ふわり、と生ぬるい風が吹いた。視界の隅で揺れた黒髪が灯篭の光を跳ね返して輝く。
明りが弱くなっている灯篭を見て、油を足さなければと頭の隅で考えた。
隣で月の光を浴びる少女がこちらを見ながら薄く笑んだ。


「こうしてね、月の光で髪を焼くと美しさを増すんですって」
「へぇ……太陽の光じゃなくて?」
「太陽の光なぞ浴びていたら、肌が焼けてしまいますわ」
「君は少し焼けたほうがいいよ。顔色が悪く見える」
「あら、だって女の肌は白いものと決まっておりますもの。あなた様だって、わたくしが美しいほうがよろしいでしょう?」


小首をかしげてそう問う少女は、月の光に焼かずとも十分に美しい髪を持っている。香油で手入れをしているのだろう、微かに漂う甘い香りがひどく儚げだ。
白さのせいで色を失っているようにも見えるその頬に手を伸ばし、小さく首を振った。


「俺は君がいてくれたらそれでいいよ」
「まぁ」


にっこりと、本当にうれしそうに笑って、彼女は頬に手を当てる。
その姿から視線を逸らして空を見上げると、いつもとは少し異色の月が浮かんでいた。赤い、血のような色。ひどく不吉な色合いのそれを眺めながら、小さくため息をつく。


「どうされました?」
「月が、不吉な色合いをしている」
「確かにそうですね。けれども、あの月の色はとても綺麗です」
「赤い月なのに?」
「とても、鮮烈な赤。はっきりしていて、自分の主張ができていて、素敵じゃありませんか」
「不吉な、色だろう?」


至極当たり前のことを言ったつもりだったのだけれど、彼女はひどく驚いたようにこちらを見て、そうしてゆっくりと手を挙げた。
その指先を辿れば、庭の一角に咲く花々が目に入る。


「あの花には、」


子供の諭すように、幼子にゆっくりと言い聞かせるように、彼女は楽しそうに言葉を紡ぐ。


「様々な色合いがあるでしょう?」
「あるね」


赤、白、紫、橙。月の光の下でも闇に負けぬ色合いをもつ花々がそこに在る。
それらは全て隣で笑う彼女が手入れをしているもので、俺には花の名前さえもわからない。
それを承知しているのか、彼女は名前を出してまで説明をしようとはしなかった。


「白色の花をどう思われますか?」
「どうって……綺麗だね。流石俺の細君が手入れしているだけのことはある」
「またそんなことをおっしゃって。……では、紫の花は?」
「……綺麗、だと思うよ」
「でしょう? 橙だって綺麗だし、赤もとても綺麗です。そうは思いませんか?」
「確かに、そうだね」


でもそれは花の話だ。これが月となったら、その不気味さは比べ物にもならない。
そう言い募ろうと口を開きかけると、彼女は少しだけ寂しそうな表情を浮かべて首を振った。


「同じ、なのですよ。人は異物を嫌悪し、畏怖します。けれどそれは、己がそちらの側にならぬことを懇願するような、通過儀礼のようなものです。必然、とも言えますね。現実には、それは単なる思い込みにしか過ぎないのですよ」
「……細君は、賢いね」
「いいえ。わたくしに知恵などございません。ただ、そう感じただけです」


儚げに笑う少女の手を無言で取り、ついと月を見上げる。
先ほどよりも赤みを増したそれをあまり不気味だと思わなくなっていたのは、一重に彼女の言葉のおかげなのだろう。
そう告げれば彼女は優しげに笑って、そうでしょう、と言うだろうから、何も言わなかった。
繋いだ手がそれを伝えてくれるような、そんな気がしていた。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -