特に俺が出なくてはならない試合じゃなかった。俺なしのオーダーで負けは一つもなかったし、皆を信用していないわけでもない。
でも。ただベンチに座って試合を見ているだけというのは結構退屈で、やっと戻ってきたのに試合に出られないという虚しさがそれを助長する。
ちらりと横目で真田を見上げると、厳格な無表情がただ一心に試合を見つめていた。勝つことは分かっているというのに、御苦労な事だ。もう見なくても構わないだろうに。


「真田」
「どうした、幸村?」
「退屈なんだよね」


ああ、口に出したら退屈度が上がったような気がする。退屈だ退屈だ退屈だ。退屈すぎて、今ならそれを死因に死ねるかもしれない。
試合に出たかった。勝つことが分かっている試合でも何でもいい。とにかく試合に出て、俺がここに戻ってきたのだということを確認したいだけなのに。
それは、この生真面目な副部長のせいで叶わない。


「試合を見ていろ。お前は部長だぞ」
「試合に出たいなー、なんて」
「馬鹿を言うな。無理に決まっているだろう」
「どうしてさ?」


身体の不調はもう完治している。もう四肢の痺れは消えたし、呼吸が苦しくなる事もない。
入院中テニスを離れていたというブランクはあるけれど、それでも俺は真田よりも強い。それは復帰後の試し試合で確認済みだし、真田も分かっているはずなのに。


「どうしてという問題ではない」
「ちゃちゃっと決めれば体力だって持つよ」
「駄目だ」
「なんでさー、真田のどケチ、老け顔、うつけ者、たわけ者―」


本当は体力が持つかどうかは不安だった。多分、さっさと決めてしまえば持つと思う。五感を奪うまでもないだろうから、そんなに体力を消耗することもないだろう。
でも、もしも相手が予想以上に粘ったら?
その時はどうなるか分からない。
その不安を見抜いたのかのように、真田が深くため息をつく。


「体力がまだ戻っていないのは分かっているのだろう。それにまだリハビリの途中だ。テニスの感覚が戻りきっていない者を試合に出すわけにはいかん」
「その感覚が戻りきっていない俺に負けたくせに」
「……うむ」


真田の言葉は正論だ。間違っているのは俺なのだと分かっている。
けれどそれでも、はいそうですかと納得するわけにはいかなかった。
せっかく戻ってきたのだ。死ぬ気で病院でのリハビリを終え、自由に動く手足を勝ち取ってきた。
なのに、ここに来てテニスができないなんて悲しくて仕方がない。これまでの努力が全く実っていないじゃないか。


「幸村、聞き分けろ。お前も自分の言い分が間違っていることは分かっているんだろう?」
「分からない。あー、試合に出たい。でーたーいー!」
「試合中なのだから静かにしろ」


呆れた様な真田に頭をはたかれて、その上に帽子をかぶせられる。大きいが故に視界をふさいでしまうそれは、真田がとても大事にしているものだった。
以前、悪ふざけで取ってみたら予想以上の剣幕で叱られ、驚いたことがある。詳しく聴けば、祖父から貰った大切な物だということだった。


「何これ」
「それをやるから大人しくしていろ。もうすぐ試合が終わる。帰ったら俺が相手をしてやるから」
「えー、また真田が相手?もう飽きた」
「仕方がなかろう。他の者では相手になるまい」
「まぁ、それもそうだけど……」


やはり真田の言い分は正論で。俺の言葉のつけ入る隙は、どこにもなかった。





ヘアバンドで押さえたはずの前髪が視界の隅を揺れていた。それを少し鬱陶しく思うものの、直す手間の面倒くささの方がそれに勝っていて直そうとは思わなかった。
相手コートの真田を睨みつけながら、ラケットでボールを強打。それはうまく真田の足の間に滑り込み、返されることなくコートの向こう側へと消えた。


「やはりお前は強いな」
「当たり前だろ。俺はもう誰にも負けないんだから」
「そうだったな」


苦笑交じりの笑みを漏らし、真田がサーブの構えを取る。
試合中の俺の我儘のせいで結んだ約束を、真田は律儀に守ってくれていた。試合後、夕方になっているというのにこうして相手をしてくれている。
けれど、真田でも俺の相手にならない事はまぎれもない事実で、きっと俺の体力が万全に戻れば真田との打ち合いも物足りなく感じ始めることだろう。
その事を真田もきっと分かっている。分かっている上で、黙って俺の相手をしてくれている。
俺と同等、もしくそれ以上に自尊心の高い男だ。きっと内心は悔しさでいっぱいだろう。


「幸村」
「何?」


ラリーの音の合間で響く、二人分の声。集中しているからか、その他の音は何一つ聞こえてこなかった。


「そのうち、俺では相手にならなくなるだろう。だが、俺もお前の体力が戻る頃にはもっと強くなっているはずだ」
「ふふ……分かってるよ。俺は真田の強さをよく知ってる。だから、これからもよろしくね」


分かってる。
君が俺のために強くなろうとしてくれていること。
俺の望んだ三連覇を叶える為に努力に努力を重ねていること。
その辛さも苦しさも、他の仲間よりかは知っているはずだ。


だからこそ。真田と打つのは辛い。
入院していたというのにあっさりと真田に勝ってしまう俺の事を、真田はきっと快くは思っていないだろう。それは真田の努力が否定されてしまったということで、それは真田の考えを一から覆してしまうことだから。
けれど、真田は相手をしてやると言って笑ってくれる。だから俺は真田にその優しさに甘えてしまう。
真田の優しさが心地良いから、それを拒めない。
ぐるぐる回る悲しみのループは、いつか俺が負けてしまった時に終わるだろう。
その時、俺も真田も勝利に執着する心から解き放たれるに違いない。
だから俺は、その日が早く到来することを祈っている。それが俺と真田の望みに反することだと知りながら、俺と真田が悲しみから解放されるためだけに、明日を望み続けているんだ。





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