「謙也ー!」
教室内に快活な声が響き渡る。
声の発生源は隣のクラス在籍のなまえから。
大声で呼ばれた謙也は至極当然の表情で入口を振り返り、なまえは自分の教室が如く入ってきた。
「自分、ジャージの上持ってたりせえへん?」
「いや俺も体育あるから普通に持っとるけど……なん、また忘れたんか」
「すまん! 今朝おかんに渡されてんけど、椅子の背凭れに置いてきてもーて」
「またかい! ったく、こりんやっちゃなあ」
呆れた風に溜め息を吐きながら、既にジャージを手渡すべく謙也は立ち上がっていた。
口では仕方ないと言いながらも当人は貸すのが日課になっていて。
つまるところ喜んで貸しているのだ。
「ほれ、汚すなよ」
「おお! 謙也、マジ大好き! 愛しとる!」
「ッそ、そそんなんはええから……! 早よ戻りやっ、授業始まるで」
「おん!」
ほんッまにありがとさん、そう声高らかに叫んだなまえは瞬く間に消えた。
残された謙也はというと頬を赤く染めたまま着席して、前に座っている白石に指摘される始末。
にやにやとした笑みに感じたのは言い様のない腹立たしさ。
どうせ、茶化す気なのだ。
「譜宮も罪作りな男やな」
「喧しい!」
「真っ赤な顔で怒鳴ったって怖くないでえ、謙也」
「も、黙れや……!」
遂には頭を抱えてふて寝。
正直言って今の謙也に白石の戯れ言に構っている心理的余裕はない。
どきどきと急いて止まない心臓を静めるのに手一杯。
そんな謙也の反応がつまらなかったのか白石は溜め息を一つ吐いて前を向いた。
脳内で先程のなまえの言葉が木霊していて、中々落ち着かない。
「(あああ、もう……ッ!)」
いつもなまえの言動には振り回されてばかりで、でもそれが嫌でないから質が悪いのだ。
***
休憩時間になって動く空気。
それに漸く静まったばかりの動悸がまた忙しなくなる。
ガラッと入口の戸を開けて予想通りの人物が現れた。
「謙也! ありがとさん」
「お、おお……別にええねん」
「貸してくれた礼にこれやるわ」
「飴ちゃん?」
「せや! 謙也にあげたくて掻っ払ってきたんや」
にか、破顔一笑したなまえにきゅんとした心臓。
飴とジャージを受け取った謙也は教室に戻るその後ろ姿を一心に見つめる。
微かに掠めたなまえの匂い。
いつも隣で香っているそれが手元にあるなんて。
「〜〜〜〜ッ……!」
思わずジャージに顔を埋めて声にならない声を上げて悶えた。
きっとまた顔は赤いに違いない。
握り締めた手の内には小さな飴。
なまえからの貰い物。
そう思うだけでただの飴がとても大切な物へと昇格する。
結局その日の体育は全く集中出来ず散々なものであったが、気分は最高潮に高揚していた。
そして、昼休み。いつも通り共に過ごす昼食。
「あ、」
「ん? どしたん」
「そのスポドリ新発売のやつやろ? CMでやっとった」
「んく、せやで……飲むか?」
極々普通の動きでなまえが差し出した飲みかけのスポドリ。
だけれど謙也にとっては普通ではなく、なまえの顔とスポドリとを交互に見やって。
真っ直ぐと謙也を見てくる視線が「飲まないのか?」と問うていて、ごくりと空気を飲み込んだ。
これは所謂間接キス、ではないか。
最早どきどきを通り越してばくばくいっている拍動がなまえに伝わってしまいそう。
意を決して「飲、む」と答え喉に流し込むも、味など分かるはずもなく。
全神経は隣のなまえに向いていた。
なまえはなまえで謙也を真顔で凝視していて、謙也の心拍数は右肩上がり。
「っな、なんやの」
「……え?」
「そないに見られると、ハズいんやけど……」
ぼそりと呟いた謙也の言葉に一瞬ぱちくりと目を瞬かせたなまえは至極真面目な表情で口を開いた。
「俺な、謙也から目が離せないねん」
「っ……、は? ……え? ええ?!」
「あれ? 知らんかった? 俺いつも自分のこと見とんで」
にやり。
少し白石を彷彿とさせる意地の悪い笑い方。
だけれどムカつきはしない。
それどころか、言われた事実に思考が完全ストップしてしまって。
「あ、」とか「、う」とか意味不明な音を発するのみ。
わたわたと慌てふためく謙也を含み笑いを浮かべながら眺めるなまえ。
端から見たら奇妙な図が昼休みの教室に出来上がった。
アダージョ・リレーション
-何処までも独尊的に-
(え、うっそ?! マジで、ッ……)
(俺ずっとアタックしてたのに)
(――――うああ……!)
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