結局、授業には行けなかった。背中の痛みがひどかったし、何よりも同じ顔をした二人の幽霊が私を囲んでいたから。
居心地の悪さを感じながら、痛みを堪えて階段を上がる。いつ人が来るか分からない廊下で幽霊なんて非現実的なものと会話するわけにはいかない。


「……背中の痛みは大丈夫ですか?」
「……だい、じょうぶ……」


本当はすごく痛いけれど。
本音を押し隠して、壁に縋りつきながら廊下を進む。双子のような幽霊の片割れが先導し、もう一人は退屈そうに後ろを着いてきている。
どこに行くのだろう、とぼんやりと思っていると、先導していた幽霊が急に立ち止まった。その背中を突き抜けそうになりながら立ち止まり、教室のプレートを見上げる。
普通ならそこに教室の名前が書いてあるはずなのに、見えるのはうっすらとぼやけた白い線だけだった。


「どうぞ、中へ」


先導していた幽霊が振り返って柔らかく微笑み、そのまま扉の向こうへ消えてしまう。その後を後ろからついてきていた幽霊が続き、音もなく消えた。
それを見送って、一度背後を振り返る。物音一つしない廊下はひどく冷たい空気で満ちていて、ひんやりと背筋に冷たいものが走った。
それを振り払う為に一つ息をつき、教室の扉をそっと開く。なるべく音を立てないように教室に滑り込んで、すぐに扉を閉めた。周囲から見れば私がひどく挙動不審な動きで教室に入っていくように見えただろう。
誰にも見られていないことを願いながら、薄暗い教室に幽霊の影を探す。彼らは教室の中心近くで静かに佇んでいた。


「……さて。仁王君、とりあえず偽装を解いてください。非常に紛らわしいです」
「別によかろ。俺たちは困らん」
「彼女が困っているのです。どちらがどちらか見分けがつかないと困るでしょう」
「めんどうくさいのぅ」
「仁王君!」
「……柳生さんは口うるさい奴じゃ」


どうやら、最初に出会った方の幽霊は仁王というらしい。会話の流れからして、ひどく怠惰な空気を醸し出している。それに相対するのが柳生で、こちらはわりとまともだ。

双子幽霊の片割れがおもむろに眼鏡に手を伸ばし、それを外す。その瞬間、茶髪だった髪が色褪せて銀色に染まり、瞳がらんらんと金色に輝き始める。廊下で出会った、最初の姿だった。
どうやら、仁王は柳生の姿を借りていたらしい。その事を二人は偽装と呼んだ。

元の姿に戻った仁王を見て、柳生が満足そうに頷く。自然な動きで眼鏡を押し上げてから、私の方に向き直った。


「混乱させてしまって申し訳ありません。仁王君は少々悪戯好きな所がありまして、よく私の姿を勝手に使うのです」
「柳生さんも俺の姿使うナリ」
「あなたが私の姿を返さないからでしょう。そのまま怪異を起こす事も多いですし、私はその度に困っているのですよ」
「……プリ」
「……あ、あの!……」


偽装。怪異。双子幽霊。
私が最近知った、学校のもう一つの顔。
そして思い出されるのは、ひどく冷たい彼の顔。


「……あなたたちは、七不思議、なんですか……?」
「そうですよ」


緊張を孕んだ問いに返されたのは、当然と言わんばかりの肯定。
穏やかに笑みを浮かべた柳生を見つめながら、両手を強く握りしめた。爪が食い込んで痛い。その呻きを押し殺せば、その反動で背中が痛んだ。
口元に笑みを浮かべたまま、仁王がふわりと宙を舞う。窓際まで滑るように動いて、彼はそのまま窓をすり抜けて教室を出て行った。


「……あ……」
「おや、仁王君はまだどこかへ行ってしまいましたか」
「……追いかけなくて、良いんですか……?」
「構いませんよ。学校の外へは行けませんから、またそのうち見つけられるでしょう。彼が怪異を起こせば、私にも分かりますから」
「……分かる……?」
「ええ。なんとなく、感じるんです。おそらく、私と彼が対だからだと思いますが」
「……対…二人で一つの七不思議なの……?」
「いいえ」


きっぱりとした否定。
柳生はひどく曖昧な笑みを浮かべながら、言葉を紡ぐ。


「私と彼は、一つずつ七不思議を担っています。けれども、その働きは対なのです。だからこそ、私と彼は入れ替わることができる」
「……あなたが、七不思議なら……」


この学校に住まう幽霊で、学校の中で生きる七不思議で。
柳と同じような存在なのだとしたら。


「……蒼い髪と目の幽霊を知ってる……?」
「蒼い髪と、目? ……幸村君の事でしょうか」
「……知ってる、の……?」
「えぇ、知っていますよ」


そう言った柳生の顔はひどく複雑な表情を浮かべていた。
寂しそうで、悲しそうで。そしてどことなく痛みを孕んだ顔。
言葉に迷うようになんどか唇を開いては、すぐにそれを閉じてしまう。


「……私、彼の事が聞きたいの。知りたいことがあるの……」
「私に答えられる範囲の事ならば答えましょう。けれども、その前にお尋ねしたいことがあるのです」
「……何……?」
「あなたはどうして、仁王君に触られることができたのでしょう」
「……え……?」
「仁王君は簡潔に言えば、階段から人を突き落とす七不思議です。だからこそ、彼は怪異として現れるときだけ人間に触れることができる。その筈が、何故か怪異としてではなく、ただ廊下を浮遊していた時にあなたにぶつかられたと言っていました」


ふと、思い出した。
ひんやりと冷たかった仁王の身体と、確かめるように触れられた手。
不思議そうに上がった、ぶつかった、という呟き。

そして。
彼に触れようと伸ばした手は、空を切って彼を突き抜けた。
触れられなかった。触れたい、と願ったのに。


「そしてあなたは私の事を視界に捉えている。怪異としてではなく、浮遊しているだけの私に、です。だからこそ、聞かせてください」


穏やかに微笑んだまま、柳生がぽつりと尋ねた。


「あなたは、霊力を持っているのでしょうか?」
「……霊、力……?」
「あなたは、私たちを昇華させるために七不思議を探しているのですか?」


何故か、窓をすり抜けて消えた仁王を思い出した。対である柳生を振り返ることもせず、彼は窓の外へと出て行った。
そう、それはまるで何かから逃げるかのように。何かに怯えているかのように。
彼は私から逃げるために、出て行ったのだろうか。

柳生が首を傾げたまま、私の返答を待っている。
違う、と首を振りたいのに言葉が出てこなかった。喉の奥でつっかえてしまった言葉は、こうなるとしばらくは出てこない。
いつだってそうだった。返事をしたいのに、答えは出ているのに、言葉にできないが故に私は誰の仲間にもなれなかった。

いつもいつも、私は誰かの傍にいたかったのに。




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