空高く昇った月を眺め、微かに息を吐いた。
天頂付近で輝く月が告げる時刻は、真夜中に近い。


あぁ、もうすぐ今日が始まる。
永久に続く、一瞬の今日が。


瞼を閉じると、瞼を通して光が感じられた。
冷たい空気に触れている手足が冷え切っているのが分かる。
血が凍りついていくような、そんな感覚。
その氷はいつか心臓に達して、俺の心臓を凍りつかせるのだろうか。
そうやって、まるで雪の女王に魅入られた若者のように死ぬのもいいかもしれない。
きっと、戦場で人を殺して乱舞しながら死ぬよりは、よほど良い死に方だろう。

脳裏に浮かんだ彼女の姿。
目に焼き付いている彼の瞳。
彼女が言った言葉の意味は、いくら考えても分からなかった。
きっと、この戦が終わって会えるまで、分かる事は無いだろう。
また会えるかどうか、それさえ分からないのだけれども。

彼女に会えるか分からないのと同じように、再び彼らと会えるかどうかも分からない。
両親を幼いうちに無くし、一人ぼっちだった俺に手を差し伸べてくれた。
一緒に行こうと、広い世界に繋がる道に俺を連れ出してくれた。
怯えていた俺に笑いかけて、何も怖くないのだと、そう告げてくれたのに。
何度も思い出が甦り、必ず最後にあの場面に行きつく。
さよならの一言さえ告げられず、俺は彼らに背を向けた。
彼らはそれを見て、一体何を思っただろう?

ゆっくりと目を開くと、眩しいほどの輝きが目を射た。
この輝きを、彼は見ているだろうか。
まるで月そのものの化身のような彼は。
寒々しく風に吹かれながら見つめる月の周りに雲は無い。
ほんの少し移動したように思えるそれは、いつの間にか天頂を過ぎ去っていた。




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ひゅう、と僅かに喉が鳴った。
一つ息を重ねるたびに、傷を負った脇腹に痛みが走る。
柳生に見てもらおうかとも思ったけれど、見せたら戦に行かないように説得されるだろう。
下手をすれば、鎮痛剤でも何でも打たれて昏睡させられかねない。
自分を心配しての行動と分かっていても、この覚悟を邪魔されるのはお節介極まりない行為としか感じられない。
一応自分で処置した傷口を見つめ、思わず口元に笑みを乗せる。
処置、とは言い難い適当さだ。
ガーゼを当てて消毒し、包帯をぐしゃぐしゃと巻き付けただけ。
雑菌は入らないかもしれないが、止血すらできていない。「明日じゃっちゅうのに……」



そう呟いてから、心の中で否定する。
明日ではない。今日だ。
空を見上げれば、己の髪と同じ色をした月がぽっかりと浮かんでいた。


暗い空に開いた、場違いな穴。
それが月だ。

誰にも望まれず産み落とされた幼子。
それが俺だ。


父も母も、誰一人俺を望んではくれなかった。
どれだけ良い振る舞いをしても、褒め言葉一つかけてくれなかった。
罰を与えられることは無かったが、それは存在を無視されているこということと同義。
生きる目的も理由も、何一つ無かったのだ。
道端で座り込んだ俺に、あいつが声をかけるまでは。



『大丈夫ですか?どこか具合が悪いのですか?どこか痛いところがありますか?』



とりあえず、第一印象はなんじゃこいつ。
いやに丁寧な言葉で話すし、嘘くさいほど綺麗な身なりだったし。
そんな奴が、何で俺なんかに話しかけるのか。
緊張と警戒心で、その日は返事を返さずに走って逃げた。
道端で座るくらいしかすることがない俺に、あいつは毎日言葉をかけてきた。
毎日毎日その内容は違っていたけれど、俺はいつも返事をしなかった。

返事をして、それに失望されて、離れていかれるのが怖かった。
それなら、最初から誰もいらないと、そう思っていた。
失うくらいなら何もいらない。何も持たなければ、失う事もない。

あいつのしつこさに負けて、初めて口を開いたのは出会ってから一週間後。
やけに嬉しそうに輝いたあいつの顔が、妙に面白い物に見えた。



「のぉ、柳生……お前さん、覚えとるか?」



ここにはいない人間に向かって、ぽつりぽつりと言葉を零す。



「俺がどんだけうっさいちゅうても、お前さんは俺から離れんかった。傍におってくれた。なぁ、柳生。なんでお前はそこにおったんじゃ────?」



奇妙な髪と瞳の色。
軽蔑した眼差しと憎しみの輝き。
お前さえいなければ、と父は罵った。
産むんじゃなかった、と母は泣いた。
罵られることより、そんな言葉をかけられるより、母の涙を見るのが辛かった。
俺さえいなければ、と自分でも思った。



「すまんの、柳生。俺は戦に行く。この傷じゃきっと勝てんけど、きっと負けるけど……それでも行く。決着をつけに行く」




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青い髪と瞳を思い出す。
彼も今頃、どこかでこの月を眺めているだろうか。
暗い空に浮かぶ異物のような月に、俺を重ねているだろうか。
次いで浮かぶのは、泣いていた彼女の顔。
銃声を聞き、傷を負わされた瞬間から逃げることに必死になった。
そのせいで、彼女とどんな別れ方をしたのか覚えていない。
彼女は平気だっただろうか。罰せられていないだろうか。

会いに行く、と言った。
必ず会いに行くから、と。
守れるか分からない約束を見に背負って、痛む傷を押さえつける。
絶対に、勝たなければならない。
決意を秘めた瞳で見上げた月は、何も告げることなくただ輝いていた。



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