肌寒さの残る初春を過ぎ梅雨を迎えようとしている頃、先日行われた定期テストの点が芳しくなかったがために補習を命じられた結斗を待つ間、暇つぶしにと図書室へと足を運んだ鳩は、ふと窓辺から見える風景に目を留めた。
 風通しのために開けられた窓からは、緩やかに木々を揺らすほどの穏やかな風が舞い込んでくる。その向こうに広がるのは、ちょうど裏庭が見渡せる位置ある窓らしく手入れの行き届いた花々や草木といった緑豊かな光景だ。
 ここ郁奈宮学園に入学してまだふたつき、学園探検はあらかた済ませているものの立ち寄っていない場所は多い(そもそも学園の敷地自体が広大であり立ち入り禁止の場所もあるため一介の生徒である自分にはすべて把握することは不可能と言っていい)。今窓辺から見えている裏庭も、存在自体は認識していたもののそうまじまじと探索することもなく素通りしていた場所であったため、こうして上――三階の一室から見下ろすことで見渡せる景色の目新しさに、鳩はしばし心を惹かれることになった。
 ただ、惹かれる原因となったのはなにも初めて見る場所であったからというだけではない。似ている、と思ったのだ。裏庭の景色が、幼少の頃から遊び場として、時には心を落ち着かせる場として何度も訪れていた場所に。
 よくよく見れば、重なり合った梢の向こうに陽光を反射してきらきらと瞬く水面が見えている。
 そう言えば脳裏に浮かぶ場所もすぐ近くに川が流れていた。そう思い出し、次々と重なっていく条件に比例して募る郷愁に、鳩の興味は完全に裏庭へと傾いていた。
 それゆえ暇を持て余していた鳩が、誘われるようにそこへ足を向けようと思い至ったのは自然なことであっただろう。



 天気がよく太陽が照りつけるこんな日には長袖のシャツが熱く感じられるのだが、木々に囲まれた裏庭は涼しいくらいだ。これから夏に差し掛かればここはいい避暑地になるかもしれないと、そんなことを考えながら庭園に足を踏み入れた鳩は、窓から見えた川の方向へと進んでいく。
 上から見下ろすのと違い、なかなかに入り組んだ構造になっている庭のこの位置からは、川は形はおろか存在さえも感じられない。学園の敷地内に川があったこと自体にも驚いていた鳩だが、この分だと自分以外にも知らないものは大勢いそうだと思った。
 さらさらと。川のせせらぎが聞こえたのと同時に、空の青を映す水面が視界へと飛び込んでくる。体感温度がさらに涼しさを増し、身体を包む清涼感に鳩はすっと深呼吸をするように息を吐いた。
 と、

(あれ……?)

 視界の端に、濃紺のチェックが映りはた、と視線を止める。
 見覚えのある色彩に目を向ければ、そこには一本の太い幹に寄りかかり、おそらく眠っているのだろう微動だにせず座っている生徒の姿があった。
 わずかに見えたのはやはり制服のズボンだったらしい。どうやら先に先客がいたようだと目を凝らした鳩は、目を瞬かせることになった。

「薺……?」

 浅霧薺。眠っていたのは、友人である生徒だったのである。

(なんでこんなところで……)

 そう考えて、いやわからなくもないと心の中で完結する。薺も自分と同じようにかこの場所を発見して、安らぐのにいいと気に入ったのかもしれない。だとしたら、いつからかはわからないが、こうして普段からここで休んでいるのだろう。

(それにしても……)

 薺がここまで人が近づいても起きないなんて珍しい。
 手を伸ばせば肩を叩ける距離まで近づいているのに起きる気配を見せない薺に、鳩は意外に思った。薺は普段から隙を見せない、寝ていても他人の接近に気づけるような人だ。なのに、これはどういうことだろうか。

(薺も疲れてるのかな……)

 普段の疲れ知らずな端然とした印象が強すぎて、いまいちピンと来ないというのが正直なところなのだが。
 しかし体力も能力も人並み外れたものを持つ彼といえども同じ人間で少年で。慣れない環境でなにかと面倒事に巻き込まれて、普通なら疲れない方がおかしいだろう。何度も頼り迷惑をかけた覚えのある鳩としては、薺のこの疲れ具合に頷けるものがあるのも確かだった。
 もとより起こすつもりなどなかったが、これはますます安眠を邪魔するわけにはいかない。
 と、そう心を決めて、静かに立ち去ろうと踵を返しかけた鳩であったのだが。
 立ち去る寸前、そのあまりにも気持ちよさそうな寝姿に後ろ髪を引かれて、少しだけ……とついつい隣に腰掛け幹にもたれてしまった。
 実際に同じようにしてみれば、薺が今穏やかな眠りに包まれているのがよくわかる。
 程よく差し込む木漏れ日が暖かくて風も心地よくて、ひどく眠気を誘われるのだ。小鳥の囀りに川のせせらぎ。どれも包み込むように柔らかい。

(ああ……あと、人の体温……)

 ふっと肩にかかった重みに、そんな風に思いながら鳩は目を閉じた。



***



 なにか聞こえる。
 なんだか騒がしい。
 ぼんやりとする頭をのそのそと働かせて、聞こえる音へと耳を傾ける。

「――鳩! 起きろ!!」

 ああ、結斗の声だ。
 なんで呼ばれているんだろう、とふわふわと考えながら開いた視界に眩しい光と、眉をつり上げた結斗の顔が飛び込んできた。
 帰るぞ! と覚醒を促すように放つ結斗は、声音と違わず不機嫌らしい。それもかなり怒っているようだと認識した鳩の意識は、急速に晴れ始めた。
 そうだ。裏庭に来て眠っている薺を発見して、ついつい同じように腰掛けてしまって。
 そして気づいたら眠ってしまっていた。
 原因の彼はどこにと隣を向けば、先に目覚めていたらしい薺はすでに立ち上がっていて、なにを言うでもなく鳩たちを待っているようだった。
 自分だけが暢気に眠ってしまっていたような状況に、やや恥ずかしさを覚えながら鳩も慌てて立ち上がる。

「もたもたすんな!」
「結? ……あの、」

 どうしたんだ、と聞くのはなんとなくいけないような気がした。だがこうも結斗を苛立たせている原因がわからなくて、つい口からこぼれてしまう。
 しかしやはりというかなんと言うか、地雷だったらしい。

「どうしたもこうしたもあるか! お前がいつまでも帰って来ねえから心配して迎えに来てやったんだろ!」
「ご、ごめんっ」

 二割増しで口調の荒くなった結斗に、鳩は姿勢を正して謝るしかなかった。

「ほら、早く帰るぞ!!」
「う、うん」

 そう言って鳩の腕を掴み早足で歩き始める結斗に、出遅れた鳩はつんのめる。なんとか転げずにはいられたものの、ずんずんと進んでいく結斗はお構いなしだ。

「ゆ、結っ、そんなに急がなくても!」

 思わず抗議の声をあげれば、ピタリと足をとめて振り返った結斗が、なにか言いたげな、もどかしい怒りを抱えたような複雑な表情で声を上げた。

「〜〜〜っ、雨が降るんだよ!」

 え、雨? この晴天に?
 梅雨入りはまだだったような……。
 そんな鳩の疑問に、もちろん答えが返ってくることはなかった。





END


※結斗は鳩の居場所がわかるんです。

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