目を閉じれば思い出す
あの時の完璧なまでの敗北感と、俺を射抜いていた鋭い瞳を





負けたくなかった。
bPになるためにこの学校に来て、テニス部に入って。
なのに、こんなにあっさり負けてしまうなんて、認めたくなかった。


「俺はこんな所で負けるわけにはいかないんだ!」
「残念だな、一年生。君の負けだよ」


点差は絶望的。
最後の最後まで、俺の技は何一つ通用しなかった。
圧倒的な強さを見せつけたそいつは、汗一つかいていない。
俺は汗だくで、ぼろぼろで、目が真っ赤に充血しているというのに。
すぐ傍に立っていた影が踵を返し、離れていく。


「俺はお前に勝つ!勝ってやるからな!」
「ふふ……まずは、口の利き方を治した方がいい」


笑っていたのだろう。逆光で何も見えはしなかったけれど。
声は確かに笑っていて、振り返ったその瞳は、いささかも揺るいでいない。
ぞっとするほど綺麗な瞳。そこに宿るのは王者の誇りか。
到底、敵わない。そう思ってしまうほど、強さと鋭さを孕んだ瞳をしていた。


「もう一回勝負しろ!」


激情に駆られ、絶叫のように怒鳴ると、その瞳が細められた。
激しい運動のせいで体は熱いのに、何故か空気が冷え切ったような気がした。
瞳が鋭さを増して、次の瞬間、興味を失ったかのように逸らされる。


「また負けるだけだよ」


凛とした響きを持った声は、真実を告げていた。
そう、俺がもう一度試合をしたって、勝てるわけがない。
わかっている。わかっているけれど、このまま引き下がることはできなかった。
ただ試合を求める声を上げようと口を開く。
だが、言葉が声になることはなく、そいつが放った声に遮られた。


「そうだな……その言葉遣いを治せたら試合してもいいよ」


馬鹿にするような条件を告げて、今度こそ離れていく。
見上げるようにその後ろ姿を見送って、両手をきつく握りしめた。爪が手の平に食い込んで、ひどく痛んだ。



それが俺と幸村部長との最初で最後の試合。
それ以来、試合をすることはできなかった。
だから、俺はあの人に勝つことができない。




病魔に侵されたその体は、白を通り越して青白く染まっていた。
乱れた呼吸音が、かろうじて部長が生きていることを告げている。それがなければ、死体そっくりだ。
一日でこんなに変わってしまうものなのか。それほどまで、この病気は重いのか。
昨日までいつもと同じように話をして、笑って、明日もそれが続くのだと信じていたのに。


「どうして……」


まだ勝てていない。
何一つ追いつけてもいない。
この人に勝ちたい。勝って、見返してやりたい。
最もテニスが強い学校の中で、一番強いこの人に勝って、bPは俺なのだと認めさせたい。


なのに、どうして?


胸の中に蟠った悔しさを吐き出してしまいたくて、けれど、それをぶつける相手がいない。
あの時、俺を射抜いた鋭い瞳も、今は瞼の下に隠れている。
その中に宿る誇りはどこへ消えた?
こんな所で終わってしまうほど、あんたの誇りは薄っぺらいものだったのか。


「部長っ……!」


ひきつった叫び声をあげても、部長は身動き一つしない。
今にも止まってしまいそうな呼吸を繰り返し、ただ懸命に生きている。
生きていくことに精一杯で、テニスをできるような状況じゃない。

それでも。

俺はまだこの人に勝てる気がしない。
どんなにこの人が弱っても。
どんなにこの人の誇りが落ちぶれても。
俺はきっと、この人に勝てない。


「赤也、今日は帰ろう」


背後から掛けられた言葉に無言で頷いた。
見るに堪えなかった。
俺が目指していた人が、こんなにまで弱り切っている姿を、見ていることができなかった。




「今すぐ命にかかわる病気じゃないそうだ」


帰り道、柳先輩が呟くように説明してくれた。
猶予はある。けれど、原因がはっきりしない病気で、病名すらついていない。ギランなんとかという病気の類似病だと。


「原因がはっきりしないから、治療法も分からない」


それは、暗に回復の目処が立たないことを示していた。
誰も何も言わない。きっと、俺と同じで事態の深刻さに言葉が出てこないんだろう。
その病気は、いつか俺達から部長を奪ってしまうんだろうか。

その日、俺はどうやって家に帰ったか覚えていない。





ふとした拍子に考えるのは部長の事。
あの人は今、何を考えているんだろう。
何を思って、何を感じて、あんな牢獄のような病室に収まっているんだろう。




勝ちたい。どうしても、勝ちたい。部長に、勝ちたい。
その一心でテニスに打ち込んだ。もともと真面目ではなかったのに、部長の姿を思い浮かべるだけで、どんなに辛い練習も耐えられた。
そんなときに浮かぶ部長は、決まって真っ白い部屋の中で眠っている。
テニスをしていた時の姿が浮かんだことは一度もなかった。




今試合をしたら、6−0よりはましな結果が残せる。
そんな思いを持てるようになったのは、冬の厳しさが綻ぶ春の初め。
いつの間にか、部長が入院してから数か月が過ぎていた。
春といってもまだ僅かに雪は残っていて、その白は、無機質な病室を思い出させた。

ましな結果が残せる、と思った瞬間から、無性に部長に会いたくなった。
俺はこんなに強くなったのだと、そう見せつけたかったのかもしれない。

部長が病室に収まっていた時間、俺はこんなに強くなったんですよ。早く戻ってこないと、俺、部長より強くなっちゃいますよ。いいんですか?だから、早く戻ってきてください。

あの日告げられた条件の通り、俺は口調を治した。最初は舌を噛みかけたり、どもったりしていたけれど、今ではもう普通に話せる。
それを聞かせたい相手は一人だ





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