何て……?」
「―――――いえ、ありえない話ですから……お気になさらずに」


ありえませんから、と柳生はさらに独り言のように呟いた。
そう言って誤魔化されてしまうと、どうしてかさらに気になってくる。

聞こえた音はおそらく半分程度。

幸村君が××××姿をみ××のなら。

確信はないけれど、こんな言葉だったような気がした。


その事について、さらに聞き返そうとした瞬間だった。


「柳生さん、まだ話しとったんか」


ずるり、と音をたてそうな動きで、銀色の頭が床から生えてきた。
金色の目が一瞬だけ私を映し、そしてすぐに柳生の方へと向けられる。


「おや、仁王君。どこへ行っていたのです」
「散歩じゃ、散歩。もう話し終わったかと思って帰ってきたんに」
「まだ話は終わっていませんが……」


柳生の声に重なり、授業の終了を告げるチャイムが鳴り響く。
途端に、廊下に生徒たちの賑やかな声が響きだし、先程までの静けさに満ちた不思議な空間が壊れてしまった。
それ以上、質問の言葉を重ねることに躊躇っていると、仁王がちらりとこちらを見て滑るようにして扉から廊下へと出て行った。


「いつの間にか時間が経っていたようですね。授業の時間を潰してしまいました」
「……ううん、私が話を聞きたかったから……色々、教えてくれてありがとう……」
「いえ、結局知りたかったことにはお答えすることができませんでしたし……お力に添うことができず、申し訳ありません」
「……いいの、本当にありがとう……良かったら、また話をしてね……」


自分の口からその言葉が放たれた瞬間、心臓がとまってしまうほどの衝撃を受けた。
ずきり、と胸の奥が痛んで、ぐるりと視界が回る。


見えるのは、沢山の子供。
その子供たちから離れた場所に立ち、おずおずと口を開く幼子。
その両手は哀れなほどに震え、目には涙が浮かんでいる。
小さな声が言葉を紡いで、乞うように首が傾げられた。
群れとなってざわめく子供たちが顔を見合わせ、嘲るように唇を吊り上げる。
子供たちが口々に幼子に向かって言葉を発すると、その度に幼子の瞳から透明な雫が零れ落ちた。
ほろほろと落ちる雫が地面に落ちて、小さな染みを作る。


これは、私が友達を欲しがった時の光景だ。
一番傍にいた女の子たちに仲間に入れてと頼んだ時、彼女たちは私を馬鹿にして笑った。
仲良く笑っていた彼女たちの口から飛び出す嘲りの言葉は、今でも耳に残っている。


知らず知らずに両手が小刻みに震えていた。
背筋に冷たいものが伝い、胸の奥に鉄の塊でも詰められたかのような違和感がある。
柳生の返事を聞くのが怖くて、吐き気と共に言葉を吐いた。


「……ご、ごめんなさ、い……今のは……」
「いえ、構いませんよ。基本的に幽霊というのは暇ですから。是非、またお話をしましょう」
「……え……?」
「私は大体あの階段か、その付近の廊下にいます。けれど、あのような場所で話をするのは目立つでしょうから……またここに来るというのはどうでしょう。ここならば、人にも見つかりませんし」


柳生が拒絶の言葉を吐いているのではないのだと理解した瞬間、すっと手の震えが引いた。
気が抜けてしまって、言葉をかけてくれる柳生に返事ができない。
それを気にした風もなく、柳生はそれでは、と別れの口上を述べた。


「また近いうちに会うことになるでしょうが……一先ず、今日はここで失礼します」
「……うん、ありがとう。また、ね……」
「ええ」


すぅっと床に沈み込むように柳生の姿が消えていく。
足が消え、身体が消え、そしてあとは頭だけになった時だった。

不意に、生首状態の柳生が振り返り、そしてひどく獰猛な猫のような笑みを浮かべる。


「……え……?」
「突き落とす七不思議とすくいあげる七不思議は常に対。どちらがどちらとは言いませんが、片方がある所に相対すべきもう片方も存在している。努々、それだけは忘れずに」
「……や、ぎゅう……?」
「どちらがどちらでも、大した変わりはないのですけどね。対という事は、入れ替わることも可能ですから」


唇がさらに裂けて、真っ赤な口腔が覗く。
ちらり、と細い舌が唇の端から見えて、それを最後に柳生は完全に床に沈んでしまった。


「……に、おう……?」


果たして、柳生だったのか、仁王だったのか。
そもそも、どちらが本当の柳生で仁王なのか。

謎かけのように意味の分からない言葉が頭の中を巡る。
仁王が消えた扉の方を見てみたけれど、そこに彼の痕跡がある筈もなく。

ただ、冷たく硬い扉が、日常の廊下と非日常の教室の間を塞いでいるだけだった。




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