どうしてこうなってしまったのだろう。と、紀田正臣は溢れでてくる涙のせいで歪んだ世界を見ながら、思った。
 ただ、想っているだけでよかったのに。気持ちなんて伝えずに、どこかへ消えてしまえばよかった。
 後悔する正臣を珍しく無表情でみつめる折原臨也は、先ほどと同じ言葉を、言った。

「俺は、君を愛してない」





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 いつものように臨也の住んでいるマンションに呼ばれた正臣は、折角いい気分で寝ていたのを臨也が寄越した『今すぐ来て』と言うメールで邪魔されて、憂鬱な気持ちで訪れた。部屋にはいると、早速書類の整理を頼まれ、めんどうだなと思いながらも作業していた。
 それから、数時間して。小腹が空いてきた正臣は、コンビニに行くと告げると、部屋をでていこうとした。ら、臨也は急に立ち上がり、一段落ついたのかただの休憩かは判らないが、
「俺も行くよ」
 とにこやかな作り笑いで言った。
「奢ってくれるんですか?」
「君の給料から抜くよ」
 さらりと交わされ、正臣はむうっと頬を少し膨らませる。臨也は自分の財布を持ち、いつものようにファー付きのコートを、暖かい日差しが眩しいほど輝いている四月なのに羽織り、部屋を出ようとして、立ち止まった。
「どうしたの?紀田くん」
 え、と自分でも判らずに立ち尽くしていた正臣は我に還り、急いで臨也を抜かして部屋をでた。
「俺、財布忘れたんで、奢ってもらいますよ!給料から抜かれていたら、怒りますから!」
 走りながら言う正臣に臨也は、はあと深いため息をつく。
「今回だけだからね」
 そう呟いて、やれやれと苦笑しながら、正臣の影を追った。
 正臣がコンビニの中にはいり、何にするか選んでいると、臨也がゆっくりと正臣の横に並んだ。
「何にするの?」
「俺はしょうが焼き弁当にしようと思ったんですけど、なんか足りそうにないんで、このでっかい幕の内弁当にしようかなあって」
 そう言った正臣の前には、残り一つしかない幕の内弁当がある。その横にはしょうが焼き弁当、ほかにも五種類ほど。その中で臨也は一瞬だけ、ニヤリと子供が悪戯するときのような笑みをし、それを掴んだ。
「ふーん。じゃあ、俺は幕の内弁当にするよ」
「あっ臨也さん、酷い。鬼だ、悪魔だ、人でなしだ」
 正臣はぷくりと頬を膨らまして言うと、諦めたのかしょうが焼き弁当と、上にずらりと並んでいるお握りのコーナーから、焼き鱈子とツナマヨを一個ずつ取った。
「そんなに食べるの?」
「育ち盛りですから」
 臨也はそれを聞いてから何も言わずに、正臣が持っている弁当とお握りを奪い取るように持ち、会計するためにレジへと向かう。
「1405円です」
 にこりと愛想笑いで会計をしたアルバイトの店員が言った。臨也は1500円を渡すと、お釣と温めて貰った弁当、先に袋に入っていたお握りが来た。そのままスタスタとコンビニから出ていく臨也を、正臣は追いかける。
 そのあと、その店員は急いで休憩所に向かい、先に休んでいた友人に対して、
「いま、すっごく可愛い男の子とかっこいい男性が来たの!」
「へえ。よかったね」
「あの子たち、カップルかな!?」
「えっ…違うんじゃあない?」
「えええ!あんなにイチャイチャしてたのに!?」
「いや、わたし、見てないから知らないし」
 そんな会話がされているとは、知らずに臨也と正臣はマンションに戻った。

「いただっきまーす」
 あぐり、と大きめな一口で、少し温いしょうが焼き弁当を食べた正臣は、向かいに座り、丁寧に幕の内弁当を食べている臨也をみた。美味しそうに顔を綻んだり、不味そうに顔をしかめたりせず、いつものように食べつづける臨也。
「なんかリアクションとってくださいよ」
「なんでそんなこと、しないといけないの?」
「なんか、気持ち悪いからです。まるでスーパーで買ってきたばかりの味のしない蒟蒻を、人形が無表情で食べているみたいです」
「なにそれ」
「とりあえず、美味しいなら美味しい、不味いなら不味いって顔してください。折角の美人なんですから」
 最後の一言は余計だな、と思いながらも言い終わった正臣を、ぱちくりと目を丸くした臨也は見つめていた。
「な、なんですか?セクハラでもするんですか?」
「いや、うん。紀田くんって俺のこと、好きなの?」
「は、はあ…?」
 思わず変な声がでた。正臣は、臨也を尊敬していた時期はあったが、それは随分と前なことで、今は憎悪のほうが上だと言うのに。と自分で考えて、実は臨也のことが少しだけ、恋愛感情として好きだと言う捨てた筈の『想い』が憎悪が消え去るほど溢れてきた。
「な、な、なに言ってるんです、かっ」
 握りしめている割りばしを折ってしまいそうなほど握りしめ、頬がぼっと五十度ほどあるようなくらい、熱く感じる。
「え、紀田くん、ほんとに…っ」
「ちちち違いますよ!訴えま、す、よっ!」
 そう、必死に言うが臨也はニタニタと不気味に笑っている。
「告白、していいよ」
 な、と言葉がでかかって、やめた。もしも、臨也が少しでも『紀田正臣として見ている』のであれば、そう言ってくれるだろう。それは、正臣がずっと願っていた臨也の特別な人間として、傍にいれること。しかし、臨也が正臣を正臣として見ていなかったら、そう考えるだけで、身体がぶるりと震え上がるのがわかる。これは賭けである。勝算は極めて少ない。
 しかし、正臣はーーー




「俺は、一人の折原臨也として、貴方が好きです」
 頬の熱は冷めきっていた。弁当も、きっと冷めてしまったのだろう。しょうが焼きに、白い脂が浮かび上がっている。
 それを一回だけ、臨也がみて、それから正臣のほうに顔を向ける。
「あと、十年くらいしていたら、好きになってたかもね。ーーー俺は、君を愛してない。残念ながら、ね」
 涙が、でた。ぽたりと頬に伝う。溢れて、溢れて、止まりそうにない涙を、拭うこともせず、声を圧し殺しながら、正臣は泣き続ける。とてつもない後悔を背負いながら。
 無表情でみつめる臨也は、ーーー



20110402


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