梓が後輩からの思わぬ一言にドン引きしている頃、寮の308号室では一人の少年が勉強机に向かって一向に進まない課題を前に頭を悩ませていた。
勿論その原因は課題の内容が難題だからではなく、先ほど別れたルームメイトである梓のことが気になって仕方がないからである。
少年と梓が同じ部屋で暮らすようになって、もう一年になる。
その間いかに梓が賢く要領のいい少年であるかは骨心にしみて理解している彼であるが、梓が嬉々として厄介ごとに首を突っ込むたび、心にもやもやとした感情を抱いてしまうのはどうすることもできなかった。
――秋津奏太。それが少年の名前であるのだが、実のところ『秋津』というのは旧姓で、現在の姓は『篠颯』と言った。そう、この学園と同じ名である。
奏太が母親の再婚により、この学園の理事長を務める篠颯の子供となったのは今より一年前のこと。そしてそれと同時に通っていた学校を退学し、篠颯学園へと転校することとなったのは今や懐かしい思い出だった。
――なんて、今でこそ軽く言えるが、当時は本当に笑いごとじゃなかった。
なにせ奏太は、成績はよくて中の上くらいでお世辞にも美男とは言えない容姿の、平凡を絵に描いたような生活を送ってきた普通の少年である。それが突然上流階級の子息ばかりが集まる閉鎖的な空間に放りこまれたのだ。右も左もわからないどころか価値観さえも違う生活に翻弄されたことは言うまでもないだろう。
そんな中、時を同じくして転校してきた梓と同室になれたことは、奏太にとって幸運だったと言えよう。
気さくで明るくて優しくて。おもしろいことが大好きでおふざけが過ぎるところが偶に傷だが、時折どことなく達観したものを見せる少年。
そんな彼は不安を抱える奏太の心をいとも簡単に紐解いて、この学園に居場所を作ってくれた。
だからこそ奏太が彼に抱く感情は一点の曇りもない好意、であるのだが……。
それに情欲を伴った思慕が入り混じるようになったのは、いつからだっただろうか。
友情ではなく恋情。彼に抱く感情の変化を悟った時、奏太に走ったのは打ちのめされたような衝撃だった。
とてもじゃないが、奏太では彼の隣に並び立つことなどできない。こうして彼の友人という立場に立っていられるのはルームメイトだからであって、自分に彼が惹かれるような魅力がないのは重々承知していた。