たった一人でやって来た屋上は、いつにも増して静かで寂しかった。
いつもは精市と二人で来るからそんな事は気にならないけれど、一人で来てみると、身にしみ過ぎて痛いくらいだ。
フェンスの傍まで近づいて、ぼんやりと地上を見下ろす。丁度、どこかのクラスが体育をしているようで、校庭でランニングしていた。
冷たくて頑丈なフェンスに寄りかかって、そのまま静かに目を閉じる。
そうしてただ呼吸だけを繰り返していると、先ほどの嫌な記憶が蘇りそうで怖かった。
ほんの少し浮かんだ情景を振り払い、ずるずるとその場に崩れ落ちる。
見上げた空はどんよりと暗くて、まるで今の私の心を表しているみたいで。
ほんの少しだけ、泣きそうになった。


「……こんな所にいたんだね」
「精市……」


一人だと思っていた屋上に、いつの間にか精市がやって来ていた。いつものように穏やかな笑みを浮かべ、のんびりとこちらに近づいてくる。
半分泣きかけている顔を見られるのが嫌で、咄嗟に顔を膝にうずめて隠す。
そんな私の抵抗に気づいているのか、いないのか。彼は黙って私の隣までやってくると、そこに立ったまま動かなくなった。
見降ろされている視線をひしひしと頭に感じて、思わず身をすくめてしまう。


「どうして、一人でこんな所に来たのさ?」
「どうしてって……気分転換に」
「俺を誘ってくれてもいいのに」
「だって、授業中だったでしょ。どうやって誘えっていうのよ」
「テレパシーとか?」
「……何言ってんだか」


こいつが言うと洒落にならないような気がして、思わず笑ってしまった。
拗ねたような口調は、きっと私を元気づけるための気遣いだ。こいつはそういう気配りをあっさりとしてしまう。
そこが、女の子に好かれる要素の一つなんだろう。


「ふふ、冗談だよ。彼女がテレパシーで交信してくるなんて、ちょっと勘弁願いたいしね」
「それは私も同じ。にしても、よくここにいるって分かったね」
「だって、俺は君の彼氏だからね。それくらいは当たり前だろ?」
「…私は多分分からないけど」
「じゃあ、分かるように努力しなきゃね」


胡散臭いくらいの穏やかな声。
私がどうしてここにいるのか、何で授業中に教室を飛び出したのか、何一つ聞いてこない。それは彼の気遣いの結果で、私としては話したくないから嬉しいのだけれど、でもきっと彼は知りたいと思っているだろう。
やっと高ぶっていた感情が落ち着いて、ゆっくりと顔を上げた。どんよりと暗い空と冷たいコンクリートの床が私を迎えてくれる。
それと同時に彼が私の隣に腰をおろして、無言で私の手を握りしめてくる。
この華奢な美少年のものとは思えないくらいがっしりとした大きな手が、私の冷たい手を包み込んでくれた。
話さなくちゃいけない。黙ったままにしておいても解決しないし、何より彼に心配をかけ続けてしまう。
大きくなる焦燥感を抱え、私は黙って空を見上げる。隣の彼も、同じように空を見上げているんだろう。


「私、人間って嫌い」
「随分と唐突だね」
「だって……嫉妬して、憎んで、恨んで、馬鹿みたいなんだもん」
「俺は皆の人気者だからね」
「それ、自慢?」
「事実だよ」
「……まぁ、確かにそうだけど」
「でも、俺が好きなのは君だけだよ。他の女が何を言っても君が気にする必要はないし、俺の心が移り変わるなんて心配も必要ないよ。これだけ言っても、まだ不安?」


ゆっくりと告げられる言葉は、プロポーズに近い意味を持っていた。
答えられずに困っていると、彼の綺麗な顔が視界に映り込んでくる。少しだけ困ったように潜められた眉が、彼の心情を的確に表していた。
私は何一つ話せていない。
でも、彼は察してくれた。
きっと、薄々感づきかけてはいたんだろう。彼はとても聡いから。
クラスだけに留まらない学年中の女子からの妬み、嫉み、そしていじめに。
今日飛び出したのだって、机の中にカッターの刃が入っていたから。
腕は怪我しなかったけど、とても痛かった。
鋭く突きさされたような痛みが、胸に走っていた。
心が、すごく痛かった。


「そうだ。じゃあ、こうしよう」
「え?」
「世界中の人間を消して、二人っきりになればいいんだよ。そうすれば、何の不安もないだろ?」
「何、言ってんだか……」


あまりにも馬鹿らしい彼の言葉はとても暖かかった。
彼の大きな手と同じくらい暖かくて、それが心の痛みを癒してくれるような気がした。
彼の優しさが嬉しくて、愛しくて。ただ、笑顔が溢れた。


「ねぇ、いい方法だろ?」
「馬鹿だね。…そんなことしなくても、私は大丈夫だよ」


大丈夫、と口の中で呟いて、にっこりと笑う。
安心したような彼の表情が目に入って、その向こうに空が透けて。
いつの間にか出てきた太陽が、二人きりの屋上を照らしていた。
雲が晴れ、眩しいほどの青い空が、どこまでも広がっていた。





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