質素という表現が最も似合う廊下は、いつにも増して静かだった。おそらく、時間帯が遅いことが理由だろう。
何度も通った道を無意識のうちに辿り、そして質素な廊下には不釣り合いなほど鮮やかな赤で彩られた扉の前で足を止める。
重厚で、厳かな造りの扉。どこまでも仰々しさを醸し出す、一枚の板。


この扉は軍の権威の象徴だという。

なんと、くだらない。


このような薄っぺらい扉一枚で現せられるほどの権威など、何の意味があるだろう。
いっそのこと、そんなものを捨ててしまえばいい。そうすれば身軽になって、簡単に動けるようになるのに。
そんな事を言えば、この中に居る友人はどんな顔をするのだろう。
きっと、渋い柿でも口に含んだような、苦々しい表情を浮かべるに違いない。
彼も聡いのだから、同じ事に気づいているだろうに。
ため息を一つついて、目の前の扉をノックもせずに押し開ける。無言で室内に侵入すると、年代物の机に座った顔がこちらに向いた。
不機嫌そうに寄せられていた眉が僅かに緩み、ゆっくりと微笑みが浮かべられる。



「こんばんは、弦一郎」
「蓮二か。久しぶりだな」
「ああ。最近、忙しくて来られなかったからな」
「そっちはどうだ?」
「相変わらずだ。若い兵士がどんどん死んでいる。その死亡証明書を発行するだけで一日が潰れるさ」
「不謹慎だな」
「死人は人を害さない。意味もなく人を害するのは生きている人間だけだ」
「違いない」



将の位についている友人は、机の上に広がっている書類を片隅にまとめ、その漆黒の瞳で俺を捉えた。
どこまでも堕ちていけそうな、深い闇の色。



「それで、今日は何の用だ」
「特に用ということはない。ただ、先日、精市が来た」
「……そうか」
「まだ兵だ。相変わらず、戦場で闘っている。あいつの戦歴を聞くか?仰天するぞ」
「報告は来ている。ずば抜けて有能な兵士がいると。青髪と青瞳を持った美男子だと、な」
「倒した人間が数知れず、か」
「ああ」



濃い闇の瞳が一瞬で憂えた。
深いため息が吐き出され、その呼気は彼の心情を明らかに表している。
きっと、彼は嘆いているのだ。
自ら命を捨てるかのように戦場に向かう、精市の事を。



「やはり、どの位にもつかんと言ったか」
「そうだ。一兵士で良いと。怯える子供のように、基地で閉じこもるのは御免だそうだ」
「幸村らしいな。……だが、死んでしまっては元も子もないだろうに」
「言って聞くようなたまでは無いだろう。聞くならば、こんなにも苦労していない」
「……生きてくれ、と言っても駄目だろうな」
「あいつは……あいつは生きるために戦っている。生きるために人を殺しているんだ」
「今は戦時中だ。人を殺していない人間の方が少ない」



そう呟き、彼はその体躯に見合わぬ俊敏さで立ち上がった。一直線に窓に近づいて、それを一気に押し開く。
眼下に広がるのは黒い町並み。どこもかしこも寂れ、廃れ、今にも瓦解してしまいそうな弱き町だ。
こうなってしまった理由は一体何なのだろう。
どうして、こんなにも悲しい町になってしまったのだろう。



「俺も人を殺した。昔は兵だったからな。だが、あんな思いは……二度と御免だ」
「そんなに酷いのか」
「ああ。そういえば、蓮二は文官から佐官に繰り上げになったのだったな」
「そうだ。だから、俺は戦場を経験していない」
「酷いものだ。最初はまだ敵味方の区別がついて、自分が何をしているのかが分かる。しかし……最後では、もう誰が敵で誰が味方か分からないんだ。向かってくる者をひたすらに切り殺し、剣が使えなくなれば転がっている死体の剣を奪った。味方の剣も敵の剣も使った。全身血まみれになりながら、生きるためだけに必死だった」
「精市も、そんな事をしているのだろうか」
「おそらくな。幸村ならば、もっとうまく戦っているかも知れんが……」



窓がゆっくりと閉じられ、町並みが視界から消えた。
目を閉じると浮かぶのは、人々が叫びながら人を殺す、醜い戦場。
生きたいという欲求は誰でも持っているものなのに、どうしてこんなに汚いと思ってしまうのだろう。
何故、こんなにも────…。



「戦争は好きじゃない」
「好きな奴がいるものか。そんな奴は性根がたるんでいる証拠だ」
「そう、だな……」



手をきつく握りしめると、未だ振るったことのない剣の感触がはっきりと浮かび上がった。
いつか、それを振るう時が来るだろうか。
彼らのように、人を殺す時が来るのだろうか。
その時、俺は────生きていられるのだろうか。



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