ウィ───ン

と、軽い音を立てて自動ドアが開くと、病院内とは思えない怒号が私を迎えてくれた。


「幸村くん、待ちなさいっ!」
「無理です!」
「………またやってる……」


もはや日常と化しかけているその光景は、到底普通と呼べるものではない。
ギランバレー症候群と診断されて、ベッドで弱々しく眠っていなければならないはずの患者が院内で鬼ごっこしているだなんて。
それも、鬼は看護婦さん。
彼の投薬当番に当たってしまった、不運な看護婦さんだ。

曰く、彼はとても薬が苦手らしい。
だからこうして投薬の時間になるたびに、壮絶な鬼ごっこを繰り広げている。
にしても、ギランバレー症候群というのは筋肉が弛緩して、動けなくなる病気ではなかっただろうか。
にもかかわらず、こうして走りまわることができるなんて。


「人間ってすごいなぁ」
「あ、更紗さん!ちょっと手伝って!!」
「更紗、手伝わなくて良いからね!」
「幸村くん!いい加減、子供みたいに逃げるのはやめなさい!」
「だって俺、子供ですから!」


精市の言葉は間違っていない。
……それを理由に逃げ回るのはどうかとは思うけど。

私に声をかけた看護婦さんは、勇ましくナース服の裾を捲りあげ、完全に戦闘態勢に入っていた。
そのターゲットは言うまでもなく精市だ。
対して、精市もかつて部活で鍛えていた脚力を発揮すべく柔軟なんかしている。
ここに来るまで相当走ったはずだけど、二人とも息一つ乱していなかった。
流石、毎日毎日これを繰り返しているだけはある。


「精市―」
「どうしたの、更紗?」
「私、先に病室行ってるからね」
「うん、すぐに向かうから」
「はーい」


ひらひらと手を振って、睨みあう彼らの隣をすり抜ける。
すでに恒例行事となっているこの睨み合いを気にしている患者さんは一人もいなかった。

この病院、これでいいんだろうか。


**



「………捕まった」
「あ、おかえりー」


私が病室に引っ込んで数十分後。
その綺麗な顔に汗をびっしょりとかきながら、精市が病室に入ってくる。
疲れたようにベッドに倒れ込み、ため息をついた。

少しして、先ほどの看護婦さんが、こちらもまた汗だくで参上した。
その手には薬包紙が掲げられていて、それをサイドテーブルに叩きつける。


「はい、幸村くん。今日の薬ね」
「……………」
「捕まったんだから、きちんと飲んでね。後で確認しに来るから」


じゃあごゆっくり、と言い残し、彼女は颯爽と病室を出て行った。
精市に勝利した猛者は、たくましく病院勤務に励むようだ。

ちらり、と精市を窺うと、半ば諦めた様な悲しげな顔で薬包紙を見つめていた。


「さっさと飲んだら?」
「更紗、これはね、人を殺せるくらいまずい薬なんだよ」
「そんな大袈裟な……」
「こんなもの、俺は飲めないんだ!」
「飲まなきゃ治らないよ?」
「………そうなんだけどね」


どんなに子供っぽく拒否してみても、そこはちゃんと理解しているらしい。
ただ、どうしても踏ん切りがつかないようで、しばらく薬包紙を無駄に揺らしてみたり、薬を睨んでみたり、やけに水ばかり飲んだりして、少しでも嫌な時間を先延ばしにしようとしている。


「精市、さっさとやっちゃった方がいいんじゃない?」
「じゃあ、更紗が飲ましてよ」
「どうやって?」
「……どうにかして」
「ほら、無理に決まってるでしょ。さっさと飲んで、嫌な事を終わらせた方が良いって」


そう促して、無理矢理手に薬包紙を押し付けると、やっと決心がついたようだ。
気難しげな顔をして白い粉を口の中に流し込み、水でそれを喉の奥まで押し流す。


「まっずー」
「良薬口に苦し。はい、口直しにどうぞ」


いつものように飴を渡すと、精市をすぐさまそれを口に放り込む。
満足そうにそれを舐めている姿を見ると、本当に子供のように見えてしまって思わず笑いそうになった。
すぐにこんな顔ができるんだから、薬くらい飲んであげれば良いのに。

……いい加減、鬼ごっこをやめてあげないと看護婦さんたちが筋肉痛で呻く事になるだろうしね。


「明日も逃げるの?」
「勿論だよ。俺は徹底的に闘うつもりだからね」


どうやら、精市としてはそうなってしまうらしい。
看護婦さんは明日も走り回る羽目になりそうだ。

ただ、病人が闘うべきは病だと私は思うんだけどね。





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