神に恋したおとこのこ



願わくば、刹那の光景が上司の後ろ姿になることのないように。その背中が担ってきたいくつかの業を、拾い抱えるべき駒として、進むべく明日を生きる努力をしたとしても。先行きを語るほどの余裕などありはしない。少年は瞳にあまるほどの紅を映していた。
鈍色の甲冑にには擦れた傷後があり、それは先刻までの稽古の日々を綴るようについている。憧れてやまなかった聖騎士団に足を踏み入れた際、初めて腕を通した鎧だ。相応しい体にはなれていなかったけれど、着ているだけで気持ちが昂った。最新技術を掲げる騎士団、その末尾に回れたことをむやみにはいしゃいでいた記憶も新しい。戦友、ハイドックたちに懐かれたインナーから立ち込める匂いをひとしきりに感じてみる。第二の郷のようなあの納屋の中で、うぃんがるたちと眠った晩は何も構えることはなかったのに。
その夢も僅かな憂いさえも今はしまい込んでおかねばならなかった。低空から煌めく閃光と共に、袂付近にいたハイドックの脚がチリチリと焦げた音を奏でた。生身の肌を持たず存在している彼らの体は、業火に焼かれてより一層火花を散らせていた。すぐに直してやりたいと、丸みの帯びた彼女のボディに触れようとしても、焦げた臭いが深まるばかりで。一撫でも出来ないもどかしさに戸惑う。何が騎士だ、何が夢だ、何が未来だと泣き出したのは一昨日で、それ以来涙を流すのは止めにしたはずなのに。燃えいずる世界になすすべを見いだせずにいる。特別親しかったうぃんがるの鼻の先に指をこすりつけて、必ず戻ってこようなと約束を交わした時だって、彼の小さな体が心配で心配で仕方なくて、何度も後ろを振り返ってしまった。幾年月も同じ飯を食べてきた戦友たちと、やっと肩を並べて立っていると言うのに。騎士になることを夢見てきた少年は、騎士になることがどういうことなのかをひしひしと感じる。そうすると少年は未だ、彼らと並ぶほどの実力など身についていないのではないかと思惑してしまう。
逃げ出してしまいたい。最前列にいるわけでもないのに、そんなことばかりが過ぎる。当たり前だ、少年はまだ十数年しか生きてはいない。居場所を見いだし、厳しさに触れ、己の道を定めつつあったんだ。その時期を全てを奪われつつあるのだから恐ろしく感じずにはいられない。せめてこのまま、感傷に耽っている間に全てが終わっていてほしい。少年は瞳を閉じて、自らの焔を消した。

「リュー!」

また一つ、空で被弾が瞬いたのだろうか。荒野から沼野へと変わり果てた地盤はぬかるんで、戦友たちの足を食らっていた。リューは彼らを救出し、怪我を負った騎士の看護にあたっていたのだが、すんでのところで繰り返される鉛の匂いに立ち尽くしてしまっていた。このまま、と願うことは愚かだったろうか。
生半可な覚悟さえも持っていなかったリューを、無理やり戦火から引きずりおろしたのは一重の鞭だった。ズドン、敵航空部隊の落とした被弾はぬかるんだ地に落ち、地と交ぐわうように赤く燃え上がっていく。その様を目の前で見せつけられ、言葉にもならないほど戦慄を覚えていると、リューの足を捕らえていた光色の鞭がぎりりと足元に食い込んでくる。

「何やってるの!」
「……アカネさん」
「私の枷になるべくして貴方はここにいるの?」
「すみませんっ」
「謝る前に状況を見極めなさい」

紅に混じることなく、あぜやかに揺れる上司の髪、ハイドック部隊締役としての彼女、アカネはこんな時でも燐とした表情を崩してはいなかった。彼女が原石たちと唄っていたハイドックたちはどれほど犠牲になっているだろう。生まれる、と言う概念が曖昧なハイドックたちだが、そんな彼らを手塩にかけて育ててきたアカネだって、今の状況下はつらいのだ。それをわからない部下でもない。アカネの下について幾年、ハイドックへの接し方、情の組み方など数え切れないことを教わってきたのだから。

「あなたがここにいる理由を忘れた訳じゃないでしょう?所属と名前を言ってごらんなさい!」
「はいっ!ハイドック部隊所属、準騎士・リュー、です」
「次にそれ忘れたらご飯ぬきの刑の上にこれで叩くからね」
「は、はいっ!」

