いつも通り化粧をした。
自分にあてがわれたさして大きくはない小部屋の中で。
いつもと同じ、何も変わらない動作。
髪を結って、仕事に入ろうと立ち上がった時、小さな音がした。
何の音なのか分からなかったけれど、それはまるで────窓を叩くような音。
出ようとしていた室内を振り返れば、奥に小さな窓がある。
遊女が逃げられないよう、はめ殺しになっている窓だ。
その向こうから、音は響いていた。



「……誰?」



誰何の声を上げると、断続的に響いていた音が止んだ。
代わりに上がったのは、聞き覚えのある声。



「瑠璃、か?俺じゃ」
「もしかして、白銀のお方ですか?」
「そうじゃ、それそれ。頼むけん、この窓あけてくれん?」



その言葉にはっとして、慌てて窓に駆け寄った。
彼がここに居ることを知られたら、逢瀬の時と間違われて罰せられる。
下手をすれば、彼は殺されるだろう。
大事な商品に手を出そうとした、愚かな客として。

窓を覆っていた障子を開き、銀色の髪を確認する。
硝子を外したかったけれど、それはできそうになかった。
仕方なく、声をひそめてそのことを告げる。



「この窓は開きません。はめ殺しです。なぜ、裏から来たりしたんですか?」



そう、何故彼はここにいるのだろう?
ここは遊女たちが暮らす、いわば寮のようなものだ。
厳重な柵とはめ殺しの窓、そして見張りの人間さえいなければ、だけれど。
身体が売り物の遊女を守るため、そして彼女たちが逃げ出さないためにたくさんの人が駆り出されているのだ。
そんな所に、彼はどうして忍び込んだりしたのだろう?



「お前さんに会いたくての」
「私は今日も仕事に行きますよ。そこで会えばよろしいじゃないですか」
「仕事の顔じゃないお前さんに会いたかった。遊女じゃないお前さんの顔が見たかったんじゃ」
「何を……言ってるんですか。見つかったら殺されますよ」
「そんなもん、切り捨てて逃げる。俺の強さは伊達じゃなかよ?」
「そう言う問題じゃないです。とにかく、ここは開きませんから……表に回ってください」
「もう、いいんじゃ。顔見れたけん満足した。での、一つ言いたいことがあるんじゃけど……」



いやに真剣な声になって、彼は私の目を見た。
金色の、まるで昼間の太陽のような瞳。
その瞳飲まれるように、生唾を一つ飲む。
いやに緊迫した空気が、流れているような気がした。



「なん、ですか?」



聞きたくなかった。
いつも笑っている彼があんなにも真剣な表情をしていて。
きっと、その内容は良い事ではないから。
だから、聞きたくなかった。
彼に危険が及ぶなんて、考えたくなかったから。



「また、大きな戦が起こる」
「そんなもの……いつも起こってるじゃないですか」
「今度はいつもとは違う。終わりの無い、ずっと続く戦じゃ」
「……え?」
「とっとと戦争を終わらせようってことになっての。これまでは夜明けと共に終わっていた戦を、日が昇っても続ける。物資や武器や兵士をずっと投入し続けながら、の」
「まさか……そんな………」
「俺もその戦場に向かう。きっと、あいつも来る。今回は制限時間がないけん、どっちかが死ぬまで戦う事になる。じゃけん……最後に顔を見ようと思っての。さすがに、危ないかも……」
「そんなこと言わないで!」



思わず出してしまった大声に、自分が驚いた。
いつの間にかこぼれていた涙が、着こんだ着物の上にはらはらと散っていた。
透明な硝子越しの彼が、困ったように苦笑しているのが見えた。



「そんなこと、言わないでください……ちゃんと、また会いに来て………」
「分かった。絶対にここに来る。あいつに勝って、お前に会いに来るけん……泣くな」
「あなたが泣かせたんですよ。あなた、が……」
「これで二度目じゃな、泣かせたんは」



止まらない涙に気づかされた。
痛み続ける心が教えてくれた。

私は彼を、愛していたのだ。
彼の事を、愛していたのだ。

それが禁忌と知りながら、私はそれを止められなかった。
初めて人を愛してしまったのだ。

けれどそう気付いた瞬間、目に浮かんだのはあの人。
青い瞳と髪の、兵士なのだと笑ったあの人。
花を貰ってくれた、名前も知らない男の人。
何故あの人が浮かぶのだろう。
だって、だって。
私は彼を愛しているはずなのに。


硝子に掌を押し付けると、冷たい無機物の手ざわりだった。
その向こうに居る彼の温かみは、少しも感じられなかった。
彼はにやりと笑って、私の掌に自分の掌を重ねた。
硝子越しの温度が、彼の優しさを表していた。



「また、来る。きっと来る。じゃけん、待っとって」
「分かり、ま……した」
「……ごめんな、瑠璃。俺が兵士でさえ………───」



彼の言葉が途切れて、そして顔が歪んだ。
何が起きたのか少しも分からなくて、掌を窓に押し付けたまま茫然としていた。

────真っ赤な色が、その硝子に飛び散っていた。





「あ……」
「気づかれたみたいじゃ。もう、行く……」



苦しげな彼の声。
遠くなっていった白銀の色。
近づいてくる荒々しい声。
そして響いた銃声。
全てを見守っていた、大きな月。
窓に飛び散ったままの赤い色が、私の視界を占めていた。
背後から聞こえてくる足音に、かすかな恐れを抱く。
きっと、私は罰せられるだろう。
下手をすれば殺される。


────いいえ、死ねない。
彼が戻ってくるまで、絶対に死ねない─────……。



静かに目を閉じると、名前も聞けなかった彼の顔が浮かんだ。
にやりと笑う、いつも通りの表情をしていた。



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