冷たい雨が降っていた
かけられた声に顔を上げれば、綺麗に笑うあの人がいた

差しのべられた手を掴んだ時のあの感情は、今も胸に刻み込まれている






悲しい時は笑えばいいじゃないか






轟々と音を立てながら燃える城下を、彼の後ろから見下ろしていた。逃げ惑う人々と命を捨てるように戦い続ける侍たちが、ここからはよく見えた。
彼はぴくりとも動かずに、愛刀の柄を握り締めてそれをじっと見つめていて、その背中からは悲壮感とも呼べる気が漂っていた。



「精市様」
「……どうしたんだい?」
「お逃げに、ならないのですか?」
「俺は逃げないよ。負ける気もないしね」
「ですが、これだけ攻め込まれては………」
「確かに勝つのは難しい。でも、俺は逃げない。絶対に、負けない」



はっきりと言い切って、彼はくるりと振り向いた。状況にそぐわない、にこやかな笑みがその顔に浮かんでいて、ふと懐かしくなった。
その笑みは、あのときとまったく同じ、少しも変わらない綺麗な表情。

あの時の手が暖かかったことを覚えている。
彼の顔を見ながら、絶望の思いを抱いたことも。



「逃げてください。あなた様が生きていてくだされば、私どもはどうなってもよいのです」
「駄目だよ。俺はこの国を守らなきゃならない」
「守る国が、滅びかけているのですよ。その残骸を守るために命を落として、一体何になりますか?」
「民も領地も失って、主だけが生きたって何にもならないよ。どっちが欠けても、そこは国として成立しない」
「……それでも、私はあなた様に生きていて欲しいのです。これは私の個人的な願いです。どうか、どうかお逃げください」



いくら天下の幸村と持て囃された彼の腕でもってしても、この劣勢を巻き返すことは不可能だ。
戦には素人である私でもそう感じ取ってしまうほど、この国は傾いていた。

彼は切なげに眼をとじ、ゆるゆると首を振った。
すらり、と引き抜かれた刀が鈍く光を反射して輝く。



「大丈夫だ、俺を信じて。君を守るために、必ず勝つから」
「私などっ……!」
「君はあの日からよく働いてくれたよ。もういい、君だけでも逃げるんだ」

目を閉じればいつでも浮かぶ。
彼と出会った、運命の日。

そこに座っていた私に手を差し伸べ、彼は笑って言ったのだ。
一緒に生きて俺の役に立たないかと。俺の傍で生きていかないかと。

私は頷いた。頷くしかなかった。
どんなに悲しくて辛くても、頷いて彼の手を取るしかなかった。



「精市様……どうしても、お逃げにならないのですね?」
「勿論だよ。さぁ、君だけでも逃げて」
「………とても、とても残念です」



素直に逃げてくれたら、こんなことをしなくて済んだのに。

小さく呟いて、懐に手を入れた。同時に彼の元に走り、驚いたように一歩下がった彼の胸元に飛び込む。
彼の刀が重い音をたてて床に落ち、その鈍い銀に赤が散った。

重い手ごたえの残る手に力を込め、彼の胸元に突き立った短刀をしっかりと握りしめる。
まだ彼は死んでいない。きちんと殺さなくてはならない。



「……ひ、どいなぁ……」
「意外ですか?私がこんな事をするなんて」
「…じ、つは……全然、不思議、じゃない………」
「え?」



ぐらりと傾いだ彼の身体から短刀が抜け、赤い血が辺りに舞い散った。
彼はうめき声をあげながら傷に手をやり、困ったように私に笑いかける。
その傷が致命的な損傷を彼に負わせていることは、誰が見ても明らかだった。



「どう、して……何を、笑っているのです」
「ふ、ふふ……君をね、拾った、時に知ってた、よ」
「まさか……」
「優秀な、斥候が、いるから、ねっ……!」



痛みに顔を歪め、彼は血の塊を吐き出した。それでも彼は、荒い息の合間で私に告げる。
彼の真実と私の真実を埋める、彼だけの思いを。
私の知らない、彼の願いを。



「知って、た……君が、敵国の、者だという、ことは………」
「何故……それを知っていながら、私を拾い上げたというのですか!?あのまま捨て置けば、こんなことにはっ……!」
「君が、泣きそうな顔、してたから……辛く、なったんだ、俺も」
「…なんて、馬鹿な……!」



あなたが私を拾わなければ、こんな思いをせずに済んだのに。
敵国の人間を敵国の人間と憎んだまま、私は一生を終えられたのに。
敵国の、それも主将に恋情を願うこともなく、憎しみを糧に生きられたというのに。

どうして、こんなことに。



「ごめ、んね………君が、泣きそうだった、からっ………拾って、きちゃったよ」
「……馬鹿な、人……」
「お互い様、じゃないか。敵に、恋するなんて………」



何も言い返せない私に笑いかけ、彼は大きく息をついた。
それが彼の発した最後の音で、そして彼の最後の微笑みで。

徐々に冷たくなっていくであろう彼の首を抱いて、私は静かに涙を流した。

何が違ったというのだろう。
私も彼も、同じ人間だというのに。
ただ違う国に生まれたというだけで、どうして殺し合わなければならないのか。
愛していたのに、どうして。



「ねぇ………精市様」



返事の返らない呟きと知っていた。けれども、ぽつりとつぶやく声は止められない。



「私が死んで、そっちに行ったら……」



ごめんなさいと言って、大好きですと心を告げたら。



「私のこと、許してくれますか?」



そして今度こそ、私のことを愛してくれますか?


返らない返事を突き付けるように染まる、真っ赤な真っ赤な空を見あげて。
大きく振りかざした短刀を、静かに振り下ろした。


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企画「花の下にて。」様に提出





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