「ねぇ、」



ぼんやりと何も考えずに宙を見ていた俺は、唐突に声をかけられて思わず身を震わせた。



「どうしたの?」
「ねぇ、話があるの」
「話?」



切れ切れに雲が流れている。不吉というよりも沈鬱という言葉がしっくりくるその雲を見つめながら、静かに彼女の目を見返す。
彼女の目は深い。どこまでもどこまでも堕ちていけそうなほど深い闇を湛えていて、けれどもそこに堕ちていこうとするとその純粋過ぎる膜に弾かれてしまう。



「精市は私の事好き?」
「……どうしたんだい、急に」



尋ね返すと、彼女は困ったように薄く微笑み、黙って首を振った。
なんでもないよ、というように。言えないの、と誤魔化すように。



「ねぇ、好き?」
「………なんて言って欲しいんだい?」



重ねられた問いに疑問を被せてみれば、ただ沈黙だけが返ってきた。
静かな空気の中でなら、流れていく雲の音さえも聞こえてきそうな気がして思わず耳を澄ました。
けれども、聞こえてきたのは彼女の浅い息遣いだけで、雲の音も風の揺らぎも聞こえては来ない。



「お願い、言って。あなたの、本当の気持ちを」
「ふふ、仕方無いなぁ。でも、聞かなくても分かってると思うけど……」
「………」
「俺は、君が好きだよ」



凪いでいた風が、ざわりと揺れた。

同じく水面のように静かだった彼女の瞳もざわざわと揺れ、波紋として広がった水がその瞳から零れ落ちた。



「……どうしたの。今日は少し変だね」
「ごめんね……ごめん」
「別に、構わないけど」
「精市……ご、め………」



ふと、気づいてしまった。
彼女が謝っているのは、今日のおかしな態度についてではない事に。



「本当にどうしたの?俺には、話せないことなのかな?」
「ううん……話さなきゃいけない事なの」
「ちゃんと聞くから、だから落ち着いて」



零れる涙を拭おうともしない彼女に微笑み、その雫をそっと取り払う。
俺の指が彼女に触れた瞬間、その身体が僅かに震え、俺は生まれて初めて嫌な予感というものを味わった。
背筋に冷たいものが走り、ぞっとするような鳥肌が全身に広がっていく。
聞きたくない、とどこか深い所で俺が叫んでいる。聞いてはならない、と俺自身の魂が告げている。

けれど。
涙を拭った彼女はまたもや静かな水面のような瞳を俺に向け、ゆっくりと口を開いた。



「ねぇ、精市。私はあなたが嫌いになってしまったの。だから、お願い、別れて────・・・」
「………そう」



耳鳴りが、している。
どこかで誰かが絶望の声を上げた。

否定の言葉を吐く前に、俺はゆっくりと頷いていた。
まるで誰かに操られているかのように身体がうまく動かない。
彼女のほっとしたような表情を見た瞬間、何もかもが終わったのだという実感が初めて湧いた。

笑え、と耳元で何かが囁く。
笑って、気にしていないような顔をして、そうして彼女と別れてしまえ。



「じゃあ、………ここでお別れだね」
「うん。ごめんね、本当にごめん」
「大丈夫、気にしてないから。───じゃあね」



心の告げる声に従って笑ってみせると、彼女は安心したように背中を向けた。
遠ざかっていくその背中を見つめて、黙って手を握りしめた。爪が手の平に食い込んで酷く痛くて、けれどもそれさえもがどこか遠く感じられるほど何もかもが曖昧だ。



「ねぇ、俺は好きだったよ」



例え、君が俺を嫌ってしまったのだとしても。
俺は君の事が好きだったんだ。

好き、だったんだよ。





失敗に終わった微笑みは
それでも君に届くといい






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