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「ですが、今は足場が整ったというだけ。肝心なのはこれからです。気を抜いてはいけませんよ」
「わかってる」
少年は男の主だ。だが、少年にあらゆる学を授けたのは男であった。
この少年が秀逸な子供であることは認めるが、それゆえいささか慢心し易いところがある。
己が計画のため、諌めることも忘れずに告げれば、少年は気を害した様子もなく鷹揚に頷き、うっとりとした表情で――男へと両手を差し出した。
甘えるようなそのしぐさは、『傍にきて』という合図だ。
男が無言でそれに従い、少年の前へと歩み寄り身を屈めると、少年は伸ばした両手を男の頭を抱え込むように回し、耳元で囁く。
「硯の『願い』は、俺が絶対叶えてあげるからね」
少年の唇から漏れる吐息や体温は、まるで熱に浮かされているかのように酷く熱い。――だがそれとは対称的に、男の心は冷め切っていた。
熱の籠もった少年の視線をそれとは知られぬよう冷ややかに受け止めながら、男は静かに言葉を紡ぐ。
「――あなたは、私の唯一の希望です」
それはまごうことなき本心だった。
少年は男にとって唯一――悲願を果たすために必要不可欠な存在。『その身体に流れる血』は、かけがえのないものなのだから。
それゆえどれだけ恋情を向けられようと、男は少年を利用する、ただそれだけのために冷淡な心で睦言を囁き続ける。
すべては――
(『仄宮』の再興のために)
――そして、復讐のために。
カチ、カチ、カチ、カチ。
十年の歳月を経て、けして癒えることのない憎悪の芽が、ひっそりとその根を広げ始めていた。
Raindrops 第一章 在りし日の雨は今も end