project | ナノ
目が覚めればいつも一人取り残されていた。

それは”低血圧が故に朝が起きられない”“起床時の機嫌が悪い”等に起因する。
仁王自身もそれは重々理解していたけれど。
自制しようにも上手くいかず、周囲に当たり散らすのが常になった頃。
いつの間にか起こすという行為そのものが無くなった。

自業自得。
習いたての言葉を反芻して、一人笑ったのは小学の何年だったか。
今となっては過去の一コマにしか過ぎない。


彼には共働きの両親に年の離れた姉弟がいる。
しかして全員が全員出払っていた。
当然だ。今日は平日なのだから。

カチ、カチ、時計の針がそろそろ10時を過ぎようとしている。
また担任が五月蝿く言ってきそうだ。
面倒な事この上ない。
どうせなら、この家の人間のように諦めれば良いのに。
見捨てれば良いのに、と考えたところで仁王の腹の虫が情けない音を立てて主張した。


「……腹減ったのう」


居間を通り過ぎてダイニングテーブルの上を一瞥して冷蔵庫に手をかける。
閑散とした隙間が目立つ庫内。目ぼしいものは見当たらない。
ひんやりとした室内より少しばかり低い冷気が肌を刺す。

まるでこの家のようだ。

自嘲に仁王の口元が歪む。
食材が無いならここは用済みだと言わんばかりに自室に脚を向けて。
卓上のそれは作った者の意図を為さずして放って置かれた。



***



上手く捗らない思考の中の割には手馴れた動作で遅刻手続を済ます。
それほどまでに仁王雅治という少年は遅刻の常習犯であった。
最早「またか」という表情を隠そうともしない事務員の横を擦り抜け、向かう先は。


「せんせ」
「おはよ、仁王くん」
「はよーござーます」
「ふふ、今日は少し早く起きられたんじゃない?」


くる、回転椅子で180°回転した青年は爽やかな笑みを携えて仁王と対峙した。
後ろ手で入り口の戸を閉められたここは教室ではない。
みょうじ。これが青年の名前であった。

正確にはこれは苗字であるのだが、生憎仁王はこの人物の名前を記憶していなかった。
然して重要ではないからである。


「そか?俺にはよう分からん」
「この前来た時はお昼過ぎてたじゃない」


もう忘れたの?

何度ここに訪れてもこの笑顔には慣れない。
否、慣れたくないのだ。
慣れてしまったらそれはここと決別するときである、と。
それが仁王が密かに胸の内に掲げたものだ。

ぎゅっと胸を鷲掴みされたかのような圧痛。
まるで仕方を忘れてしまったかのように浅くなる呼吸。
全てが苦しくて愛しくて。
仁王は人知れず笑みを濃くする。




「…さあのう。どうでもええことは覚えん主義じゃき」
「そっか。あ、そうだ。飲み物でも飲んでいかない?」
「頂くナリ」




仁王の快い返事に明朗な笑顔で返し、保健室に備え付けてあるポットへと手を伸ばした。
戸棚からマグカップを二つ取り出しティーパックも二つ。
ここでいう飲み物は“アップルティー”限定である。

暗黙の了解。
互いに干渉し合わない家族にはないもの。二人だけの秘密事。


「はい」
「ん、ありがとさん」
「どういたしまして」


一口、口に含んで熱過ぎないその温度に泣きそうになった。




トーチモレンドの色彩
-絶え入りそうに薄く淡く-



(ここを失うとき、色も失うのだ)


×
- ナノ -