「ねぇ、真田。神様ってなんだと思う?」
「何、とは……一体どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。例えば、人はとても大事なことがある時に神様に頼むでしょう。初詣とかの御参りにも神様の存在をはっきりと自覚して手を叩くでしょう。なら、その神様って一体なんなんだい?」



遠い場所で、地の底から響くような低い音が鳴り響く。
それは薄暗い雲で渦巻く雷鳴の音だ。それを聞き流しながら、色を失った肌で幸村が空を仰いだ。

いくら室内へ誘っても、がんとしてこの男はここを動かない。
無理にでも抱えていこうとすればできない事は無いだろうが、その後の復讐を考えると今一つその方法に踏み出すことができないでいた。

だが、少しでも雨の雫が落ちれば、どんな手段を使ってでも彼を病室へ連れ戻さねばならないだろう。



「神などに縋るのは愚かしい行為だ。自分の努力だけが自分を支えてくれるものだろう」
「運、もあるだろう。運任せは好きじゃないけれど、そういう考え方がある事は確かだ。運がいい、なんて皆口にする言葉じゃないか」
「それとこれとは話が別だろう」
「そうかもしれないけどね……まぁ、真田に聞いたのかが間違いかな」



君はこういう問答には向いていないからね、と口先だけで笑われてしまえばそれ以上言葉を紡ぐ気になれない。
自分でもその自覚はあったが、いざ言葉にされると思っていたよりも心に痛いものだという事が判明した。

思わず小さく唸り声を上げれば、彼の透明な瞳がこちらを見やる。
それが柔和に細められるのを見て、小さくため息をついた。



「それで、満足したのか」
「ううん、全然。本当はこのまま雨に濡れていたいところだけど……そんな事は真田が許さないだろう?」
「当たり前だ。お前は自分の体調を理解しているのか」
「少なくとも真田よりはね。自分の身体のことくらい、自分で分かってるさ」
「ならば自分で考えろ。今の状態で雨に濡れればどうなるのか」
「そうだなぁ……」



一瞬、空が輝いた。
反射的に身体が反応し、小さく身を竦める。

彼はゆったりと首を回して広がる雷雲を眺め、思いついたように言葉を吐く。



「まぁ多分大丈夫だよ。俺、神の子だし」
「お前は一体何を言っているんだ……」
「別に俺が言ったんじゃないよ。皆が言うんじゃないか」



どこか遠くを見つめたままに、彼が笑う。
声の調子だけではっきりとわかるほど、彼は何かを嘲笑っていた。



「俺が自分の事を神の子なんて言う訳ないじゃないか。神の子なんて、そんな馬鹿らしい名前をさ。神様なんてこの世界にはいないのに、よくみんな恥ずかしげもなくそんな事ばっかり言うよね」
「信じる者は救われる、という言葉があるだろう。それに……」
「じゃあ、俺も」
「……?」
「俺も、今からでもちゃんと神様を信じて、神様の事敬って。どうかどうか、神様の子供である俺を助けてください、ってお願いしたら、俺も救われるのかい?」



動かない足。上げられない腕。
車椅子に乗り、それを操作してもらわなければ病室から出る事すら叶わない。

毎日毎日、流れていく雲を見つめて時を数えて。
そのまま自分を置いてきぼりにして日々が過ぎていく。



「俺がこうなったのは、俺が神様の事を信じてなかったから? 縋れば、誰かが救ってくれるのかい? そうじゃ、ないだろう」
「……あぁ、その通りだ」
「――俺、真田のそういうところ嫌いだな」
「なんだと?」
「自分が本当に悪いかどうかなんて考えずに、俺の事を傷つけたと思ったから肯定しただろう?」
「そのような事は……」
「嘘つき」



一刀両断、という言葉がぴったりと当てはまるほど躊躇いなく言葉を切って捨て、彼が笑う。
その笑みは、感情の浮かばない透明な瞳が笑みの形に歪められているだけだ。

不意にすぐ近くで低音が鳴り響き、唐突に彼がゆるやかに立ち上がる。



「幸村っ……!?」
「確かに動きにくいけどね、まだ辛うじて歩くぐらいならできるさ」
「ならば何をっ……!?」
「真田、そこを動くなよ。神様がいるなら、きっと俺は大丈夫だからさ」
「幸村っ!!」



ふらふらと危なっかしく上体を揺らして彼が屋上のフェンスに近づいていく。
その向こう側には鳴り響く雷雲が広がっていた。

動くなという言葉に従っている場合ではないと分かってはいたが、どうしてか身体が動かない。
呆然と彼がフェンスを掴んで支えにし、こちらを振り向くまでを見つめていた。



「真田」
「……なんだ」
「俺は、誰?」
「幸村精市だろう」
「じゃあ、幸村精市って何?」
「テニスが強い、我が立海大付属中テニス部の部長だ」
「じゃあさ、最後の質問だよ」



笑う、嗤う。
彼の瞳が、唇が、ゆるやかに歪む。



「その事に、何の意味があるの?」



どん、と激しい音と光。
足元がぐらぐらと揺れているような気がした。

同じ表情を浮かべたまま、彼がそこで佇んでいる。


走ればすぐに手が届く距離。
けれども、身体は動かない。
頭だけが必死に、問いの答えを探している。



「俺はもうテニスができない。こんな身体じゃラケットを振る事さえできない。そんな俺に、テニス部部長なんて肩書きがどんな意味を持つんだい? 俺からテニスを取ってしまったら何も残らない。そこまで極論を振りかざすつもりはないけれどね。ねぇ、真田。俺に教えてくれよ。テニスがない俺は、これから何に縋って俺になればいいんだい?」



問いが、響く。
重ねられる言葉への返答は思い浮かばない。

ただ手をきつく握りしめて、その顔を見つめていた。
泣きそうに歪んだ、その笑顔を。


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