君の笑顔が俺を蝕む
悲しいだけならば、見えない方がいいのに






軽快な笑い声が聞こえてきて、そちらに一瞬だけ目をやると、弦一郎と話していた精市が花のような笑顔を浮かべていた。他の誰といる時とも違う心からの笑み、そして誰と話すときよりも多い言葉数。
それは、俺と比べてさえ当てはまる事実で、それを悲しいと思うのはあまりにも幼い思考だろうか。
そんな些細な事で親しさの度合いを測って、俺は一体どうするつもりなのか。



「蓮二、どうした?」



ふいに名前を呼ばれて、手元が狂った。
二人を見つめる片手間に記していた部誌の余白に、黒い斜線が一本。それはあまりにも異質な存在感を放って、俺の思考の揺らぎを指摘した。
不思議そうな声が弦一郎のものであると分かり、そして気づく。愚鈍な弦一郎に気づかれてしまうくらい、俺は二人を見つめていたのか。



「失敗したのか。蓮二らしくないな」
「ああ。少し考え事をしていたら手元が狂った。後で修正しておく」
「放っておいてもいいと思うよ。余白の部分だし」



楽しそうな笑みを浮かべて、部誌を覗き込んでいる精市の頭が目の前にある。
ペンを握っているその手が震えないように注意しながら、俺は部誌の続きを書き始めた。
少しの間その作業を見ていた精市は、すぐに興味を失ったかのように離れて行った。先ほどのように、弦一郎と日常的な会話を始める。
意識してそれを視界に入れないようにしながら、俺は文字を綴っていく。
いつもは簡単に出てくる文章が、今日に限って支離滅裂なひどいものになってしまった。







「では、俺は先に帰る。蓮二、戸締りを頼んだぞ」



いつもならば三人で帰る日常、それは弦一郎の急ぎの用事で呆気なく崩された。
それでも、他の部員が帰るまでは部室に残り、責任持って戸締りをしようとする弦一郎の義務感は尋常ではない。



「分かった。仁王のように鍵を開けたまま帰ったりはしないから安心していい」
「うむ。仁王の責任感の無さには困ったものだな」
「俺からも言っておくよ」



他愛のない言葉を交わし、弦一郎が部室を出る。
後に残ったのは、俺と精市と空っぽの部室。
いつもよりも空気が重く感じられ、何故か息がしづらかった。
それを振り払うように、また部誌を手に取る。今週は俺の当番なので、昨日に引き続き記入しなくてはならない。
そんな俺をつまらなそうに見つめていた精市は、俺が記入を始めると向かい側の椅子に座って手元を覗き込んできた。



「見ていて楽しいのか、精市」
「別にー。でも、他のすることもないだろ?」
「弦一郎がいないから、話の相手がいないな」
「全くだよ。まぁ、用事があるなら仕方ないけどね」



交差した両腕に顎を乗せて、精市がかすかに笑う。それはやはり、弦一郎と話をする時に浮かべるような笑みではなかった。
それを意識すると、また文章が意味の分からないものになっていく。手が震えてしまいそうで、力を抜くこともできなかった。



「蓮二、そこ間違えてる。メニューが違う」
「……間違いだらけだな、今日は」
「ほんとにね。一体どうしたの?体調が悪いなら、帰っても構わないよ。部誌は俺が書いておくから」
「いや…大丈夫だ」


一度ため息をついて気持ちを落ち着ける。頭の中で文章を整理しながら、ゆっくりとペンを動かした。
しばらくは間違いのチェックをするようにそれを見ていた精市も、数分で目を逸らす。もう失敗はなさそうだと思ったのだろう。



「最近、お前は弦一郎と仲が良いな」
「仲が良いって……俺と真田が?」



一瞬、驚いたように目を見開いた精市は、すぐに笑い声をあげた。腹を押さえながら、机を手で叩く。
ばんばん、と鈍い音が部室中に響いた。



「机を壊すつもりか」
「ち、違う……けどさぁ、何を急に言い出すのさ」
「昨日、二人を観察した結果だな」



あらかじめ用意して置いた理由を口にすると、精市は笑うのをやめて首を振る。



「俺と真田は腐れ縁なだけだよ。小学校の頃から一緒だからね。今は仲間だけど、基本的にはライバルだよ」
「しかし、部内では一番親しいだろう?」
「そんなわけないだろ。どっちかというと、蓮二に話しかけるほうが多いと思うけど」



それに、と一呼吸置いて精市は寂しそうな笑顔を浮かべた。上目遣いに俺を見上げ、けれどその瞳が見ているのはきっと俺ではない。



「蓮二と真田は名前で呼び合ってるじゃないか。俺にはそっちの方がうらやましいよ」



うらやましい。
その口から溢れた言葉に心臓が跳ねる。
親友たちが名前を呼び合っているのをうらやましいと思う、それは嫉妬だ。

そして、嫉妬していたのは精市だけではない。
俺も、嫉妬していたのだ。
俺よりも仲が良い二人に────否、精市と仲良く話し俺にも向けられない笑顔を向けられている弦一郎に、だ。
なんて、浅ましい感情なのだろうか。そんなものを抱く俺は、あまりにも醜い。



「ならば、名前で呼び合えばいいだろう」
「今さらって感じもするんだよな。小学校から真田だし」
「呼んでみたら、驚くかもしれないな」
「それも面白そうだね。明日やってみようかな」



楽しそうに笑いながら、精市は頷いた。その笑顔はやはり、弦一郎に向けられるものとは全く違っていて。
何が違うのか、気づいてしまった。



「部誌ももう終わる。戸締りを確認してくれるか?」
「分かった」



戸締りに向かうその後ろ姿を見つめると、ふいに悲しみが込み上げてきた。同時に、喪失感も。
俺は、精市に好意を抱いていたのだろう。けれど、おそらく精市は弦一郎が好きなのだ。
俺と弦一郎に向けられる笑顔の差は、精市が抱く感情の差。
その差は、俺でどうにかできるものではない。その笑みが、俺に向けられることはないのだから。
気づいてしまった事実は、俺を苛み続けるに違いない。この想いを告げても、隠し続けても、あの笑みが俺に向けられることはない。結末は、もう決まっている。

微かに歪んだ視界の中で、昨日引いてしまった黒い斜線が、俺のはしたない涙を責めるように揺れていた。






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