誰もいない所に行きたかった。仲間も、家族も、君も。
俺一人で消えてしまえる場所に行きたかったんだ。
「─────次は……駅です」
アナウンスの告げた駅は、既に知らない地名のものだった。
この列車がどこに向かっているのかさえ、俺は知らない。
飛び乗った頃、太陽は真上にあったけれど、今はもう夕日が沈みかけている。
窓の外を流れていく景色に見覚えはなくて、もう随分遠い所まで来たのだと実感した。
この時刻は乗客が少ないようで、あまり人はいなかった。今乗っている車両にも、自分以外ではたった一人。
見覚えのない、見知らぬ人たち。
がたん、と音をたてて列車が止まり、扉が開いた。
同じ車両に乗っていた乗客が降りて、一人で一車両を占領する。人の多い都会ではあまり経験できない事態に、思わず苦笑を洩らした。
「次は終点────」
ああ、もう終わりだ。乗り物の力を借りても、ここまでしか来られなかった。
この先は、自分の足で進むしかない。
がたん、とまた大きく揺れて列車が止まった。扉が開くのを待ち、ホームに降り立つ。駅員に切符を見せて、駅を出た。
同じところ────終点で降りたのはたったの四人。自分を入れても、それだけ。
開けた視界に飛び込んできたのは、真っ赤に染まった知らない景色。その光に焼かれて、全てが燃え尽きてしまえばいい。
俺の体を焼いて、世界を焼いて。
全てを終わらせてしまえばいいのに。
一歩足を踏み出すと、ひどく体が重たかった。
全身が悲鳴をあげて、もう限界が近い事を知らせている。
本来なら、外に出ることさえも危うい体なのだ。ずっと列車に揺られ続けていたことさえもが、体力を削る原因になっている。
体の警告を無視して、舗装されていない道を歩く。
どこに行けばいいのか、どこに行きたいのかさえ分からないけれど、ここでじっとしていても何も変わらない。
どうして自分がここにいるのかさえ分からなかった。
ただただ遠くへ行きたくて。
そして着いたのがここ。
こんなところに来て何が変わるというんだろう。
もう決まってしまった全てを、変えることはできないのに。
ふいに痛みが走った。
感じ慣れてしまった全身に走る痛みと、倦怠感。
そして、全てが遠くなっていく。
視界が揺れて、水平に広がった。
何もかも紅い。
真紅に染まって。
ゆらゆれ揺れて。
冷たくなっていく。
「君、大丈夫か…!?」
駆け寄ってくる足音。
その声は、君じゃなくて。
こんな所にいるはずがないから、それも当たり前で。
それを望んできたはずなのに、なぜか聞きたいと願うのは君の声。
どんな時でも、傍にいて欲しいと願うのは、君だけ。
真っ黒に染まっていく意識の中で、最後に見えたのはやっぱり。
真っ赤に染まった知らない景色だった。
いなくなったのは昼過ぎ。
見つかったのは、もう日が沈みかける夕方。
寿命を縮めるほど心配し、心当たりを走り回ったというのに、見つかったのは神奈川からかなり北上した所だった。
どうやら列車で行ったらしく、駅を出てすぐに倒れたところを駅員に見つかったらしい。
救急車に乗って帰ってきた幸村は、出て行った時よりも具合が悪そうだった。一向に目が覚めず、ずっと眠ったまま。
まるで、夢でも見ているような顔をしていた。
「あまり、心配をかけるな…」
なぜ急にいなくなったのか。自分に、何も告げず。
前日にはいつものように笑みを浮かべて話をしていたのに、次の日に来てみればベッドには誰もおらず行方を知る人もいなかった。
動くことができるはずもない身体で、出て行ったのだと告げられた。
「…真田」
「幸村、目が覚めたのか」
「声を、聞いたからかな」
「声?」
うん、と頷く幸村がかすかに笑った。
「声が聞こえたんだ。真田が俺を呼ぶ声が。そしたら、体が軽くなって、目が覚めた。真田はすごいな」
「……何を言う。お前の方が…」
「俺はもう、何もできないよ」
ひどく平坦な声で、それでも何気ない口調で呟いて。
何を考えているのか、ちっともわからない。
目の前にいるのに、ひどく遠い所に行ってしまったような気がして、ふいに恐ろしくなった。
とっさに手を伸ばし、シーツごとその体を抱き抱える。思っていたよりも細くて、華奢な体だった。
幸村は驚いたように身をすくめ、そしてすぐに体を預けてくる。
力を込めすぎないように抱き締めて、その耳元で囁いた。
「心配したんだぞ……」
「────……遠くに、さ」
「遠く?」
「遠くに行って、誰も知らないような所で、消えてしまおうと思ってたんだ」
「幸村、何を……」
「全部全部終わらせてしまおうと思ったんだよ」
ひどく辛そうな声で呟かれる言葉は、あまりにも悲しい言葉。
誰も望んでいないはずの言葉だ。
「俺、もうテニス出来ないんだって」
「だからさ、もう終わりでもいいかなって思って」
「遠くに、行ったんだ」
「なのに、体が動かなくて、自分の行きたい所にも行けないんだよ」
「意識が消えるとき、もう終わりでも良いかなって思ったんだ」
独白のような呟きを止めたくて、力を込めて抱き締める。
もう逃がさないように、もう離れないように。
消えてしまわないように。
「真っ暗の中で、真田の声が聞こえた。俺の名前を呼んでた。終わりでも良いと思ってたのに、会いたくなって…帰りたくなって……。だから、戻ろうと思って……呼んでくれたんだろ?」
「呼んだ。何度も呼んだ……呼んで欲しければ、いくらでも呼んでやる。だから…」
もうどこにもいくな、と呟くと頷く動きが伝わってきた。
泣いているのだろうか、微かに揺れる体は、ひどく冷たい。
「テニス、できないんだって……」
もう、二度と。
幾度も幾度も呟かれる言葉が、最後には意味をなさない嗚咽に変わっていく。
何か言葉を告げてそれを止めたかった。けれど、思いつくどの言葉もそれを止めるような力は無い気がして。
何一つ、言葉をかけられなかった。