あの試合が終わってからずっと、彼は人形のように空虚な瞳でどこか遠くを見つめている。
その瞳に映っているのは、手に入らなかった王座だろうか。
もう二度と、彼が手に入れることができないそれを、今も夢見ているのだろうか。





広い屋上に広がる花々は、幸村くんが入学してから植え、そして今も世話をしているものだ。色とりどりでありながらも、決して出すぎることはなく清楚な感想を抱かせる配色は見事という言葉でしか表現できない。
柳や真田だったら、これをどう表現して幸村くんを喜ばせるのだろう。残念ながら俺には彼らみたいな語彙はないから、せいぜい綺麗とか見事とか呟くだけだ。
それでも幸村くんはとても喜んでくれる。にこにこと無邪気に笑って、俺のために花の話をしてくれる。
けれど最近はその話を聞いていない。いつここに来ても、幸村くんはぼんやりと空中を眺めているだけで、あれほど綺麗に咲いていた花は少しずつ萎れ、今では情けなく頭を地に引きずってしまっていた。
幸村くんはもうガーデニングをしようとしない。土を耕す事も種を植える事も水をやる事もしなくなった。ただ義務を果たすようにここにやってきて、空が黒く染まるまでそこに座っているだけ。
何を考えているのかはすぐに分かった。あの日の事だ。
幸村くんが負けてしまったあの日、俺達が王者奪還を成し遂げられなかったあの日の事を、きっと考えているんだろう。


「幸村くん」


屋上庭園に広がる花に注意しながら幸村くんに近づいて声をかける。足音で気づいているはずなのに、幸村くんは身じろぎ一つせずに空を見上げたままだった。
その背中が世界の全てを拒絶するような雰囲気を醸し出していて、それ以上声を上げることを躊躇わせる。
なるべく音をたてないように幸村くんの隣に歩み寄り、そっと腰を下ろす。肩と肩が触れ合うような距離なのに、何の反応も返ってこない。


「ねぇ、幸村くん」
「………丸井?」


その腕に手をかけて軽くゆすってみると、ようやく反応してくれた。
ぼんやりとしたままの瞳が俺の赤い髪を鮮明に映し出している。驚いたような不思議そうな瞳は、俺を映しているのに俺を見てはいない。幸村くんはもう、どこも見てはいないんだ。

見たいものがここにはないから。
見たいものも望んだものも、ずっとずっと遠い所にあるから。


「どうしたの、こんな所で」
「幸村くん、毎日ここに来てるから何してるんだろと思って」
「あぁ……別に何もしてないよ。こうやってぼんやりと空を見上げてるだけ」
「そっか。空見んの、楽しい?」
「どうだろうね。楽しいのかもしれない」


何の感情も籠らない、ただ響いているだけの声で幸村くんは呟く。
秋に差し掛かる季節柄のせいか、多少肌寒い風が吹いた。それは幸村くんの濃青色の髪と俺の真紅の髪を揺らして、己の家に戻っていくように空に帰っていく。
萎れてしまった花たちの花びらが宙を舞い、ひらひらとまるで雪が降るように舞い落ちてきた。


「あれ、雪みたい」
「本当だね。少し早いけど」


手を伸ばすとうまい具合に花びらが手の平に落ちてきた。おあつらえ向きに白い、何にも染まっていない花弁。
それを握りつぶすように拳を握ると、ほんの微かな手ごたえが手に伝わった。


「ねぇ、幸村くん」
「どうしたの?」
「幸村くんは悪くないよ」
「え?」


そう、幸村くんは何も悪くない。だって俺とジャッカルのダブルスも負けたし、仁王だって負けた。悪いのは幸村くんじゃなくて、幸村くんに三連覇をさせてあげられなかった俺達だ。だから幸村くんは何も思い悩まなくて良いんだ。何一つ、幸村くんのせいじゃないんだから。
そう伝えようとするのに心の声は現実の声にはなってくれない。
言葉に想いを込めて風に乗せることができれば、それだけで幸村くんの心に届くのに。


「何も、悪くないから。だから、そんなに悲しまないで」
「……丸井、でも、俺は────…」
「負けたのは幸村くんだけじゃないよ。俺もジャッカルも仁王も負けた。だから、幸村くんのせいじゃないから」
「……そうなのかな」


あぁ、やっぱり駄目だ。俺の声は幸村くんに届かないし、俺の姿は幸村くんの目に映らない。
きっと幸村くんはいつまでもここに来続けるだろう。そして、辺りが夕闇に包まれるまで空を眺め続けるに違いない。
あの日と同じように、晴れ渡っている空を。どこまでも蒼い、あの空を。


「でも、やっぱり……俺達の三連覇が叶わなかったのは俺のせいだ。俺があの時、負けてしまったからだよ」


違う、と微かに呟いた声はもう幸村くんには届いていないみたいだった。
それ以上の言葉は心の中でぐちゃぐちゃに混ざり合って、意味をなさない欠片の集まりに変貌していく。
それをどれだけ連ねても、幸村くんには届かない。もう二度と、俺の声は届きはしないんだ。
俺達が負けた、あの日から永遠に。





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