いじわるく放たれた彼女の一声は、ハイドックを慣らすための口笛より効くものがある。彼女にこうやって昼を抜かれた次の日は、うぃんがると頭を垂れて空腹をやり過ごすことになってしまう。それはどんな罰則よりも効いて、どんな恐怖にも打ち勝てる魔法のようなものだ。それがアカネのくれる激励であることに気づかないはずがない。まだ幼い騎士ならばリューの他にも沢山いる。それでもアカネがリューを気にかけてくれるのは、リューが直属の部下である他にないだろう。
入隊したてのリューにあれこれと世話を焼いてくれていたのも、うぃんがると仲良くなる術を教えてくれたのもアカネだ。真白の手袋に引かれるまま、騎士王直属の愛馬に触れたこともある。リューが騎士へと近づこうとする度に、誰よりも近くで喜んでくれていた彼女に。
まだ笑顔を浮かべていてほしい。来るべき明日に、ハイドックたちと共に納屋に潜りながら、思い切り呆れられてしまいたい。いくらでも叱られ、躾られても良い。できればまた、明日を共に生きていきたい。少年は何度でも夢を見る。その夢を育み生きる。聖騎士たちもきっと、同じ心でいたはずだ。

「ここは貴方に任せます、しっかり遣りなさい、……私はもう行くわ」
「アカネさんっ、オレにも行かせてください!」
「聞こえなかったの?貴方にしかできないことはあるはずだと」
「それでもオレは、貴女の後ろに隠れたままではいたくない、逃げたくはないです」
「……リュー、」
「さっきはすみませんでした」

アカネは恐らくこれから最前列に乗り込むのだろう。騎士王も、神龍も、彼女の登場を待っている。引き止める真似はしない。でも、ならば自分も連れて行ってほしいのだ。彼らと共に、全ての物事をこの眼に宿しておきたい。叶わぬ望みなら最初から抱いてはいない。だから、最後まで貫き通すと決めたものをしっかりと据えて。これは単なるわがままなんだ。アカネの指令を無視するなんて絶対にしない。それでも譲りたくないと願うのは少年なりの足掻きだ。
アカネに言い切られてしまわない内に意志を通したい。伝えるべき想いも、言葉も、最後の足掻きと一緒に乗せてしまいたくて。届かないままで終わりたくはない。それが、どんな形で孵化するかこの目で見ない限りには。
アカネは、被弾していく空からリューへと視線を下ろすと、神器にも近い手のひらの鞭を振りかざし、リューの頬に軽く当てた。

「待ちなさい」
「え?」
「私が帰ってくるまでガマンして待ってなさい」

ずぶっと、沼野にアカネの光学式なブーツが落ちる。シュルリと鞭の先でリューの首を捕らえたアカネはにっこりと含みのある顔でリューに返した。その楽しげな表情はこれから最前列に乗り込むべき人の顔とは思えないほど柔らかい。至近距離で聞こえるアカネの声色が、リューの胸の鼓動とリンクする。

「貴方はもうしばらく貴方でいて、私は私としてちゃんと帰ってくるから」
「っ……」
「だからそれまではお預けよ」
「アカネさ……っ」
「良くできたら撫でてあげる、私からの特別のごほうびよ、覚悟していなさい」
「っ……待って、アカネさん!オレはっ」
「楽しみに待ってなさい!……リュー、それじゃあまた後でね」

まるで訓練に出かける時の挨拶だ。引き止めたいのに、それが彼女の望みじゃないことは痛いほどに教えられて。僅かに動かした手首で礼を作れば、彼女はまた一つ嬉しそうに笑ったんだ。彼女はそんなリューの姿を見て、紅の方へと歩んでいく。その姿はさっき垣間見た少女のものではなく、上司の背中であって。染まりつつある水平の地に、彼女との距離が開いていく。

『貴方は貴方のままでいて』

そんなの無理だ。少年は横に携えた短剣を手に取った。この焼けるような沼野でさえも、彼女の姿を見失わないように。見送ることのないように。彼女がくれた立場も、過去も拾い集めて生きるのではなくて。
彼女と共に歩まなければ、意味がない。それを、強く胸にしたのなら。

少年は夢を見る。それは騎士として生きる未来だろうか。彼女の願いを叶えるためだろうか。神に祈る、恋い慕う彼女の後ろ背に追いつけるよう。一握りでは済まされない夢の為に。

全てを捧げて生きていこう。

(神よりも遠い人となってしまう前に)





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