初めて握りしめた手は、思っていたよりも小さかった。
その手をしっかりと握りしめて、人気のない街を走る。
一応、速さには気をつけているけれど、それでも急ぎ足になるのはどうしようもなかった。



「大丈夫?」
「はい……大丈夫、です」



その言葉が本当かどうかは分からない。
彼女の息が上がっているのは分かりきっているし、俺みたいな体力がない事も知っている。
けれど、彼女を休ませるために立ち止まるわけにはいかなかった。
彼女を追う人間は大量に居るし、そいつらがいつどこから現れるかなんて分かりはしないのだから。



「ごめんね、もう少し走るよ」
「は、い……」



けれど、その言葉通りに走り続けることはできなかった。
人がいないのをいいことに、大通りを進んでいた俺達の前に立ちふさがる影があったから。



「敵前逃亡は厳重罰則の対象になるぞ、精市。そう訓練学校で習わなかったのか?」
「習ったよ、蓮二。でも、守ってる場合じゃなかったからね」
「後ろの女性が関係しているようだな」
「君には関係のない事だ」


一触即発。
そんな空気がその場に立ちこめ、俺は無言で剣を抜いた。
鈍く輝く彼のものだった剣が、俺の手に重みを与える。
蓮二は僅かに顔をしかめたものの、剣を抜こうとはしなかった。



「蓮二、俺は君を殺すよ。俺の邪魔をするなら、容赦はしない」
「ふっ……きっと、俺ではお前には勝てないだろうな。お前の実力はよく知っているつもりだ」
「それでも、俺を止めるのかい?」
「何を言っている?俺がいつ、お前を阻止しようとしたんだ?」
「……え?」



あまりに唐突な彼の言葉に、俺は思わず剣を降ろした。
目の細い、何を考えているのかさっぱり分からない友人は、ゆっくりと笑みを浮かべる。
俺の姿を見て楽しんでいるかのようなその笑みは、あまりにも意味深な色を作り出していた。



「お前を止めようなんて思っていないさ。止められるとも思えないしな。俺の目的はそっちじゃない」



蓮二はそう言いながら、のんびりと俺達の方に近づいてくる。
いつの間にかその手には大きな布袋が抱えられていた。



「中に数日分の食料や着替えなどの荷物が入っている。どうせ荷物なんて纏めていないのだろう?」
「確かに纏めてないけど……」
「今まで一人で苦しんできたお前を、救えなかった俺達からの最後の花向けだ。受け取ってくれ」



そう言って差し出された袋に、震える手をそっと伸ばす。
蓮二は今、俺達、と言った。
きっとそれは、彼の事を指すのだろう。
俺を捉えて離さなかった黒い瞳が、今さらながらに甦り、俺の前でちらついていた。
受け取った袋は思っていたよりも重く、その重みが彼らの優しさを感じさせた。



「……ありがとう。俺は、今まで…あの時からずっと────…」
「言わなくて良い。俺も弦一郎も、何一つ気にしていない。あぁ、そう言えば弦一郎からの伝言だ。落ち着いたら顔を出せ。これは俺からのお願いだ、と。ちなみに、あいつは今、最前線で戦っている。さすが将軍なだけあって、剣の腕は確かだな」



他人事のように笑う蓮二が面白くて、思わず噴き出してしまった。
蓮二だって佐官なのだから、戦場に居るべきだろうに。



「……俺がいなくなったら、負けてしまうかな」



そんな気が少しもなかったけれど、俺の存在がこの国の勝利を支えていたのも事実だ。
今の状況で俺がいなくなってしまったら、この国はどうなるのだろう。
負けて、しまうのだろうか。皆、死ぬのだろうか。



「その時はその時だ。白旗でも何でも上げて、さっさと降伏するさ。お前はそんな事を気にしなくて良い。遠くに逃げて、幸せに暮らせ。欲を言うなら、会いに来てくれれば嬉しい。手紙を出してくれるだけでも良い。お前が無事だと分かるだけで、俺達は安心できる」
「分かった。必ず、落ち着いたら手紙を出すよ。戦争が終わってしばらくしたら、ちゃんと顔も出す。だから、生きて待っててくれ」
「あぁ、承知した。伝言があれば預かるが?」
「……伝言、か」



ちらりと背後を振り返ると、彼女はゆっくりと首を振った。
きっと、銀髪の彼に伝えることはないのだろう。
もう会うことは無いと、決めているようだから。



「真田には、ありがとうとごめんね、って言っておいて。あと、こっちは会えたらでいいんだけど……銀髪の兵士に、伝言があるんだ」



ゆっくりとその内容を伝えると、蓮二は心底面白そうに笑った。
痙攣でも起こしたみたいに肩を揺らし、大声を上げるのを堪えている。
それが治まるのを待っていると、やがて蓮二は深く頷いた。



「分かった、それも伝えよう。俺からはこれだけだ。さぁ、早く行くといい」
「うん、蓮二も本当にありがとう」
「気にするなと言っただろう?これは俺からの祝福だとでも思っておいてくれ。────達者でな」
「うん」



道を開けてくれた蓮二の隣をすり抜け、彼女と共に走りだす。
安全な場所に着いたら、まず彼らに手紙を書こう。
だから絶対に、手紙を書くまでは死ねない。

心の中で誓った言葉を祝福するように、太陽が明るい光をさんさんと降らしていた。



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